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日本と言う名前は誰がいつ付けましたか? 日本人が日本と言う国に住んで自分が日本人であることにいつから認識していたのですか?

A 回答 (8件)

誰が?


知らないわからない
いつ?
7世紀後期ごろ
認識?
さあ?政府が制定された頃じゃないかな
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2015/04/13 09:34

「唐会要」の倭国・日本国伝によると、武則天の時代に、天武天皇が


「倭」から「日本(じっぽん)」に改称したとあります。
7世紀後半の事です。
天武天皇の太陽信仰、天照大神信仰から考えても合致します。
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この回答へのお礼

7世紀ですか。認識としては古いですね。ありがとうございます。

お礼日時:2015/04/13 09:35

後半部分は微妙なところだけど明治に入ってからでいいかな.



「日本人」ではなく「幕府のもとで生きている」というなら江戸時代の後半くらいというところ.
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この回答へのお礼

ありごとうございました。明治以降でようやく認識して来たというのが一番私にはしっくり来ます。日本が北海道から九州までの列島でそこに住む人が日本人と認識した歴史は新しいと思っていました。

お礼日時:2015/04/13 09:37

ヤマト王権が日本統一を成し遂げ、大和朝廷になってからです。



史料的に確認されるかぎりでは、六七四年から七〇一年の間である、とされています。聖徳太子が中国皇帝に「日いずる国の天子・・・」という手紙を送ったのもこの頃で、中国の資料にも「倭国は統一し皇が立ったので国号を日本に変えた」と連絡してきた、という資料が残っています。

日本人のどの階層の人間が「日本」を意識したか、というと難しいですね。末端の庶民まで、いわば乞食まで「日本人」という意識をもった、ということなら明治以降というしかありませんが、普通はそういう庶民は除いて、一般的な知識人が認識した時期をいうのが普通です。(日本はともかく、外国では西欧国でも19世紀末まで識字率は50%ぐらいだったので、明治期に日本人のほぼ100%が日本を意識したのですらすごいこと)

知識人が隅々まで、日本を意識したのはやはり平安時代までにはそうなったといえるでしょう。当時は兵役として防人などもありましたので、異民族からの国土防衛という意識もそれなりにあったといえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。私は、「あなたは何人ですか?」と質問して何時代の日本人なら「私は日本人です・」と正しく答えられたのかに興味がありました。平安時代の知識人なら大丈夫だったわけですね?

お礼日時:2015/04/13 11:21

#4です。

お礼ありがとうございます。

>ありがとうございました。私は、「あなたは何人ですか?」と質問して何時代の日本人なら「私は日本人です・」と正しく答えられたのかに興味がありました。平安時代の知識人なら大丈夫だったわけですね?

分かりやすい表現ありがとうございます。これならけっこう端的に答えられると思います。

最初からぶっちゃけていっちゃうと、近代化する以前の日本人に「何人?」という質問はあまり意味が無かったといえます。そもそも対外的に「日本国」と宣言しても、殆どの人は異民族にも合わないし、攻めてこられることもないし、だからこそ日本人という意識もないわけです。

ただヤマト王権が日本統一した効果は思いのほか大きく、大宝律令や租税の整備、国分寺の整備などで国家体制が整えられているは庶民から見ても「へーー立派な国になったんだなー」という意識を与えたと思います。

さて、聖徳太子が小野妹子に書を持たせて遣隋使を送ったわけですが、彼らは当然に「日本国代表」という意識もあったでしょう。そして「日本を発展させるため」に血なまこになって色々な書物や人物に当たって、多くの知識を日本にもたらしたといえます。外国に行かなくてもその経緯を知っている知識人は「日本を発展させなくては」という意識をもっていたでしょう。
平安時代までの文化や芸術には常に、異国の香りが漂っています。


時代は下って、鎌倉時代になると武士の世になり、幾分内向きになります。
この時代に「何人?」と問われれば、それは誰が主君でどのような役目の誰か、ということになります。多くの人が「○○が家来」と意識していた時代、また遣唐使など国家からの派遣はなく民間貿易のみの時代では、よほどの知識人でなければ「何人?」という言葉の意味が理解できなかったのではないでしょうか。
その代わり、平家や源氏、執権の北条家などの識者は、日本国の地勢や勢力図などがしっかり頭に入っていたはずで「日本」という枠組みは良く知っていたでしょう。その代わり海の向こうまでの相対的な知識はあまり多くなかったといえます。

