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橋下市長は民間にもたくさん優秀な人物がいて、民間的な手法で教育を改革してくれるだろうと校長公募を始めたわけですが、大前提の優秀な管理職が無職でリクルートをしていると言うことがあり得るでしょうか?
 優秀な管理職ならリストラされることもありませんし、会社が成長することはあっても潰れることもありません。たとえ潰れた会社に優秀な管理職がいたすれば、何万モノ会社が優秀な管理職を求めているわけですから放っておくはずもありません。
 また現在、管理職として責任ある地位に就いている人物が職を放り出して校長になるとすれば、それは会社対する裏切り行為だと思いますし、道徳的に人間として許されることではありません。
 そんな道徳的に許されない人物が校長になるとすればそれは、誠実、正直、努力を教えるはずの教育が崩壊することになります。
 皆様のお考えはいかがでしょうか?
 今度の大阪市長選で維新の会が勝てばこのまま校長公募が続きますし、自民党が勝てば廃止されることになります。 
 その点も踏まえて回答をお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • どうも大阪の教育界には正しいことを言ったら、いじめられるそんな構図があるようです。
     正しいとこを正しいと教えるのが教育なのです。教育の本質すら分かっていない人が校長公募を指示しているのかと呆れています。
    校長公募なんて言っているのは、多くの政党で維新の会だけです。その維新の会の支持率は共産党以下の3%もありません。全国的に実施しているのは大阪だけです。ですから校長公募賛成論はきわめて少数意見であることを自覚して回答して頂きたいと思います。
     どうも、道徳とは何なのかも分かっていない人物が校長公募を指示しているようですが、維新の会は日本の道徳を破壊していると誤解されますので、是非維新の会の公的な回答をお願いします。
     30年も同じ仕事を続けてきた人物と、何回も転職していった人物のどちらが道徳的なのか? 
     そんな論議はしたくもありません。

      補足日時:2015/11/21 22:02
  • 注目していた選挙が終わりました。これで無限にありも無しない。都構想に振り回されて、校長公募でバカを校長にするのでしょうね。大阪の教育はますます崩壊していきます。
     とりあえず選挙の結果が出ましたので、ココで締め切りたいと思います。

      補足日時:2015/11/22 20:05

A 回答 (28件中11~20件)

No.16です。


現役の管理者が優秀で、リストラされた元管理者優秀でないという判断は違うでしょうね。
大切なことは、校長公募で応募した人物をきちんと評価できる仕組みでしょう。
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この回答へのお礼

何百人の中から一人の人格者を選ぶことは、不可能です。
出来る可能性かあるとすれが、教頭と同じように管理職選考試験を受けてもらって、3年間ぐらいは教頭の仕事をしてもらうしかありません。教頭の仕事が出来ないけど人格者だから校長にするなどが事が許されるほど学校は暇な社会ではありません。
 学力の充実
 イジメの根絶
 非行の防止
 体力の増進
 不登校児の指導
その全てに適切な答えを出して、教師に指導するのが校長の役目です。
 何よりも大切なことは教師の指導です。
 教師はいろんな問題を抱えています。先輩教師に学びながら、教育書を読みながら問題に立ち向かっていくわけですが、最後に頼るのは校長です。その時にどんな指導・アドバイスが行われるのがきわめて重要です。
 ですから問題が起こった学校では校長が全責任を負ってマスコミのインタビューに答えるわけです。
 特にいじめの問題で自殺したことで、校長がインタビューしていましたが、その責任は担任でなくて校長にあるわけです。
http://www.asahi.com/articles/ASHCF5DYLHCFPTIL00 …
こんな記事がありました。大阪では問題行動の指導のあり方を教育委員会が指導するのか?校長の指導力はどうなっているのか?
 と疑問に思いました。
 子どもは毎日のようにケンカもしますし、教師にも叱られます。
 こんな事は担任や校長が十分に指導すれば解決する問題です。
公募は一般的にタレントのオーデションが行われています。全国から何万人もの若い女性が応募しますが、優勝した人で数年後もアイドルでいられるのはごく一部です。逆にオーデションには落ちたけど、今は立派な芸能人の方もいます。
 公募なんてそんなモンですよ。
  優秀な管理職がリストラされたら、また新入社員から頑張れば良いのです。確実に3年以内には課長ぐらいにはなれるはずです。
いつはその人物が社長になってリストラされた元に会社と交渉するかもしれません。そんな人生の方がビジネスマンとしてはやりがいがあるはずです。

