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先日、米国を旅行してきました。
治安が悪い地域ではないにもかかわらず地下鉄に乗ると物乞いが回ってきます。
不快でした。
私は無視しましたが、周囲の人はお金をあげている人もいます。
(おおむね1ドル以内?)
かわいそうだと思ってあげるのでしょうか。

私は、日本でもホームレスなどに恵みはしません。

1.きちんと納税している意識があります。
  自営業になってみると、つくづく税金が高い高いと感じます。
  
  役所が対処すべき事項では?

2.その個人に渡してもその人のためにしかならない。
  もっと多くの人に行き渡るようにすべき。
  福祉団体には寄付したことがあります。

A 回答 (4件)

世界を基準としたら、あなたのような日本人の考え方のほうが特殊です。


まず、経済は限定された資源をいかに分配するのかのものですので、個々が働いて生産すれば個々の資質も増えるというようには、なっていません。つまり、圧倒的多数の貧乏人がその暮らしに甘んじてくれないと、お金持ちはお金持ちでいられないのです。お金持ちの人にとって、目の前にいる物乞いは、お金が沢山ある自分の生活を支えてくれる人です。物乞いに差し出すのは、その感謝の小銭ですよ。彼等が一斉に富を求めたら、お金持ちはその生活を破綻させるしかないのですから。
日本には、圧倒的な富裕層というのが、比較的に少ない。殆どの人口は、自分を中流だと思っている貧乏人です。そして世界基準としても、トップにライクインする納税義務を果たしている。の割に、福祉については最低基準である。日本の感覚は、国が主であり、国民が従だからです。これも世界の主要ヶ国の感覚とかけ離れている。本来の民主政治とは、国民が主であり、国は国民に従うものなのです。日本は、民主政治を獲得してからまだ日が浅いからなのかも知れません。例えば、日本で「右翼」とは国としての在り方に従し、国民として国に尽くす思想ですが。アメリカの「右翼」とは、銃の個人保有の権利を主張し、国が国民を欺いたらならば、いつでも武装してその政府を転覆させてやるという思想です。それが、国民が主である民主政治であり、それが彼等の尊ぶべき愛国心なのですよ。つまりは、富も国に保有させない。日本政府は財政難を謳ってはいますが、これほどお金持ちの政府は滅多にないですよ。また、その国に根付く宗教も、その愛国心にそうように型作られます。
政治感覚として、日本と他国のどちらが有意かは分かりません。ですが、日本国の在り方は、どちらかというと社会主義国に近いといえます。その国民性もそれに近い性質を持っています。
国を離れ、よその国に行くという事は、世界の事情を知るという事です。この質問は、とても的確に世界への疑問を投げかけていると思いました。
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この回答へのお礼

特殊ですか? なんだかそういわれていやな気分ではあります。
>自分を中流だと思っている貧乏人
確かにそうですね。
ただ33%も所得税が持っていかれ酷税感を感じますよ。
https://www.nta.go.jp/taxanswer/shotoku/2260.htm

>この質問は、とても的確に世界への疑問を投げかけていると思いました。
意味が今一つ理解できませんでした。

お礼日時:2015/05/20 19:25

アメリカではホームレスの人や物乞いに、ギフトとして少量をお金(大体1ドル札1枚程度)をあげることは特に珍しいことではありません。


日本人と違って宗教的、精神的(助け合い)の意味で寄付をする文化が広く根付いていることがその理由の一つです。額ではなく、キリスト教的「金をもつものが持たざるものに分け与えるべきである」という考え方の影響が大きいのです。
富裕層の節税対策としての多額の寄付以外に、一般人でも自分があげたいと思えば、少量でも色々な場面で寄付することは当たり前なのです。

