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科学の公理によれば、信用をなくした理論の寿命が尽きるのは、理論に従っていた人たちが急速に改宗するからではなく、最後の信奉者がようやく死に絶えたときである。
(ロバート・シャピロ『生命の起源』長野敬・菊池韶彦訳 朝日新聞社 55ページ)

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ここでシャピロはパストゥールが自然発生説を打ち砕いたのちの状況について述べました。科学も人間社会の一部であり、説得力にあふれた言葉に思へるのですが、「科学の公理」(原文は「a scientific maxim」科学の格言)といへるほどのものなのですか。

質問者からの補足コメント

  • ブログの最新記事を拝見しました。勘違ひをなさつてゐるやうですが、私はただのトラック運転手です。かなづかひは故丸谷才一氏のまねです。しよつちゆう誤記があります。現代かなづかひは、だれもが間違へずに書けるやうにしよう、といふ厳しい主張ですが、歴史的かなづかひは、まちがひ大いに結構といふのんびり型なので気が楽です。

    ベラー『徳川時代の宗教』(岩波文庫)はネットで注文しました。山片蟠桃『夢の代』(中央公論新社)は品切れでしたので、休日に図書館で読みます。鎌田柳泓『心学奥の桟』は見つかりません。南方熊楠作品集kindle版が99円でしたので購入しました。
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    名回答をいただくと、書籍代がかさみます。教えて!gooは有害サイトです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/20 19:11

A 回答 (2件)

科学の格言として優れた言葉ですね。

信用をなくした理論の代表に神による生物の創造説があります。ダーウインや、それに半世紀ほど先立った江戸時代の石門心学一派の鎌田柳泓や山片蟠桃による自然淘汰に基づいたの進化論の出現は、その後のDNAの進化のレベルでも確認され正当化されました。しかし、例えば原理キリスト教国家のアメリカでは現在でも確か80%を越える人々が、創造説が正しく進化論は間違いだとする統計が出ているそうです。私自身アメリカに住む物理学者ですが、そんな私が、一神教の文化を持つユダヤ人で生産的な科学的寄与をしている優秀な理論物理学者の何人かと会話をしたことがあります。彼等はそのように高い科学的合理的訓練を受けて来たにもかかわらず、進化論は間違いだと言っておりました。この格言のように、ユダヤ・キリスト教的一神教の信者がようやく死に絶えたときが、創造説の寿命が尽きるときでしょう。

因みに、「科学の公理」は誤解を招く大変拙い訳です。「公理」という言葉は学術的に定義された言葉であり、感覚的雰囲気的意味合いの広がりを許容する日常語によって起こる混乱を避けるために案出された言葉です。残念ながら、この訳者は、奇を衒った刺激的な言葉を使う今様の悪しき風潮に流されて、「科学の格言」という適切な表現で済むところで、言葉の陵辱を犯してしまっているようです。
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この回答へのお礼

トラック運転手のplapoti(またはplapota)と申します。ブログには何度かお邪魔して明快なコメントを頂戴しましたが、Q&Aで回答をいただくのは初めてです。

「最後の信奉者がようやく死に絶えたときである」といふ言葉は当つてゐるやうに思へるのですが、素人の私では実例が浮かばず、質問した次第です。「神による生物の創造説」といふ御指摘は適例と存じます。質問文の書物の内容に近いのですが気づきませんでした。

>江戸時代の石門心学一派の鎌田柳泓や山片蟠桃による自然淘汰に基づいたの進化論の出現

この名前は初めてうかがひました。著書をどこで入手できるのかわからないのですが、探してみます。日本在住者よりも日本のことにお詳しいのですね。

>この訳者は、奇を衒った刺激的な言葉を使う今様の悪しき風潮に流されて

言葉の意味がとれないゆゑの誤訳ではなく、読者受けを狙つてゐます。重要な箇所や疑問に感じる部分は元の本を参照するのですが、翻訳はむづかしいものです。副題は「a skeptic's guide 懐疑者による案内」となつてゐて、オパーリンやミラーからクリック、ホイルにいたるまでの諸説を神話レベルとして解説してゐます。科学への取りくみがcyototuさんに似てゐるやうに感じます。Robert Shapiro氏とはお知り合ひですか。

御回答ありがたうございました。最近miko-desiさんの姿が見えないので心配してゐます。cyototuさんが投稿なさつてゐれば、そのうち出てきてくださるのではないかと思ひます。

