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さっき、「戦争とプロパガンダ」と言うTV番組を見ました。アメリカが先大戦中、映像を巧みに使って、日本人への敵愾心を国民に植え付け、戦費を(国債という形で)国民から徴収していたという話です。

兵士では無い国民が、戦争の実際を知ることは難しい。しかし、コントロールされた映像作品を通して戦争の何かを知った気になり、間接的に戦争に自主参加するようになってしまうくらいなら、情報を持たずに自分の信じるところに従って判断した方がまだましだったのではないでしょうか。

戦後70年経って、やっと、どの国民も、先大戦の経験者達は、戦争はすべきでは無いと正気を取り戻したかのように語る映像をよく見ます。戦中はそんなことを言える空気ではなかったのでしょうし、舞い上がってしまったりもしていたのでしょうが。

大衆をコントロールしようと言う意思に気がつき、その意思を否定し、自らの考えで自身の行動を制御しようとするならば、この情報化社会の中で、如何様にするのが正しい方法だと言えるでしょうか?

得られる情報と、その取捨選択と、行為と判断、総じて生き方について、皆様の考えるところを教えて下さい。

宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 今回、あえて、それを否定すると言う強い表現を使ったのは、自分自身による行動の制御という所に力点を置きたかったからです。ですので、自らの考えが柔軟であるということも、まして、好いものであるとも主張するものでは無いことをご理解頂ければと思います。
    国の扇動的な意図を否定し、その上で戦争に参加すると言う判断もあり得ると思っています。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/11 17:53
  • 最近、ふと思う事があります。それは、自分に依拠すると言う事は本当に難しい、と。
    この流れゆく世界で、私もまた老いて行きます。その事がふと恐ろしく感じたりするのです。その時に、自灯明という言葉を思い出し、これは本当に難しい事だ、と思うのです。この質問も、自分自身を拠り所にすると言う事の難しさを乗り越えたいという思いから出たものかもしれません。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/12 01:52

A 回答 (16件中1~10件)

"自らの考えで自身の行動を制御しようとするならば、


この情報化社会の中で、如何様にするのが正しい
方法だと言えるでしょうか?"
     ↑
教養を身に着けることだと思います。

哲学、歴史、経済、社会一般、政治経済法律
科学技術などなどの教養です。

雑学とは違います。
それなりに、体系的に基本を押さえている、という
ところが雑学と教養の違いです。

そういう教養があれば、自らの考えで
判断できるようになると思われます。

例えば、歴史を勉強していれば、戦争の原因の
多くは、資源と領土である、と判断できます。

マスコミが、いかに宗教対立が原因であるかの
ような報道をしても、ほんとか? と教養で
制御できるのではないでしょうか。

ちなみに、歴史などでは高校程度の知識で
十分に役に立ちます。
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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど、これはもっともなご回答だと思います。体系づけられた知識を学ぶ事は大事だと言うのは、わかる気がします。

なるほど、良い回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/12/11 22:58

>どの国民も、先大戦の経験者達は、戦争はすべきでは無いと正気を取り戻したかのように語る


いえ、案外そうでは無いです
特に植民地支配されていた東南アジアの国では間違いなく大戦ではないにしろ、戦争は必要でした
もちろん日本がそこに行く必要性があったかは別の話で、各々の国で必要だったという事です

さて置き、国もしくはメディアに扇動されないかという事で言えば、相当に難しい話となります
否定的な意見を黙殺するような状態では簡単に扇動されます、だからこそ言論統制を行う訳ですし
そしてその様な状況下で、否定的な意見は和を乱すことになり、周囲と敵対する事になります
周囲と敵対してまで果たして、どれだけの人が正しいと思える方向を選べるでしょうか

扇動を防ぐためには、否定的な意見を出せる環境が不可欠だと私は思います
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この回答へのお礼

なるほどです。
ご回答ありがとうございます。
否定的な意見を出せる環境があること、言い換えれば、言論の自由が認められている状態であること、でしょうか。
戦中も、戦争に反対していた国民は大勢いたと思いますが、確かにそれを表明するのは難しかったでしょう。言論を封殺するような権力の集中やその動きは避けたいですね。
一方で、大事を決めるにはある程度の規模の権力が必要な時があるとも考えられます。難しいですね。

お礼日時:2015/12/23 15:53

お礼、ありがとうございます。


あほなさんの出してくる質問は面白いですね。

歳を重ね、見聞や体験による新たな情報で
人は常に変化していきます。

同じ質問でも、自身に何度でも繰り返せば
人として、より深みが増すと言えると思います。

自分の価値観を刷新して行くことで、人は一生成長して行ける。

持ち得る情報を、どう使うかはそれぞれに委ねられますが
使い方を見つけるかどうかが、現実化できる鍵だと思います。

そこで個々の大きく人生が変わる所のように思われます。

知を愛するなら、愛を眺めるだけより
愛を行動に移せると、世の中は愛で溢れて行けるかなと思うのです。

愛することは、たんなるマスターベーションにならないことかなと
ふっと思いました。

愛は、行動に出てこそ伝わるものです。
日常のささやかな幸せに、愛が溢れることを
それぞれが発見できればと、願うばかりですね。

私が今幸せでも、本当の幸せは周りも幸せであることです。
リアルで波紋が広がる。
それが、目標でもありますね。

情報と判断は、幸せにも夢にも不幸でも戦争でも
未来に全て関わるものだと思います。

一生付き合っていく質問かもしれません。
頭の隅に置いておきます。

ありがとうございます。
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この回答へのお礼

こちらこそありがとうございます^_^
人生と言うようなスパンで、持ち続けられるような問いを掴めたなら、それは財産だと思います。問う度に基本に帰れたり、新しい進化した答えを導けたりしますから。
今回の問いをカントアイさんが評価して下さって、嬉しく思うと同時に安心出来ました^_^