お礼日時:2015/11/17 11:21

世の中は広い、理論で考え過ぎです。

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この回答へのお礼

世の中は広いです。実は担任を全くやったことがない人物が校長になる国があります。
中国や北朝鮮などの共産主義の国だけです。共産党員に名誉職を与えるという面もあるだろうし、共産主義を子どもの時代からたたき込むためだと思います。
 日本の教育は理論の世界です。小学校でも何故消防署はこんなシステムになっているか?何故円の面積はπr^2なのかを教えることが教育です。国語でも、この文章の「これは」何を指しているのかそんなことを追求するのが教育なのです。
道徳も何故、道徳的でなければならないのかその学年にあった方法で教えることが、それをどう教えるのかが教育の課題です。
 勿論最近いじめの問題などが増えておりますので、道徳教育はさらに研究する必要があると思います。
教科書に書いてあるからそのまま読みましたなんて事は教育の世界ではあり得ないことです。

お礼日時:2015/11/16 09:54

No.15です。


「今では金持ち=人格者だから校長にしろって話だと思います。全くおかしな世の中になりつつあります」
→それは、最初の質問の意図と少し違ってきていますね。
「優秀な管理職ならリストラされることもありませんし」なのでしょ?
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この回答へのお礼

優秀な管理職であると言うことは。現在すでに責任ある管理職の地位に就いてて、会社の発展の為に、人材の育成のために頑張っている人であると言うことです。
 何億も金を貯めたから今度は校長になろうかな?なんて思う人物が人格者であるはずがありません。
何億の金を持っているのなら図書館の本でも寄贈して欲しいと思います。たいていの小学校にはそんな○○文庫と呼ばれる本が置いてありますよ。ある校長は退職金から相当に金を使って本を送っています。
 企業人であれば、大学出の新人を一人前のビジネスマンに育てるのは、やりがいのある仕事だと思いますし、当然の責務だと思います。同じように学校では教育のベテランが校長という立場で、勉強だけしかしたことがないような新人教師を立派な教育者に育てなければ教育は崩壊します。すでに大阪の教育は崩壊しているのです。大阪の学生が大阪以外の学校の採用試験を受けているそうです。 
 ですから大阪では教員採用試験の倍率が極端に低いのです。
 全国の教師志望の皆さん、大阪では誰でも教師になれる可能性が高いですよ。でもバカな校長が貴方を指導するわけですから、立派な教師には慣れません。
 現実に教頭の志望者も、指導主事も足りないそうです。

お礼日時:2015/11/16 09:40

No.14です。


「そんな管理職がブラック企業を作っているのでしょうね。ですから国家の基本は教育なのだと思います」
→まったく、その通りだと思います。
「明治の文明開化も戦後の復興も日本に教育の力があったからです」
→同感です。
「道徳とは全ての学校教育の中で教えることです。勉強でずるをしない。即ち正直であると言うことを教えているのです」
→そう思います。加えれば、教師だけでなく親もですね。
ただ、少しpapabeatlesさんと私は違う点があるかもしれません。
それは、私は戦後の高度経済成長を必ずしも絶賛していないということです。
経済的に豊かになったことはいいのですが、反面お金さえあれば幸せになれると考える日本人が増えたことです。
また、戦前の旧制中学、旧制高校、旧帝大という高等教育を受けた人達には人格もありました。
しかし、戦後の東大、京大をめざす子供たちは、多くのお金が得られるステイタスを目標にしています。
一流会社で出世するというステイタスです。
ですから、現代では高学歴でも人格は低いです。
お金を稼げる人が優秀という誤った考えも蔓延しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
高学歴であると言うことは、高校時代に真剣に学問をして、必死に努力したという証明なのだと思います。
高校の3年間必死に頑張ることが出来た人物なら、会社に入っても最低3年は働いてくれるだろうという予測です。
 高校時代の3年間ほど人生につらい時期はありません。スポーツをしているのなら朝から晩まで過酷な練習です。受験勉強も本当に厳しいモノです。私の娘は高3ですがあさ6時半には家を出て帰ってくるのは8時半です。勿論その全てが勉強ですし、家に帰っても勉強をしています。どんなにブッラク企業がきついと言ってもこんなにきつい3年間はありないと思います。しかも1円にならないことです。勿論東大を出たから全て人格者だと思いませんが、そんな人物を立派な管理職にするのは日本のビジネスの世界です。
 下町ロケットを見ていますが、ビジネスの世界は自分の会社だけで成立するモノではありません。顧客、下請けなどの多くの会社とまみえながら日々努力してビジネスというモノを学んでいくのだと思います。
 そうやって管理職という人格が作られていくのだと思います。
確かに昔は成金という言葉がありました。人格のない金持ちは軽蔑されていましたが、今では金持ち=人格者だから校長にしろって話だと思います。全くおかしな世の中になりつつあります。

