プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

20代です。母親が好きです。なので母親に老衰以外では死んでほしくないです。他の要因で死ぬとしても、病気のみ、早くて90代までは持ってほしいです。
母親はまだ普通に動けますが歳は歳です。これからどんどん衰えていくと思います。些細なことで大けがするかもしれません。
それでなくとも、熱中症で死ぬかもしれない、ヘリが落ちてくるかもしれない、車にひかれるかもしれない、強盗だのが母親を襲うかもしれない、です。
死が隣合わせだというのも、だんだん実感できるようになりました。
20~30年後に死ぬならまだしも、もしかしたら明後日、もしかしたら1年後、に死ぬかもしれない。その場合は、私は感情のコントロールが全然出来ないと思います。
仕方のないことだとしても、自分はそれに危機感を感じています。
母親が死ぬのが嫌なのは、受け止められないからだと思います。
人はいつか死ぬんです。きちんと受け止められるようにしたいです。
だからいまのうちに覚悟しておきたいと思いました。

ただ覚悟といっても何をどうすればいいのか分かりません。
「感情の持ち方・保ち方」について人の考えを聞きたいです。

”自立”も関わってくるでしょうか。
その場合は自立の仕方も分かりません。自立とは主に精神面での成長と聞きました。つまり実家暮らしだの一人暮らしだのは関係ない、だそうです。
そもそも私は手取り10万前後なので一人暮らしは出来ません。家に5万ほどお金はいれています。
家事はしています。洗濯たたみ、掃除機、料理、です。潔癖症や恐怖するものがあるので出来ないやりたくない家事もあります。出来る家事を私が手伝おうとしても「良いよ自分でやる」という場合もありました。
あとは何をすれば自立に繋がるのでしょうか。
以前に自立について質問した時は「無理に作るものでもない。ゆっくり頑張っていけば良い。」で終わりました。そんなもんでしょうか。

あとは、少しでも不安をやわらげるように、対策はしています。といっても簡単なものですが。
家の外で変な音がしたら見周りはしています。万が一の為に包丁は装備し、イメージトレーニングもしています。
私が家にいない時の為に、将来的に監視カメラも検討しています。やり方や種類によっては最安で5千円~1万円ぐらいのようですが、もうちょっとお金たまってから少し高めのものを探してみたいと思います。
母親は熱い職場で働いてますので、熱中症などは心配ですが、これは自分じゃどうしようもない、チェック出来ないので信じて待つしかありませんが…。
今日も家を出る直前に、物音がしたのですが、仕事の時間も有る為軽いチェックで済ませ、母親を残して出勤してきてしまいました。でもその直後に、不審者が家に入っていくかもしれないと、段々と不安になってきました。まあ何度か振り返ったり、音の方に走って近づいて大きな音をたてたので、おそらく不審者はいなかったと思いますが。
万が一の時があったら、その時が最後となります。だから用心に越したことはないかと思っています。


「母親が死なないように」の為に簡単な対処法は自分が出来る範囲で頑張ってはいます。
母親はまだセカセカ動けるので甘えてる部分もあるかもしれません。これからは少し凝った対処法も考えていきたいと思います。
そして問題なのは、いざ母親が死んだ、その時の感情のコントロール方法、です。

長くなりましたが、そのコントロール法について、皆さんの考え方、対処法、を教えてください。
母親に限らず、大切な人が死んだ時、死ぬかもしれないという予想の時、どのように気持ちを落ち着かせることが出来るのでしょうか。アイデアを教えてください。

A 回答 (6件)

お母さまが大大大好きなのですね。


私もです。
私の母は、私の大大大好きな母は、私が二十歳でなくなってしまいました。
私は今50歳を目前にしていますが、今も毎日のように母を思い出して、おいおいと泣いてしまいます。

