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「窒素肥料を環境に優しいままで使用するにはどうしたらいいか」という問題に対しての科学的な解決策はありますか?

A 回答 (5件)

いわゆるトンデモや迷信的な話題ですね。


科学とは、小学校から理科で連綿と学ばれたように・・
自然に親しみ,見通しをもって観察,実験などを行い,問題解決の能力と自然を愛する心情を育てるとともに,自然の事物・現象についての実感を伴った理解を図り,科学的な見方や考え方を養う。( http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youry … )
 「見通しをもって観察,実験などを行い,・・・科学的な見方や考え方を養う。」
 物事の原因を推論し、実験や観察によってその推論が正しいか否かを判断できる能力ですよね。

 そのためには、「窒素肥料を環境に優しい」が何であるかを定義しなおさないと話が始まりません。なぜなら、一般的に窒素肥料は環境に悪いものではないからです。森林が破壊されて砂漠化するのは土壌から窒素分が失われるからでしたね。
 →「あるいは窒素固定できないものでも窒素肥料を使えば素人でも緑化できます。」( http://elekitel.jp/elekitel/sci_talk/cont97/revi … )の上から1/4あたり
 →森林と魚 - 日本水産資源保護協会( 018.pdf( http://www.fish-jfrca.jp/02/pdf/pamphlet/018.pdf )

 そこでどのような場面に置いて窒素肥料が環境に対してやさしくないかを決めないことには・・・
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何を「科学的」というかが問題ですが、客観性は「科学的」であることの重要な要素です。



すなわち、人によって物の見方が異なるような点があると「科学的」とは言いにくくなってきます。

例えば、「富士山はとても高い山である。」という文章は、科学的とは言えません。
「とても高い山」と「高い山」の区別が不明ですし、そもそも「高い」の定義がわかりません。
科学論文であれば、こういった文があると大きく減点されます。

「富士山は日本で一番高い山である。」
あるいは、
「標高3000mを超える山を高い山と定義し、標高3500mを超える山をとても高い山と定義する時、富士山はとても高い山である。」
といった文章は科学的内容を表現するのに適しています。

ということで、「環境に優しい」という言葉の定義が不明である以上、「窒素肥料を環境に優しいままで使用するにはどうしたらいいか」という問題自体が、科学的問題とは言えず、「科学的な解決策」もありえません。

強いて「科学的な解決策」を求めようとすれば、「環境に優しい」自体の定義から定める必要があります。
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実行できるかどうかを別に考えれば、農地以外に窒素肥料が流出しない仕組みを作るか、窒素肥料がすべて農作物に吸収されれば、問題は解決出来ると言えるでしょう。


要は、どうすれば、それを実現出来るかと言う事です。
農地と他の環境が接続しているのが原因と考えれば、それを遮断すれば良いわけです。
窒素肥料の他環境への流出経路を考えれば、何らかの解決方法は考えられ可能性はあります。
環境に優しいとは、どの程度のレベルかを設定する必要があるでしょう。
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適量を使えば環境にやさしいです

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>「窒素肥料を環境に優しいままで使用するにはどうしたらいいか」という問題に対しての科学的な解決策はありますか?



 ある。
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この回答へのお礼

あるならその解決策を説明してください。

お礼日時:2015/11/08 18:36

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