お礼日時:2015/11/16 01:23

No.13です。


「もしもそうでないと思われるのならその会社の株価はどんどん下がることになります」
→その通りですね。
でも、そのタイムスパンはとても長いのです。
簡単には株価が下がることはありません。
「でも人格者と認めら得ない人物を管理職や社長にしたら確実に会社は崩壊します」
→その通りです。
しかし、その崩壊までの時間はとても長いのです。
1年や2年で崩壊しない日本の企業社会の仕組みがあるからです。
実際に、ビッグバンクの内情を知っていますが、とても酷い状態です。
が、生活がかかっている多くの役員、社員がその酷さを守っているのです。
つまり、悪しき保身の集団です。
ですから、酷くても簡単には株価も下がらないし、簡単に倒産もしないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そんな管理職がブラック企業を作っているのでしょうね。ですから国家の基本は教育なのだと思います。
 明治の文明開化も戦後の復興も日本に教育の力があったからです。
道徳と言う言葉を橋下さんは間違っているようですが・・・
 道徳とは全ての学校教育の中で教えることです。
勉強でずるをしない。即ち正直であると言うことを教えているのです。
 努力して勉強したら良い点が取れる。そして褒められる。そうやって努力を覚えます。
 毎日の掃除や給食当番で勤勉を覚えます。
どの子どもも少しでも良い学校に行きたいと思っているのですから、必死で勉強して受験勉強をするのです。
 これが、アメリカとか中国だと親が何億も金を持っていて学校に寄付や賄賂を送ると合格できるシステムが認められています。
 正直・勤勉・努力こそがこの日本の宝なのです。

お礼日時:2015/11/15 22:07

No.7です。


「何処の会社でも誰を管理職にするのか、企業の明暗を左右します。バカを社長にしたら会社は潰れます。優秀な人物が管理職になれば業績は伸びます」
→その通りですね。
「で、誰からも優秀でない管理職と思われる人物を校長にして何か良いことがあるのでしょうか?」
→もちろん、そうですね。
でも、私の経験では、優秀な人ほど大企業では出世しません。
私が優秀というのは、人格、人間性に優れた人物です。
そのような人が公募で校長になるのはとてもありがたいことです。
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この回答へのお礼

トヨタの管理職は立派な人格者だと思います。
 全ての上場企業の管理職も同じだと思います。
 もしもそうでないと思われるのならその会社の株価はどんどん下がることになります。
 確かに私よりも立派な人格者は、農業にも、漁業にも、建設業にも、会社員にもたくさんいます。私などそんな人物に比べたら屁にもなりません。
 でも人格者と認めら得ない人物を管理職や社長にしたら確実に会社は崩壊します。
VWが良い例です。何処かの管理職が排ガスの偽装にOKを出したのです。その時に全ての管理職が反対すればぜったにあんな事は起こらないのです。
 マンションが傾いたのも同じ事です。