お礼日時:2015/09/20 07:49

#1です。



>著書をどこで入手できるのかわからないのですが

著書名は、

鎌田柳泓の『心学奥の桟』と山片蟠桃の『夢の代』です。

ダーウインの専門は鳥類学でしたが、『進化論』のなかで、家畜鳩の品種改良の観測から説き起こして、それを敷衍する形で自然界の自発的進化を唱えました。

鎌田柳泓はダーウインより半世紀ほど前に『心学奥の桟』のなかで、当時浪速で流行っていた変りものアサガオの品種改良の観測から説き起こして、それを敷衍する形で自然界の自発的進化を唱えました。ダーウインは鎌田柳泓と全く同じ発想から鎌田柳泓の発見に導かれたのです。ただし、鎌田柳泓の主張には進化のメカニズム(機構)が論じられていなかったのですが、同僚の山片蟠桃が少し遅れて『夢の代』の中で、具体的な例を示しながら自然淘汰の機構を論じました。

私のブログ『日本人てすごい 10 「貴方が悪い」ではなく「貴方に悪い」』

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1149485 …

の中で石門心学と進化論に少しに触れてありますので、参考にして下さい。

但し、鎌田柳泓の『心学奥の桟』を読む場合、物事の発見の価値に対する公平な見方が必要です。鎌田柳泓は、進化論を論じた後で、鬼神の存在とその役割を論じております。人類の発見史を本気で考えたことのない表層的な連中は、そのことから、鎌田柳泓の発見が科学的でない、あるいは合理的でないとの批判をしがちです。

実は、この批判は全く当たりません。例えば、デカルトは、モンテーニュによる、「我何をか知る」の言葉で象徴される思考の停止しか導かない「懐疑論の非生産性」の指摘で哲学界の足下をすくわれた哲学界の恐慌状況の打破に専心した結果、「我思う故に我在り」で象徴される「生産的懐疑論」に至りました。このことは、西洋哲学界で理性の誕生、あるいは、合理性の誕生として高く評価されています。ところが、その発見を述べた数頁あとで、彼はこの合理的思考の論理的帰結として、神の存在が証明されたとほざいております。その部分は、神を鬼神と置き換えれば、鎌田柳泓と同じレベルです。神学の新しい定義は、在りもしない学問とも言われており。物理学でも、量子力学ではカオスが存在するための必要条件であるポアンカレの非可積分性定理の成り立つ条件が満たされておらず、従って、原理的に存在しないことが明らかになっている(量子)カオスの周辺を論じる量子力学の物理学領域のことを

[量子論+カオス+神学(テオロジー)]/3

として、「量子ケオロジー」と呼ばれているくらいです。ですから、一神教の連中でもない限り、デカルトの論じる神は鎌田柳泓の論じる鬼神と全く同列です。

それにもかかわらず、デカルトの「生産的懐疑論」が理性の勝利として毛唐どもとそれの信奉者の西洋かぶれどもに高く評価されており、一方では鎌田柳泓の進化論が鬼神を論じたゆえに高く評価されていないと言う支離滅裂な不合理性を私は理解できません。発見の重みは、その発見その物で判断するものであり、その経緯の前後関係は二義的な重要性しか持たないからこそ、多神教の我々日本人には訳の解らない一神教の神を持ち出しているにも拘らず、デカルトも評価されていることを忘れてはなりません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。

>鎌田柳泓の『心学奥の桟』と山片蟠桃の『夢の代』です。

探してみます。ベラー『徳川時代の宗教』は近所の本屋に在庫がないやうですので注文します。

>ダーウインの専門は鳥類学でした

私は最後のミミズの本が好きです。『種の起源』は自説に都合の悪い証拠を列挙してゐるところに好感がもてます。まるで反対派の著作みたいです。

>私のブログ『日本人てすごい 10 「貴方が悪い」ではなく「貴方に悪い」』
>「かたじけない」とか「ありがたい」と言う感謝の気持ちですからね。

おつしやるとほりと存じます。私がQ&Aサイトで誤回答迷回答をするたびに質問者から「バカは薬をのめ」といふ助言をいただきます。ありがたいことです。おかげで頭の治療のために毎晩忘れずに薬をのむことができてゐます。製薬会社の所在地はフランスのボルドーで、薬のラベルには成分表示としてアルコール12%と記載されてゐます。

>量子力学ではカオスが存在するための必要条件であるポアンカレの非可積分性定理の成り立つ条件が満たされておらず

??????
私の頭も空虚であり、満たされてをりません。

>デカルトは、モンテーニュによる......

論旨はこれまでも何度か拝見してゐます。デカルトは『方法序説』しか読んでゐませんし、モンテーニュは本も持つてゐませんのでコメントできません。先日岩波文庫で『エセー』が復刊されてゐましたが、全6冊で高価なので貧乏人には買へません。

>多神教の我々日本人には訳の解らない一神教の神を持ち出しているにも拘らず、デカルトも評価されていることを忘れてはなりません。

承知いたしました。今後も御指導よろしくお願ひいたします。

お礼日時:2015/09/20 10:19

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