ショボ短歌会

旧約聖書を読んでいると、

イスラエルの民って結構ひどいですよね。

宗教的なものですけど、

家畜をいけにえにするのは、まあありがちですけど、

神さまが指示したからとか、神さまに誓ったからとかで、

自分の子どもを燔祭のいけにえにしたり、

自分の娘を燔祭として神さまに捧げたり、

要するに自分以外の人間を、自分の子どもでさえ

いけにえにしているわけですよね。

一番最高のいけにえは、自己犠牲、

自分をいけにえに捧げることだと思うんですけど。

向こうの家畜を殺して食べる肉食民族は、

農耕民族とは感覚違うんでしょうか?

それとも、科学的なことも分からない時代で、

犠牲が大きければ大きいほど良いと思っていたんですか?

だったら、一番の犠牲は自己犠牲、

自分の命を捧げることなのに。。。

A 回答 (6件)

農耕民族でも家畜を殺して食べると思いますが。



江戸時代だけの感覚で考えるとそうなるのでしょうが、ウサギは一羽とか言ったりして抜け道作ってちょんまげ世代でも肉を食っていたわけです。

肉食民族=狩猟民族、ということであれば、凶暴さは実は農耕民族のほうが上。
なんぜ、田んぼや畑を確保するために「縄張り」が必要ですからね。
「どけ!このやろう!ここは俺の畑だ!出てかないとぶっ殺すぞ!」となるわけです。
簡単に狩場を変更して調整できていた狩猟系よりも農耕民族のほうが侵略やらをやりまくりです。

ところで唯一絶対神への忠誠は、その発祥した土地環境によるものだと思いますよ。

緑豊かな土地では「万の神々」になりやすく、荒地ではその逆。
自分自身すら生贄に捧げるほどの強烈な信仰心がないと、そういう土地では生きていけない。
ただ、自分自身の生贄は「死んだら話がそこで終わってしまう」から親族になった。
子供を生贄にしたら一生後悔するだろうが、その後悔の怨念も信仰心で打破できるとしたいのでしょう。

ところで、生贄が履行される直前に「おまえの信仰心はわかったらから生贄はやめろ」って神様言ってませんかね?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:29

