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よろしければ、ご指導をよろしくお願いいたします
医者は三年ぶりに故郷の村に帰った。
そして、村の北にある村長の家に入ろうとした時。
医者「ん……? 鍵がかかってるな……」
村娘「先生、村長はいつもなら<この時間には/この時間は/この時間に>
村のどこかでお茶を飲んでいますよ」
医者「そういえばそうだ<な/ったな>……」
村娘「村の中を探してみましょう」
医者「ああ」

A 回答 (2件)

質問する・回答を期待する・回答を理解し不明部分をさらに質問する/どう理解したのか確認するというような流れもあり得るのです。


https://oshiete.goo.ne.jp/profile/542267510
《文のニュアンス、または意味の違いは何でしょうか。(質問者:xygod 質問日時:2015/10/27 17:33)よろしければ、ご指導をよろしくお願いいたします》
ご自身では、提示した文で、その意味やニュアンスをどのように理解しているのでしょうか。 もしも、「hakobuluさんの回答」を読まれたのであれば、それでどう理解できたのか、あるいは質問意図とズレなどを感じているのかなどを示さないと、文意などの把握も、文章構成や校正の技量向上も効果がえにくくなります。

通常、文は、特に発話は、状況などを把握し、発話者、筆者を思い浮かべないと、意味を取り違えたりします。

提示文の場合、記載されているのは発話です。
村娘、故郷の村などの用語、「三年ぶりに故郷の村に帰った。そして、村の北にある村長の家に入ろうとした時。医者『ん……? 鍵がかかってるな……』」という状況からして、時代設定がうかがえます。どんな村かわかりませんが、通常村なら出かけるとき玄関に施錠することはないです。3年ぶりの訪問者が声もかけず、ベルも鳴らさず、アポもなく、他人の家の玄関を開けようと直接行動にでるのは、3年前までは、そうした行動が自然であり、施錠されてはいない、そのような状況は変わってないと登場人物である医者が思い込んでいると推量するのが自然です。さらに、そこに登場する村娘の立場が不自然です。『先生、』と呼び掛けていることから医師を知っている状況を示しています。しかも挨拶抜きで、a『村長はいつもなら この時間 村のどこかでお茶を飲んでいますよ』b『村の中を探してみましょう』と発話しています。この発話はなにを示しているでしょう。村娘は偶然通りかかったというより、医者と同行していたかのような発話です。では、何故、村娘は医者が村長家に入ろうとするまでアドバイスをしなかったのか、この村娘なるものが村長のこの時間の習慣を知っているのなら、おかしな行動と云わざるを得ないです。
そうなると、村娘には社会常識や一般的行動慣習に問題があるだけでなく言語の社会的習得状況にも問題がある可能性があると推量して、発話のニュアンス理解をする必要があります。
イ"先生、村長はいつもならこの時間には村のどこかでお茶を飲んでいますよ"
ロ"先生、村長はいつもならこの時間は村のどこかでお茶を飲んでいますよ"
ハ"先生、村長はいつもならこの時間に村のどこかでお茶を飲んでいますよ"
ニ"先生、村長はこの時間はどこかでお茶を飲んでいますよ"
ホ"先生、村長はいまはどこかでお茶を飲んでいますよ"
ヘ"先生、村長はどこかでお茶を飲んでいますよ"
A 村娘はどれも区別しないで使うだろう
B 村娘は使い慣れた表現・言葉遣いを(細部には気を使わず)するだろう
C 村娘は文のニュアンスなど気にしてはいないだろう

医者についての推量は前記の通り、3年前の村の様子が現状も続いていると思い込んでいる、3年振りに村に戻ったのに無言で他家に入る直接行動をすることを何とも思っていないということ、村娘ともある程度知り合いであるか、見ず知らずで初見の村娘でも気の置けない会話をする行動習慣を持っているかがうかがわれます。そうした医者であると考えて発話のニュアンスを読み取るのが普通です。
甲"ん? 鍵がかかってるな"~~"そういえばそうだな……"~~"ああ"
乙"ん? 鍵がかかってるな"~~"そういえばそうだったな……"~~"ああ"
この医者は村娘との会話に気が向いてはいない。自分の思いの中にと止まり、独語が相槌や会話を兼ねる方法に近い発話をするタイプの人物と推量するのが妥当でしょう。
α "そういえばそうだな"も"そういえばそうだったな"も、聴き取った現状判断への納得でも過去の想起に基づく自己納得でもなく、単に"考えや判断を切り替えるときの定型句"であって、特にニュアンスを変えているつもりはない。
β "そういえばそうだな"は村娘への応答のつもりは医者にはなく、"そういえばそうだったな"も過去の想起に基づく自己納得でもなく、自分の失敗や失態を隠しカバーするいつものポーズでしかない。発話者である医者には、文・発話の「そうだな」「そうだったな」はニュアンスを切り替えた意思や思いはない。
γ "そういえばそうだったな"は自分が失態を演じたのは村長の過去の習慣を3年も前のことだったので忘れていたんだという釈明の気分を示。 一方、"そういえばそうだな"は"村長は村のどこかでお茶を飲んでいますよ"との村娘の発話の妥当性を認め&自分の失態は話題からハズしたことになるので(村娘に対して自分の沽券を保ちたい医師ならば妥当な発話になるが)、村娘意識を気にしてない医師には、特別にこの表現で言い分ける・使い分ける価値がない。従って、"そういえばそうだったな"も"そういえばそうだな"も医師にとってはニュアンスの違いを使い分けたものではない。それを聴き取った村娘も、ニュアンスが違うとは受け取らない。

言葉などの微妙な意味合い。また、言外に表された話し手の意図などは、それを気にするヒト以外には存在しない。
誰が話し手、誰が聞き手、誰が書き手、誰が読み手、どのような状況なのか、主題はなにかなどを総合的に考えて、ニュアンスが異なるとみるか、特にニュアンスなどないとみるかしないとならないと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。
また、とても参考になるご意見、真剣なアドバイスを頂きまして、ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/28 06:25

1.村娘「先生、村長はいつもなら<この時間には/この時間は/この時間に>


村のどこかでお茶を飲んでいますよ」

a.「この時間には」
⇒格助詞「に」+係助詞「は」という構図です。
「この時間」を強調的に表現している。
「この時間になるといつも、村のどこかでお茶を飲んでいますよ」というニュアンス。
b.「この時間は」
⇒主題提示の係助詞「は」です。
「この時間」について何か言いたい場合の表現。
「この時間は、村長が、村のどこかでお茶を飲んでいる時間ですよ」というニュアンス。
c.「この時間に」
⇒「この時間に、村のどこかでお茶を飲んでいますよ」という表現はしません。
「この時間なら、村のどこかでお茶を飲んでいますよ」
または、
「この時間に、村のどこかでお茶を飲むのが習慣です」
などであれば自然な文です。

2.医者「そういえばそうだ<な/ったな>……」

a.「そうだな」
⇒「村のどこかでお茶を飲んでいますよ」という村娘の発言を肯定しているニュアンス。
b.「そうだったな」
⇒「村のどこかでお茶を飲んでいますよ」と村娘に言われて、そのことを思い出したニュアンス。
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