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726年にビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令をローマ牽制のため出したと聞きましたが、なぜ100年しかたっていない843年に禁止が解かれたのですか?詳しく教えてください。

A 回答 (2件)

偶像崇拝問題は、ビザンツ帝国最大の問題となり、ビザンツ国内で、偶像禁止派が勢力を持った場合、崇拝派を弾圧し、崇拝派が権力を握ると偶像がたちまち復活するという事を繰り返しました。


そのころビザンツ帝国では、イスラムの侵攻が盛んになり、領土を次々と失って行きました。
一方バルカン半島側でもブルガリアが勢力を伸ばし、ビザンツ帝国の領土を侵してきました。
さらにイタリアでは、ローマ教皇と偶像崇拝問題で対立し、フランク王国のカールの皇帝就任を許してしまい、イタリアの所領も失ってしまいます。
偶像崇拝問題でビザンツ帝国にはイスラムとブルガリアの侵攻に対処する事ができませんでした。

つまりこの当時のビザンツ帝国は、周囲全てを敵に囲まれているにも係わらず国内は、偶像問題で抗争を繰り返し、帝国の存亡の危機的状況にありました。

それを回避し、最強の敵イスラムに対処するために、偶像崇拝問題に決着をつける必要があり、コンスタンティノープルの公会議で偶像崇拝問題に決着をつけます。
これで、キリスト教において偶像崇拝が認められたのではありません。
聖像や聖画を通して神を崇拝する事が認められたのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2007/11/29 18:03

9世紀・10世紀はカトリックvsビザンツで、東欧への布教合戦をやってましたので、布教しやすいようイコンを容認したのではないでしょうか。



この時期にキリスト教へ改宗
カトリック:ポーランド・ボヘミア・ハンガリー・クロアチア
ビザンツ:ブルガリア・セルビア・キエフ公国
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2007/11/29 18:03

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