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中学生などの陰湿且つ深刻ないじめが問題であり続けていますが、20年以上前に近所の年寄りから「子供の(陰湿な)いじめがあるのは大人が悪いからだ」と聞いたことがあります。この解説をお願いします。

A 回答 (4件)

私見ですが、


・卑怯なことをするな
・一人を大勢でいじめるな
・自分がされてイヤなことは人にするな
など、昔は大人が子どもにビシッと躾けていた道徳を、その頃の大人たちはしていないから、ひどいことを平気でする子供が増えて陰湿ないじめが増えた、という意味ではないでしょうか。
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昔もいじめはありましたが、現代のような


陰湿で激しいいじめはありませんでした。

それは大人が子供をしっかりと躾けていたからだ。

その御老人は、そう言いたかったのでは
ないですか。


私見ですが、今の子供は、いじめは出来ても
ケンカは出来ない。

そんな感じがします。

戦後民主教育が影響しているんですかね、
闘うことが悪いような風潮があります。

だから、ケンカはしないが、いじめはやる。

大人がそう教育しているのかもしれません。
そういう意味で大人が悪い。
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ミクロ系:


虐めを見過ごした、虐めを見て見ぬ振りをしてきた大人が悪い。教師や親たちが悪いからだ。

サヨク系:
陰湿な虐めがあるような社会環境をつくった大人(国や政府)たちが悪い。ある意味、いじめっ子たちも国や政府の被害者だ。

ウヨク系:
虐めをやるような子供たちをつくってしまった戦後教育が悪い。戦後レジーム脱却だ!

ロマン系:
大人が子供たちの模範になれば虐めは無くなる。つまり、虐めがあるという事は大人が子供たちの模範になっていない証拠である。

サトリ系:
大人の世界にも陰湿な虐めがあるんだから、学校に虐めがあるのは必然。

まあ、想像するにこんな感じじゃないかな。

僕の考えは「ミクロ系」に近いですが、質問の老人とは違って、あくまで虐めをやった加害者が一番悪いという考えです。

被害者が死んでしまうような極端な事例を抜き取って、過去と現在を比較するのは非論理的です。
極論で良いなら昔だって酷い虐めはあっただろうし、今も昔も大多数の学校では報道されるような酷い虐めは起きていないのです。
そもそも、少年による凶悪犯罪は"人口比"で見ても1958年ピークに、それ以降は激減していますので、総体的に教育の問題とする主張は流石に苦しいかと。
事件が起きるたびに、ゲームやアニメなどサブカルチャが狙い撃ちされる構図と似てますね。ネット的には犯人在日説かな。
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まず、「いじめ」はなくなりません。

永遠に。これだけは自信を持って言えます。
なぜなら、人は本能的に自分と異なる存在に対して攻撃的になります。また、「周囲と同じでありたい」という願望から、いじめに加担する習性があります。これは、「自分がいじめられないため」という理由もこもっています。

質問者様が20年以上前に聞いた「大人が悪い」発言は、いくつかの解釈が可能です。
まず、そのお年寄りの方が、自分自身に対して自虐的になっているということです。
あるいは、その方も昔、いじめに加担した記憶があり、それが胸から離れないのかもしれません。
もしくは、その「大人」を「両親」と「教師」に限っているのかもしれません。
要するに、子供に教育を施す人間=大人という解釈です。
もし、そうだとすれば、そのお年寄りの方はおこがましい解釈をしたまま天に召されたことでしょう(まだご存命かもしれませんが)。

中学において陰湿ないじめが問題となっているのは、ひとえに「情報技術の進歩」でしょう。
現代社会においては、子供も携帯電話やスマートフォンを持つ社会となっています。
また、家庭におけるインターネットとパソコンの普及も進んでいます。
これらの情報をやりとりできる端末が子供でも容易に利用できるようになったことは、特に10代においてはマイナスの面が大きいのではないかと思われます。
ちょっと考えがまとまりませんが、要するに「共感」を覚えやすくなったこと、「共感」を得やすくなったことが原因ではないかと思います。
要するに、自分の「コミュニティー」というものを形成・参加しやすくなったことで、そのコミュニティーにとって異なる存在、つまり「攻撃対象」が明確になったということです。
急速なコミュニティーの拡大は、それからあぶれてしまう対象を容易に作り出すことができます。
「朱に交われば赤くなる」「気を隠すなら森の中」という諺がありますが、混じってしまう前に明確にしてしまうのです。

本来、情報技術はもっと崇高な目的のために利用されるべきであり、あるいは個人の知識・見聞を深めるためにこそその真価を発揮するのです。
それが、単に自分の欲求のためだけに使う、年端もいかない子供たちが利用することで、子供たちの情操教育を妨げることになるのです。
また、子供たちも所詮は「ガキ」に過ぎないので、自分が悪いことをしているという自覚がないのです。
えーっと、「絶歌」でしたっけ?あれ見れば分かりますよね?

人間、誰だって最初は傷つくこと、傷つけることの恐ろしさを知らないものです。
それぞれのドラマ・ストーリーがあってこそ、そういったものを学んでいくものです。
それが分からずに年だけとっていくから、それが「悲劇」となり、しかし、当事者はそこから何も得ることができない。

それは、所詮「人間である」ということであり、「人間でしかない」ということであり、「人間であるからこそ」ということなのです。
長文、失礼いたしました。
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