防犯を最大限心がけているのはとても大切なことです。
健康診断も。

ただ、一番大切なのは、親孝行かな、と、自分を振り返って、思います。
一番のお母様の幸せ、= 一番の親孝行 は、あなたがお母さまより、先に死なないことです。

お望みのお答えは、他の回答者さんにお願いするとして、
あなたが、とにかくお母さんより先に死なないように、できるだけのことをしてください。
お母さんが喜ぶことを、いっぱいして差し上げてください。
ちょうどよく甘えて、ちょうどよく自立して、お母さまと、家族と、良い関係でください。 

どんなに行ないが良くても、人はいろいろな死に方をします。
病気もあれば事故も、天災も、犯罪被害も、原因不明も、遺体の発見されない亡くなり方もあります。
それを、受け止められないままでも、生きていかなければならないご家族を、私たちは見聞きしていますよね。

自分だけは、自分の母だけは、ということは、おそらくできないのですから、
できることを精いっぱい、してください。

親が大好き、ということも、当たり前ではなく、とても恵まれていることなのです。
感謝の気持ちが、自立へのキーワードになると思います。
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この回答へのお礼

20歳・・・無理です・・・・・どうして良いのかわからなくなります。
50歳でもひきずるのですね。私もそうなりそうです。
寿命で病気で90代で・・・というならまだなんとかなりそうですが。

親孝行ですね。

お礼日時:2015/08/11 10:07

自立とは、大好きなお母さんがたとえこの世に居なくても、お母さんが心配しなくて済むように日々一生懸命生きる事でしょう。


今からこんな風では大変ですが、気持ちのコントロールがしやすくなるために、スピリチュアルの本を読むことをお勧めします。
死は悲しいですが、スピリチュアルの考え方では、「おかえりよく頑張ってきたね。次の生まれ変わりまでまた準備して頑張ろう。」です。

死ぬと言う事は、ある程度の修行が完成されて、お許しが出たと言う事です。
それは、生まれてくる前にある程度お母さんが設定してきているので、突然ではないはずです。(たまに間違っちゃう事もあるみたいですけど)
そして、亡くなった後はあなたの事を見守ってくれているはずです。
余り、いつまでもメソメソ自分の生活もままならない様な生活を続けていると、お母さんも気が気でなくて、お母さんの修行を遅らせることになりますので、ご注意を。
お母さんにはお母さんの修行がありますから。あまり足を引っ張らない様にしないといけません。

たまに大好きすぎて、骨などこっそり持ち帰って来てしまったりする人もいますが、持ち帰られたら大迷惑な事です。
ちゃんと供養して、感謝して、またの生まれ変わりのために安らかに成仏する事を願うのなら、自分が立派に生きている様を見せてあげるべきです。

思い出さないのは薄情なわけではないです。
節々で思い出すだけで十分ですし、あなたが悲しんでばかりいたら、あの世から見ているお母さんも悲しがります。
要するに、先に亡くなったお母さんと楽しい事を経験して、一緒に楽しんであげたら良いのです。
今自分はしあわせでこんなに人生を謳歌していると、伝えてあげたらお母さんも喜びます。

お母さんを悲しませたいのなら、いつまでもメソメソしているしかありません。
どんな死に方をしても、自殺じゃないならある程度の寿命です。

ちなみに年をとって老衰でなくなるのは、少ないそうですね。
年をとってからの病気はほとんど癌らしいです。
細胞が老化するのだから仕方ないのでしょうか。

お母さんの心配をする前に結婚して家庭を持って、お母さんのあなたへの心配を失くす事も大事じゃないですか。
厳しい事を書きましたが、あまりそんな事ばかり気にしていると、精神的に不安定になってしまいますから、もっと本を読んで精神的に強くなってください。
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この回答へのお礼

結婚して家庭を持たないと、親孝行にならないのでしょうか。
だとしたら親孝行とは一体。
色々問題があるから、結婚も子供もいらないのですが、その自分の人生を押さえつけて我慢してまで、母親への親孝行は想定していませんでした。そういうものなのでしょうか。
私は結局、母親のことを考えてない、自分の人生しか考えてない、甘ったれだったのかもしれません。