アメリカははっきりとした格差社会であり、ホームレスや貧困者対策は政府や役所ではとても追いついていません。その足りない部分をNGOやNPO,ボランティアや教会という一般市民が補っているのが現状です。その一方、進まない対策に対する「あきらめ」ムードも強くて、政府や役所に寄付しても逆に無駄に使われるという不信感もあります。ならば今目の前のこの人が今夜食べられるようお金を渡そうという考えの人が出てくるのもごく当たり前のことと考えます。
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この回答へのお礼

私も檀家のお寺には多めのお布施をします。また神社でも賽銭は多めです。
でも個人に直接お金を渡すことに抵抗を感じます。
信用がおける(ここが一番大事ですが)団体への募金ならば という気持ちはあります。
そもそも汚い人、怖そうな人ぶつぶつ言いながらが寄ってくるのが嫌です。
かといって追い散らすためにお金を投げるようなぶしつけなことはしたくありません。

お礼日時:2015/05/20 19:29

質問者様の考え方は、実にもっともですが、日本でも道端で物乞いをする人がいっぱい居た時代がありました。



米国で物乞いにお金をあげるのは、キリスト教がドネーション(寄付または喜捨)を推奨しているからです。喜捨とは、たとえば托鉢僧にお金や食べ物を差し上げて、自分の富の一部を誰かのために使うことです。

アメリカでは、子供の頃からドネーションクッキーなど、クッキーをうって寄付金を作る、というのを普通に学校でやっていますので、貧しい人がいて、いま自分が幸せならばそのお礼(神へのお礼)として喜捨をするのが普通のことであるといえます。

日本人には理解しにくいことですね。

これが高じると「就職で引っ越すのだけど、お金がないから今乗っている車を1万ドルで買ってくれる人はいないか」とか「車椅子が壊れたんだけど、新しいものを作る金がないから余っている物をくれないか」というような助けを求める声に「1万ドルの小切手を送った、車は乗り続けてほしい」とか「うちの会社の新型の車椅子を送った。ぜひ使ってほしい」というような美談が生まれるわけです。

そういえば昔「ペイ・フォアード」という事前を先付けで行えば社会が良くなる、という映画もありましたね。あれも実にキリスト教的だと思います。

だから、そういう国(米国だけでなくて、キリスト教でもカソリックが多い地域や仏教信者が多い地域など)は寄付とか喜捨が自然と行われているのです。

日本は違う、それだけです。

そういえば、外国の反応を見るサイトに「日本のホームレスは物乞いをしないで、お金を稼ぐ」というのがありました。空き缶広いやダンボールひろい、くず鉄集めなどの労働をすると、ホームレスでも1日数百円から数千円程度の稼ぎがあるそうで、日本では乞食ですら労働する、と評価されていました。

いいんだか悪いんだか分かりませんが、そういう違いがある、ということです。
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この回答へのお礼

>道端で物乞いをする人がいっぱい居た時代
知っています、地下道にルンペンがいました、臭いからいやでした。
手がない足がない傷病軍人(本当か??)もいました。

托鉢僧 これって怪しげなのが多いのでお金を渡したくないと感じてしまいます、
第一携帯電話使うホームレスも変ですよね。

お礼日時:2015/05/20 19:33

文化が違うからに尽きるのではないでしょうか。



米国なんかだと社会的に裕福な人は、かなりの額を社会に還元すると聞きます。
そこまで裕福ではなくても、物乞いよりは遥かに恵まれている一般層ならいくらか包むのでしょう。

ちなみに、お金を上げている人もいるがあなたはそれが理解できないから上げない。
それならそれでいいのですが、一体何を知りたくて質問されているのでしょうか。
可哀そうだと思ってあげるのでしょうか?そりゃそうでしょ。
普通の生活ができるなら物乞いなんてしない。

上げている人がおかしいとでもいいたいのですか?
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この回答へのお礼

携帯電話を持っている物乞い 違和感感じたのですが・・・。
米国社会の認識不足?

にせ托鉢僧が日本には多いということの刷り込みもあるでしょう。

お礼日時:2015/05/23 05:33

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