詳しい人求ム とのことなので、生まれてから19年キリスト教徒である私がお答えします。


まずあなたが勘違いしていることは、聖書に自分の子供を神に捧げるために殺しているという描写はありません。おそらくあなたがそう思っているシーンは、アブラハムが自分の子供イサクを燔祭として捧げるというところでしょう。この話の前に、まずアブラハムとその妻サラ夫妻は大分高齢になっても子供に恵まれなかった。しかし、ある日、アブラハムが住んでいたテント群を通りかかった旅人をテントに招きいれ、疲れを癒すようにともてなしたところ(このときアブラハムはこの旅人が神の御使いであることを直感的に悟っていた)、「アブラハムよ、お前の妻サラを男の子を産むであろう」と言われました。これをテントの外からこっそり聞いていたサラは冗談だと笑いました。現代でも考えにくい高齢出産になるからです。笑ったのを聞いた旅人は、「なぜ笑うのです。神にできないことがあるとでも思うのですか」と言った。そして「アブラハムよ、その子にイサク(笑うという意味)と名付けなさい」と言って出ていった。その後、その言葉通りサラは男の子を産み、待望の跡継ぎを得た。アブラハムはイスラエルの長であったためこの跡継ぎを酷く喜んだ。この話の前に、神はアブラハムに対し、「お前の子孫はこの砂漠の砂のように、天の星の数のようになるであろう」と約束しましたが、アブラハム→イサク→ヤコブ→ヨセフ(および他12兄弟)というふうに子孫が増え、現在の世界中にいる人種の多くの元となり、その約束が果たされました。ちなみにイサクの腹違いの弟イシュマエルは、現インド人の創設者とされています。話を戻します。イサクが大きくなり、習慣だった動物の燔祭を捧げる儀(これは食べるためではなく、捧げる子羊が罪を赦す役割をもっており、後にイエス・キリストが十字架で死ぬことを象徴している)に同行させることとなりました。儀式の前日、神はアブラハムに燔祭の犠牲として、子羊ではなく最愛の息子イサクを捧げるように命じました。当然わかると思いますが、アブラハムは酷く悩みました。ここまで待ってやっと得た息子を自らの手で殺さなければならない苦痛は想像するにおよびません。しかし、アブラハムは神への信仰が強かったためイサクを捧げることを決意し、イサクとその儀式を行うために山へと出かけました。このことはサラは知りません。イサクは、山へ出かけるというのに捧げる子羊を父が連れていないことに気づき、自分を捧げるつもりなのだと悟りました。そして山の頂で祭壇を作り、イサクを捧げようとしました。アブラハムがナイフを振り上げたとき、「アブラハムよ、やめなさい。お前の私に対する信仰は分かった」という神の言葉があり、神がアブラハムを試していたことがわかりました。結局イサクは殺されず、代わりに近くにいた子羊を捧げることとなり、神はアブラハムとその子孫を祝福しました。
 まぁ確かにイスラエルの民は総合的にみればひどいです。モーセがエジプトで奴隷解放をしたときも、神のおかげで自由になったというのに、砂漠は熱い、のどが渇いた、肉が喰いたい、エジプトのほうがましだった、と不平ばかりを神にぶつけていました。新約聖書では、イエス様が「あなた方イスラエル人よりも異邦人(外国人)のほうがよっぽど素直に神の言葉を聞き入れている」といったように、イスラエルは「神に選ばれた民」ということを鼻に掛けて横柄なことを言い続けていました。あなたの言うこともわかります。
 そして最高の捧げものは自己犠牲ということですが、それよりか「自我に死ぬ」というのが一番いいのではないでしょうか。というのも、キリスト教において「信仰がある」という状態は、神を一切信じて神により頼む、つまり自分ではできることなんて何も無い、神にすがらなくては生きていけない、という状態が自我に死ぬということです。もっとわかりやすく言うなら、「最高の謙遜」ですかね。キリスト教では謙遜は非常に大切です。自分の実力でできることなんてほとんどなく、神の助け無しには生きれないという考えに行き着くのを目指しています。アブラハムはこの状態に達していたために息子を捧げることを決意できたのです。
 彼らは確かに家畜を殺して食べています。しかしそれはあくまで儀式の延長戦上にあるもので、まるで残虐に殺しまくっているということはないですよ。そもそも人間が何かを殺さずして生きることは不可能です。
 また宗教と科学を結びつけるのはやめて頂きたい。科学に支配されたこの国・時代では、超常現象や神の奇跡なんて信じる人はあまりいないでしょう。しかしそれはあくまで「信じれない」だけの話で「ありえない」わけではありません。科学という物差しで測れるものだけがこの世の道理だとでも思っているのなら愚かな見識です。昔の人間は宇宙にこれほど多くの星があることを知らなかった、信じなかったのと同様に、神の存在や現象はある可能性があります。そもそも科学で証明できないものはないという考えそのものが非科学的です。そういうなら神の存在をいかなる手段をとってもに否定してほしいものです。
 そして最後に、自分の命を捧げる、という言葉は、素直にとったら正に死んで捧げるということになりますが、キリスト教では自分の命を神に委ねる、つまり神に完全に仕えるというのがベストです。神のためにこの命を燃やし尽くすということです。自殺はキリスト教において最大の罪です。なぜなら神から与えられた命を粗末にするという罪を犯したあとでは罪を償うことができなせんから、地獄行き決定です。

 聖書は難しいです。正直自分も聖書の1割も理解しているのか不安になるほど奥が深いです。しかしきちんと読んでいけば、そこに書かれていることはどれも真実であることがわかります。信者でなくとも、聖書に興味を持っていただけるのは本当にありがたいです。信者にならなくても、旧約聖書の「箴言(意味は格言)」という書は日常生活においても非常になるほど、と思わされることが書いてあります。教養程度にでも読むのもいいかもしれません。

 そしてほかの回答者さん。よく知りもしないのに批判するのは非常に愚かです。よく聖書を読んでください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:28

イスラエルどころか、キリスト教(イスラム教、ユダヤ教と同じ根)なんかもっと酷いですw


聖書の外伝として認められている失楽園(日本のドラマもモチーフにしました)なんか、
神様が地球の監視に派遣した天使たちのせいで、怪物がはびこっちゃったんで、
チャイにするために大洪水をおこして、ノアの一族と一番いの動物たち以外をざぁ~~とw
そんな神様を信じてる民族ですから^^;
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:28

民族の大移動をするそれが人類ですね。

進化がそれを可能にしました。金を手に入れた民族が伸びた
金本位制時代、そして文化も進化しています。日本でも金閣寺や文化の進化が現れています。大体その裏では、戦いがあります。戦いが人類を進化させてきています。しかし、本質に気づけば戦い無くても進化できるのです。宇宙には、人類もいません。しかし、それに挑戦して新たな道を切り開いいています。ビッグインパクトの方が深刻な問題です。全人類を滅ぼしてしまいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:28

中国史における 殷 が何民族はしらんが、他の民族を犠牲にしている。


基本 農耕民族である インカも多くの多民族の犠牲を行っている。

マービンハリスあたりの説明だと、食糧生産量の限界がある条件下での間引き行為の説明行為とかになるのかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:29

質問者が一番よくご存じの農耕民族も古来より難工事や天災を鎮めるために、人柱と称して人間を生き埋めにしたり川や沼に沈めたりしてたそうですぜ。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%9F%B1# …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/04 11:29

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