お礼日時:2015/08/11 10:09

その時の感情のコントロールの方法ということ。


そこに限定して参考意見を述べます。

最愛の人が亡くなったとき、覚悟がある場合もあれば、ない場合もあるし、
覚悟の度合いもあるし、お母様がおいくつまで長生きするかもあるし、
突然なくなる場合もゆっくりと亡くなる場合も様々です。

今のように、具体的心配をして対策を取るのもひとつですが、その時のコントロールに
役に立つとは正直思えません。なぜなら、亡くなることを覚悟するとは、そういう生半可な
覚悟ではないので。覚悟のうちに入らないのです。
最愛の命が亡くなることが人にどういうものをもたらすか、経験談等を読んでおくほうが、
まだ役立つでしょう。

挫折からの回復の強さを磨くこと、これもひとつ大事です。一生懸命生きないと深い挫折も
しないですが、若いので、様々な苦難や物事に全身全霊をかけてぶつかっていく事は大事です。
そういう経験は少しだけ役に立ちます。未経験でいきなりその時を迎えるのと、いろいろ経験した
後で迎えるのとではコントロールできる力が違います。

今、あなたがやってることは目の前の不安の対処だけです。そういう想像の不安と闘う程度では、
現実に発生した場合には、無力だと思います。

生きるという事の厳しさと明るさを知る事。これも大事です。達観的な境地です。
人はいつか亡くなり、通常、年長者の親が先に亡くなる、その場合に残された者は
何が必要か。親はどう思って亡くなるのか、子供の幸せを願って亡くなるのが親心だろう、普通は。
そうしたら、さんざん悲しんだ後は、明るく未来を創っていくことこそが大事だというような、
きちんと地に足がついたポジティブな生き方がきるように、
学んでいくこと、実践して生きて行くことが大事だと思います。

厳しさを知り、強く明るく生きて行ける人間に少しでもたどりつくよう、その時を
迎える時まで一生懸命生きていくことです。

そして、少しでも悔いを残さないよう、お母様を大切にし、そして、親がいちばん喜ぶ
子供の幸せな姿を見せていくことです。結婚や孫だってそのひとつ、仕事上の活躍だって、
いや、笑顔のひとつだってそう、馬鹿話だってそう。幸せに生きてることを実感してもらうことです。

今は、覚悟も実際にできる状況ではないので、どちらかというとお母様を大切に
明るく楽しく愛情を注ぐほうが大事です。あなたが抽象的にする覚悟と、実際に
「余命○日」と言われてから形成していく覚悟とでは、質も程度も違いすぎるので。
事前演習は無理です。
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この回答へのお礼

つまり、今から考えていくのは、無駄ってことですか?

甘くみるんじゃねえぞクソガキが、、、という感じで。

お礼日時:2015/08/11 10:05

無駄とは思いません


方向性が違うと思います
どこに私が、「クソガキ」という要素を盛り込んだだろうか。
卑下しすぎです。

甘くはないというのは真実です。
特に、今、若いお母様が亡くなったりしたら、
その衝撃は想像を越えています。
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この回答へのお礼

無駄ではないが甘い、という感じでしょうか。

生きることを理解すること?難しくて分かりません。

どうやったら理解できるのだろうか。本にはのってない。経験でしょうか。
経験・・・一生懸命生きる。

結局自分は、甘い人生だったということです。甘く楽な環境にフワフワして生きてきたから…。
そういう意味ではクソガキは正しいです。
もうよく分からなくなってきました。

なるようになるしかないでしょうか。死んだら死んだで、その時考える。
でも防犯カメラはやめられそうにありません。
それに自分が殺されるかもしれない。母親が殺されようとしたら自分が先に相手を殺しにいく覚悟を持てるようには、ガンバりたいです。