このような状態は、戦国時代を通じ江戸時代まで続きます。江戸時代の地方区分を「藩」と称していますが、あれは後世の作であって、実際には「播州、赤穂、浅野長矩が家来、大石 内蔵助と申す」のように名乗っていたようです。庶民は「武州は熊谷の宗兵衛じゃ」ぐらいだったでしょう。

ただこの時代、庶民文化が栄え、地球が丸いことや西洋などがあることは意外に庶民も知っていたようですので、異国に出かけて「何人」と聞かれたら「日本人」と答えることができるだけの知識はあったといえます。

明治以降になると、海軍などは外国艦船との会合などもありますので市民にも「日本」という意識が高まり、日清戦争などをへて「国民」が作られていったといえます。

そもそも「何人?」と聞かれて「○○人」と答えられる国民意識は近代の産物である、と言われています。
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この回答へのお礼

丁寧に説明頂きありがとうございました。日本は単独民族国家ですが、案外、日本人としてのどうアイデンティティが形成されたか分かっていない人が多いと思います。私がその代表ですが、恥ずかしながら日本の国旗である日の丸はどこから来たのかも明確に答えることが出来ないです。

お礼日時:2015/04/13 12:33

『日本』が使われた確実な記録が確認されるのが702年です。

その前年701年は大宝律令が制定された年で、日本が国の形を急速に整えていた時期にあたりますが、その頃に国の名を日本と決めたようなのですが、いつ(何年に)そう決めたのかは、はっきりしないようです。

紀元前後に漢に朝貢して金印を授かったりしていますから、そのころから自分たちを”倭人と呼ばれる集団”なのだと理解していたと思います。(倭というと違和感を覚えるかも知れませんが、倭が1つにまとまり大きくなって大倭となり、倭の字を和に変えて大和となっています。大和の日本語読み(やまと言葉)はヤマトですが、日本の日本語読み(やまと言葉)もヤマトです。)

アイデンティティーの問題なら、人類の歴史を調べてみるのも面白いです。アフリカ起源説は聞いたことがあると思いますが、そこから全世界にどのように広まっていったのか、日本にはどうか、など。しかも言語は、また別の流れがあったりします。

じつは数学以外の全ての学問は、回りまわって人間とは何かを目的にしているように思えます。どうも人類は、人間が大好きなようです。そのような視点で見てみるのも面白いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。一度、タイムスリップしてヤマトの時代に行きどのような状況だったのか聞いてみたいですね。日本語が通じないですかね。

お礼日時:2015/04/15 07:50

日本という国名に関しては、他の方のご指摘の通り。



一般の日本人が 日本人と意識したのは 日清 日露の戦役の頃
日本人じゃない人間と出くわしてから
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですね。実際に日本人としてのアイデンティティを持ったのは案外新しそうですね。

お礼日時:2015/04/15 07:51

ちなみに、「日本」は「太陽のもと」というような意味だったらしいが、日本自身から見ると、日本は太陽が出て来る元ではない。

これは中国の視点を借りた命名だろう。中国から見ると、東方にある日本は、太陽が出てくる元に見える。
小国の日本が「太陽のもと」と自称するのは尊大なようだが、大国である中国の視点を利用しているため、夜郎自大ではなかった。
また、「にほん」、「にっぽん」は音読みで、中国式の読み方がもとになっている。訓読みなら「ひのもと」だろう。

一方、「中華人民共和国」という国名は、和製漢語から構成されているという。このように日中両国は、国名にもお互いの影響が見られるような、一衣帯水の隣国である。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。我々日本人が使っている漢字も海を越えて伝来してるのも歴史のロマンを感じますね。どのような人達が持ち帰り、持ち帰った後、日本人にどのように広めて行ったのかも興味深いです。

お礼日時:2015/04/15 07:58

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