 回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 20:58

No.8です。

やっぱり元教師さんでしたか。それでは社会(ビジネス社会)のことを知らないわけで…(ゆがんだところだけを理解しておられるようで)。校長先生に必要なのはマネジメント力ですよ。教師経験や学校という現場経験ではありません。教師の延長線では務まらないと思います。
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この回答へのお礼

校長がビジネスを知っている必要が何処にあるのだろうと思います。ビジネスを教えるのは学校ではありません。現実の会社です。
大学だって1円にもならないような宇宙の謎とか、古代の歴史とか、文学の神髄とかを勉強するモノです。
 特にノーベル賞をとった梶田さんの研究なんて我々素人にはいったい何になるのだろうと思いますが、それを追求するのが教育というモノです。
 そんな勉強をした人たちに新しいビジネスという世界を教えるのは、会社の、上司であり、先輩です。ですから学校は誠実で勤勉な努力家を育てることが何よりも大切なことだと思います。
 誠実・勤勉・努力がない人物が管理職になる事はあり得ないのだから間違っていません。
逆に学校が誠実・勤勉・努力を教えることが出来なくなった時にこの日本は、中国やアフリカのような国にになります。
 まあ現職の教師がこんな事をいったら処分されますので、退職した今しか言えません。

お礼日時:2015/11/15 20:46

公募そのものがおかしいのではく、応募した人物の選考過程や選考委員に問題があるのではないでしょうか。



応募した人物が、応募時に所属したいる組織から高い評価を得ていれば問題ないと思います。そのような人物はそもそも応募しないと思います。応募してきている人物の現状はむしろその逆で、悪く言えば現状に不満を持っていたり、組織の異端児(あぶれ者)が応募してきているのではないでしょうか。そのような場合、応募者の中から校長に相応しい人物を選択する側の能力が重要になるように思います。市側(教育委員会側)の能力不足を表しているように思います。

学校運営には、教育的な運営と管理運営の両方が求められており、その両方の能力を有する人物は少ないと思います。教師経験者は無難なので、教頭から選択するのだと思います。財政的に許すのであれば、管理運営に徹する校長と教育運営に徹する校長の二人体制あるいは、教育委員会が管理運営に徹するシステムするのがベターではないでしょうか。しかし教育委員会の多くの現状は、有名無実化した組織で、何か物事が起こると「責任回避」に徹っしているように思います。

国民の多くが低学歴の時代には、教職は聖職とも言われたようですが、現在のような高学歴の時代には、教員は教科指導に徹して、管理運営は教員以外の人物が担うべきではないでしょうか。

国立大学も行政法人化して、学長と理事長を兼務している大学が多いようですが、理事長と学長の利害は相反するのですが、見かけの公務員定員を削減しただけに終わっているように思います。アメリカの大学のように、経営方針や将来構想は理事長・理事会の専決事項、教育・研究は学長・学部長の専権事項と分類するべきかと思います。

この種の問題は突き詰めれば、我が国のシステムを時代に相応しいシステムに変更できるのかというような問題に突き進むように思いますので、ここで止めておきます。維新の会とか自民党とかのレベルの問題では、議論すべきではないように思います。

いずれにしても、校長の公募自体が問題なのではなく、相応しい人物を選考する選考側により大きな問題があるように思います。もしかりに人物がわにだけ問題があるとすれば、ほとんどの応募校長は職務をこなせると思います。選考基準・過程(具体的には分かりませんが)に問題があるので、選考された多くの校長が問題を起こして辞めているという事実が報道されているということかと思います。
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この回答へのお礼

採用試験というモノほど難しいモノはありません。優秀な人物だと思って採用したはずなのに、このサイトでも数ヶ月でもう辞めたいとかの質問を知る人もたくさんします。
 どの会社も数年の実績を見て、主任とか係長とかに出世するのだと思います。
 学校も同じです。小学校の場合は数年後に算数や国語、同和教育などの主任になります。
  各学校の主任の中から算数部の部長とかが決まり、だいたいそれが出世のコースです。(だいたいそれが40代ぐらいの教師です)
 その後主任とか教頭とかになって、その中で校長を選ぶわけです。勿論30年ぐらい教育実績、教育論文の発表なども考慮されます。勿論、客観的な選考試験も面接もあります。
 公務員も会社員も30年後に誰が出世するなどと予想することはほとんど不可能だと思います。
 採用試験なら、客観的なテストがあります。民間人を校長にするにも、管理職選考試験を受けて貰って教頭達と公平に比べて欲しいと思います。無職の人物ならいくらでも勉強する時間はあるでしょう。一方教頭は毎日の学校事務に追われる中での受験になりますので明らかに民間人の方が有利です。
 その上で教頭達と教育的な課題について論議して貰うと、自ずと教育者としての資質は見えてきます。
その上で3年ぐらい教頭をして貰うのは良いことだと思います。当然その3年間の間に学校仕事を覚えて、校長という仕事を覚えて貰うことが出来ます。
 回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 20:07