お礼日時:2015/08/11 11:39

無駄ではないが、おそらく焼け石に水だろう。


キミを非難したいのではない。

生きる事の厳しさを理解すること、そんなの難しいに決まってる。
だから達観的な境地という言葉をつかっています。
もちろん、経験です。きちんと仕事して、人と交流してという
ことだと思います。

甘い人生も何も、キミはまだまだ若いのでしょう。
誰でも、キミくらいの人生で達観的な境地なんか
行くはずがない。誰だって、年長者から見れば甘いに決まってる。
それをクソガキなんて非難するつもりはない。

なるようにしかならないという事ですね。
やめられない防犯カメラ等はそのままでいいけど、
視野を広げて、目の前の母を失う事に集中しすぎる自分を
変えていってほしいなと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なんというか、甘ったれ人生というのは、自分で考えてみての結論でした。あながち間違いではないかも。
でも20代だからってのも、あるんですかね。
学生の頃から考え方が変わらないっていうか、悪化してる気もするので、焦っています。
同年代の周りを見渡しても立派に立ってるし。私は何をやっているのか。でもどう治せば良いのかさっぱり分からない。

なるようになれも一つの案でしょうか。
気になるから自衛だの防犯だのは、出来る範囲でやりたいですが。
経験大事ですね。経験かあ。
周りを見渡せるようになれたらなと思います。

お礼日時:2015/08/11 13:36

キミと何回かやり取りをして、キミは反省をしすぎるように思う。


甘ったれとか、最初はクソガキとか。

でも、逆に、その反省が、本気なんだろうか、という疑問も
同時に湧く。

何をどう治すか、それこそ、今、あなたが甘ったれずに
生きることなので、根本は自分で考えるべき事だと思います。
反省が本気なら。そういう事を自分で考えるのが自立だとも思うし。

でも、視野を広げるというのはとてもキミに必要だと思う。

経験がいちばんだけど、直接経験できないときも、本や映画や間接経験をするものは
たくさんあります。自分の経験なんてたかが知れてるとも言えるし。

たとえば、あなたの自立に関する考えは読ませてもらうと20代にしては
少し幼稚に思えます。ごめんね、応援したいから、こういう言い方に
なってしまうけど。自立に関する本や映画は、ハウツーものから小説まで
数限りなくあると思います。そういうもので視野を広げるのも
必要かなあと感じました。こういうネットより、もっと有意義な
間接人生体験できたり、意見が聞けたりすると思いますよ。
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この回答へのお礼

それが、自分でもよく分からないのです。
今までのことからして、自分がクソガキとか、甘ったれとか、は概ね事実なのです。そう思います。
でも、「本気でそう思ってる?」と言われると、自分でもよく分かりません。
自分を守ろうとしているのだから、本当は自分で自分の存在を大切に思っているということではないでしょうか。
人にいちいちイライラするし。
だから本当は、そこらへんの阿呆共よりは、自分という存在の方が価値がある特別な存在だと、思っているのかもしれない。
理屈では自分がクソガキの甘ったれの無価値だと思ってる。
感情では自分はそこらへんの阿呆共より存在価値があると思ってる。
ってことでしょうか。
そうだとして。でも、どっちが本当の自分なのか分からない。

自分で考えて、でも分からない。
これは自立してないということ。
本気で反省してるかもわからない。

結局自分は、自分の為に母親に死んでほしくないのであって。
母親のことなんて考えていなかったんだと思います。
ほらこういうところがクズ人間なのです。

でも、一度「Aである」と思ったことを、正しい道の「Bである」に治す方法が分からない。

本は、好きでした。幼稚園から小中と。
でも高校から文章が苦痛で。たいして面白くない。

自立についての人の意見は気になるけど、自立についての本は興味ないです。
なんなんだろうこれ。
これを考えるべきか。

お礼日時:2015/08/11 22:27

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