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みなさんは どうお考えですか?

質問者からの補足コメント

  • 勘違いがあったかも知れません。

    わたしが確実に読んだのは パスカル の『愛の情念に関する説』 でした。
    友だちと読書会をやったので 覚えています。

    デカルトの『情念論』は 内容がいまでは分からないだけではなく 読ん
    だかどうかの記憶も定かではありません。

    つまり ほかの主著は読んでいても この本は ほったらかしにしてある
    かも分かりません。

    精確を期しまして。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/20 20:18

A 回答 (16件中1~10件)

女人成仏は提婆品にあると思うのですが、解決の糸口はあるでしょうか。

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この回答へのお礼

問題にするほうが おかしい。根本的におかしい。

自明です。





ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/23 06:01

これは舎利弗さんに、法華経を説くのは難しいので、重々注意すべき点があることを述べているようにみえます。



大事(大切)なものを大事(大切)にせよ、と述べていると思います。

ひとりひとりの意志の自由は大事なものですよね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

スッタニパータに載ったゴータマの発言です。美女マーガンディヤ―との
物語です。

すなわち 次の詩句 835 の言葉が曲者です。

マーガンディヤ(男性名)なるバラモンが その娘で美女のほまれ高いマ
ーガンディヤーを ゴータマに嫁がせようとして結婚を申し込んだ際 そ
の問いかけに対するゴータマ自身の答えだと言われています。

ゴータマは その求婚をことわるのですが その内容について人びとは 
どのように受け留めるか? かのじょの意志また心を踏みにじるおそれが
あると わたしは 考えます。


▼ (スッタニパータ・<9、マーガンディヤ> 835-847) ~~~

835  (師((ブッダ))は語った)、

   「われは(昔さとりを開こうとした時に)、
   愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、
   かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。
  
   糞尿に満ちた身の(女が)そもそも何ものなのだろう。
   わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ これを聞いた当の本人マーガンディヤーは ゴータマに対して恨み
をいだきます。それが のちのちまで尾を引きます。・・・

お礼日時:2017/10/23 01:19

妙法蓮華経 譬喩品第三 の偈にあります。



以信得入 のあとのほうにあります。
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この回答へのお礼

理論的な根拠が 大事です。

ですが 脅しは それ自体で 人間性――意志の自由――を踏みにじる
ので アウトです。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/23 00:51

受難のひとの残した言葉に、うまく納得できるような解説を付けられないとき、わたしを阿呆と呼ぶのは構わないですが、受難のひとを阿呆と呼ぶのは避けていただきたいです。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★★ 法華経を傷つけたら地獄である
☆ といった捨て台詞のような・脅しのような表現をするときには 
よほど慎重に理論的な説明をすでに用意している必要があります。

おそらく たとえば念仏無間といった命題にも 理由が述べられて
いるはずです。

ですが 《地獄に落ちる》といったことの実証は むつかしいはず
でもあります。

そして早い話としては この言葉を聞いたら人びとは あぁこわい
と恐怖をおぼえるはずです。

だとしたら ただの脅迫になるおそれが 大です。

そういう振る舞いをするのは 無法者です。これを 日本語では
阿呆と呼びます。

お礼日時:2017/10/22 23:16

哲学のエッセンスにふれる質疑応答はやめてくれというマインドはいかなるパッションの表れなのか?



なのですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ・・・いかなるパッションの表れなのか?
☆ ・・・いかなる意味を持つか?

とすれば それでよいのだと思います。

お礼日時:2017/10/22 22:22

デカルトさんが『情念論』で扱う(パッション)というものは、日本語で使う情熱・情念とは違っているのかな、とは思いました。



(受難)まで考えてはいないように思います。

デカルトさんがここで扱っているものは、(気持ちの身に起きている動きを精神が認識したもの)、これはセンスが近い言葉でしょうか。


打てば響くように答えるとき、このときあまり作りこみは起こらない、そして作りこみを起こさない範囲で答えようとします。

このとききっといろいろな粗ができると思います。


どうしても粗をいじられたくないな、と思うとき、ひとは身構えてしまいます。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ デカルトさんが『情念論』で扱う(パッション)というものは、
日本語で使う情熱・情念とは違っているのかな、とは思いました。
☆ そうですか。これは 読んでいますが ざんねんながら コ
メントできるほど覚えていません。

どう違いますか?

★ (受難)まで考えてはいないように思います。
☆ 受難に当てるのは たしかにひとつの究極ではないかと思い
ます。でも 一般には当てていますよ。

★ デカルトさんがここで扱っているものは、(気持ちの身に起
きている動きを精神が認識したもの)、これはセンスが近い言葉
でしょうか。
☆ ということは 幅広く気持ちの動きを捉えたもの・一般性の
ある意味なんですね。


★ ~~~~
打てば響くように答えるとき、このときあまり作りこみは起こら
ない、そして作りこみを起こさない範囲で答えようとします。

このとききっといろいろな粗ができると思います。


どうしても粗をいじられたくないな、と思うとき、ひとは身構え
てしまいます。
~~~~~~
☆ そうですか。経験を積むという問題もありますが まちがっ
たら――また 相手からの指摘を受けてこれをとうとび―― 訂
正すればよいと思います。

あやまつは 人の常。人間は 時間的な存在ですし。

お礼日時:2017/10/20 16:26

心情はパッションですか?

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

《精神》とは 《身と心から成る自然本性》としての人間が世界に
あって生きるとき働かせていることのすべてを認識し記憶し意志す
るハタラキです。《心》のほうであり その全体です。

《心根》とは 半ば文学的に想像の世界で この《心・精神》の根
底にあるものといった意味で用いたものです。

《感性・感覚・感情・気持ち》は 《身》に起きているウゴキ〔を
精神が認識したもの〕です。

《パッション》は 幅広くいろんな意味合いがあります。

人類のすべての苦悩を背負って十字架に就くということは――それ
の良し悪しを別として―― 《受難》という意味合いでパッション
と呼ばれます。

一般に 感情としての情熱を帯びた強い意志として パッションと
呼ぶのだと思います。

《心情》は 感情です。
《信条》は 思想を帯びた意志です。

パッションは 信条と心情を含むと言えるかも知れません。


見落としがないといいんですが。

お礼日時:2017/10/20 15:48

精髄はエッセンス、精神はスピリット



心根を言い換えるのに適した言葉がわかりません。

キャラクターではこの文の意味とは違うもののように感じます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

この№9回答を見過ごして先に №10にお応えしました。



《ガッツ》ですね。(ほかにあるかも知れません)。

お礼日時:2017/10/20 16:08

>証明しなさい



もう、手が尽きましたか?
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この回答へのお礼

いつまでもふざけていてはいけない。

お礼日時:2017/10/19 23:18

そうゆうのはニートが考えること、考えたくもない。

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この回答へのお礼

かまいません。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/10/19 21:38

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