公立高校→私立高校に勤める者です。



まず校長公募がおかしいかどうかですが、他の方の意見もあるように一定数の公募があってもいいと思っています。

一定数と制限をつけるのは、そうしないと教頭になろうとする(最終的には校長を目指していると思います)教師が激減することが予想されるからです。優秀な教頭がいないと、民間人校長だけでは学校はまわらないと思っています。

今回の大阪の校長公募の問題は公募というシステムよりも選考に問題があったからではないでしょうか?適格者がいなければ、結果的に候補者全員を不合格にするぐらいの覚悟をもって公募すればよかったわけです。最初から公募で何人ということを決めてしまうと不適格と思われる人が校長になってしまいます。そうすれば何らかの問題がでる可能性は高くなるでしょう。教諭→教頭→校長となる場合はどんな人かはだいたいわかっているので、当然、問題になるような人は排除できますからね。

質問者様は教育の経験がなければ教師の指導はできないとお考えのようですが、それは教頭が主になってやればいいわけですし、部外者としての校長から意見を聞くというのでもよいのではないでしょうか?そうでなければ、保護者等の素人(?)に対して授業公開する意味もないですよね?

校長の仕事は授業の指導というようなことよりも(不必要という意味ではありません)、もっと広くマネージメントすることだと思いますよ。教育委員会等からの理不尽(と思われるよう)な要求や指導を突っぱねたりできるのは、しがらみのない人だからできると思います。

外から入ってきた校長だからこそ見える学校内のおかしなことがたくさんあると思いますよ。

内部昇格の校長・教頭が公募校長よりも優秀かどうかなんてのは個人によります。確かに公募校長の問題はあると思いますが、報道されないような問題をおこしている校長・教頭もたくさんいますよ。むしろ大きな問題はおこさずに、小さな問題をたくさんおこし続ける校長の方が現場は大変です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ほとんど毎日のように教育委員会とか文科省からいろんな文書が届きます。
 校長というモノはその文書の意味を(行間を読む)一瞬に判断して的確に教頭に指導しなければなりません。
 ですから実際に教師を指導しているのは教頭だとか主幹だと勘違いしておられるようです。
高校だとどうか知りませんが、小学校の場合を研究授業が何回もありますので、その何週間も前から指導案の大筋を校長に説明します。そうすると必ず的確にアドバイスがもらえます。これが出来ない校長は確実軽蔑されます。リーダーシップを発揮することも出来ません。毎日全ても学級を回って廊下から授業を見ていますので、全ての教育活動が適切に行われているのか確認します。勿論現実に指導するのは教頭や主幹ですが、その指示は校長がします。
 「A先生の学級はこんな問題があるようだ、しっかり指導してくれ」
 具体的にどう指導するのかも校長が指示することもあるでしょう。だから、貴方は教頭が教師を指導していると勘違いしているのでしょうね。

お礼日時:2015/11/15 19:46

公募はおかしいと言えばおかしいという議論があるかもしれませんがもっと問題なのは君が代を歌わないような相応しくない教師がいることです。

こういった不良な教師をきちんと処分しない校長がいることのほうが問題は大きいとおもいます。
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この回答へのお礼

君が代の問題は公募とは関係が無いことです。
 しかし、歌を歌うと言うことは歌いたいと思うからすることです。
 それが表現の自由というモノです。
 歌いたくない人に歌えと命令することが教育だとは思いません。

お礼日時:2015/11/15 19:04

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