自分の幸せだけでなく、他の人の幸せまでもが自分の幸せに関わっているのだという感慨は、私も持っています。
深いところで波紋の起こるような事に、気がつけたらと思います。

お礼日時:2015/12/23 15:44

先だって、お礼ついでに伺いたいことがあり


書いていくうちに自分で答えを出してしまいました。

で、全部消しました。
今でも、ときどきは全消しが出ます。
以前は、多かったですが。

で、その後お陰さまで進みつつあるのですが
情報の見直しと判断の線引きの明確化など
思い浮かぶ時にやっています。

刷新して行くと、気づくことも多いです。

と言うことで、無理強いではありませんが
次回の楽しいお題目が上がる時を楽しみにしています(^-^)
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この回答へのお礼

カントアイさんの役に立った様で良かったです^_^
私も回答を書いて、自分自身で納得し、回答を取りやめる事は時にあります。
次のお題目ですが、ここ十年の私のテーマであるものを提出しようと思います。答えは持っていると言えば持っているのですが、他の方の視点も必要かと思い質問を立ててみますね。

お礼日時:2015/12/20 23:14

お礼ありがとうございます。



言葉の定義がちょっとあいまいで誤解を招いてしまったかもしれません。
私の感覚では「前傾」という言葉に単純な矢印的な意味を託したつもりで、
そこには前後左右全方向の「矢印の向き」の可能性があるというスタンスです。

それから「①-2から②」を普遍的なものにする、というのは
無意識からかかる慣性の行き過ぎに対して
意識的な修飾加工をポジティブに作用させる(緩衝作用)、ということも含めていて
それは普遍性の範疇に入る慣性となると思っています。
この件については「あほなさんの言われる耐性」と緩衝のバランスが大事
ということになりそうだと思います。

というわけでたぶんあほなさんの見解とそれほど矛盾はしないと思いますが
ちょっとずれた回答をして戸惑わせてしまったようですみません。

この質問をきっかけに情報の流通について考え
そこに各人の個性の相互作用の総体という要素が避けられないような気がして
社会や文化の方向に思索が飛んでしまいました。

つまり個人が適切な判断を下すために
コアとなる洗練された価値観が必要になり
その価値観の模索を可能にする人間社会の維持、
こういうものが大切になるんじゃないかということ
を言いたかったのです。

ここまで来て本題の質問に沿って考えると
現状で真偽の定かでない情報に翻弄されざるをえない事態に陥ったら
個人が適切な判断を下すためにコアとなる価値観を持っていなければ
やみくもに右往左往するしかありません。
そういう時には情報の真偽はブラックボックスにおいて流動的に構えながら
その上でコアの価値観からの信念や美学みたいなものに
賭けるしかないのだろうと思います。
そして、その賭け、あるいは賭けの総体に
進化の過程あるいは文化遺伝子として発展してきた
ポジティブな前傾がかかることで解決に向かえることを
祈るしかないような気がします。

進むか進まないか、進むならどの方向か。
不確かな状況で迫られる決断、投げざるを得なかったさい、その責任の重さの程度の判断。
そうしたものすべてに価値観は信念や美学として絡んできます。
時代や社会環境や成長段階という限界がある中で。

そのコアとなる価値観というものに着眼したかったのが前回の回答です。

また戸惑わせてしまっていないことを祈りつつ
とりあえずの参考程度に追記しておきます。
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この回答へのお礼

今回頂いたご回答は、意味が多層的に編まれていて、私の読解力では少し及ばなかった点があったと思います。スズメさんの言葉は基本的に整っているので、読む分には苦労せずに済んでいます^_^

全方位の矢印の向きを想定されている事と、緩衝作用について、了解しました。
コアとなる価値観の獲得とその効用についてですが、私は一つ、集団が悪い方向に行かないための方法を思いつきました。それは、コアとなる価値観の多様性の育成と尊重です。判断基準の多極化によって、集団の持つ判断を一つに集約する事なく分散する事で、リスクを相対的に低減する、と言うものです。コアとなる価値観を模索できる社会の維持は、その構成員に共通の価値観を与えまとまりを良くするという意味では必要な事だと思います。磨かれた価値観は普遍性を帯びて、人類に公益と言うべきものをもたらす様にも思います。しかし一見その方向性と矛盾する様に感じられるかもしれないですが、分化という方向性によって価値観全体を発展させるということも忘れられるべきではないなと。

スズメさんの意図するところを今回は拾えたでしょうか?;^_^A
再度のご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/16 22:52

お礼、ありがとうございます。



>年をとると新しい情報が入って来にくい、認めにくくなって来ますよね。古い情報が自分を形作っているからかなと思います。

まさに、そうだと思います。
で、レスポンスを上げる方法を昨夜から思案中です。

ある程度形になるのが、数ヶ月先か?数年先か?
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この回答へのお礼

意識的に、取り入れる情報、排出する情報の代謝を行う必要があるかもですね^_^
若い人のセンスに触れては、新しい風を感じ、或いはそこにまた確かな変わらざるものを見出し、自分自身の構造に手入れをするのがいいのかもです。

お礼日時:2015/12/16 22:35

情報は静止したものではなく


その流通において前傾のバイアスをかける
慣性というものが必然的に付随するものだと解釈してよさそうです。

まず情報流通において個人の情報処理の過程で
①無意識の慣性
②意識的な慣性
による影響がどうしても関与してきます。
 ①-1:進化によって洗練されてきたもので
     生存に有利なものである確率が高い。
 ①-2:習慣から無意識に組み込まれた性向。
 ②  :意識的作為的な情報の修飾加工。
そうした処理を施した情報が
個人対個人からその総体として、流通しながら
前傾のうねりを作っていくのだと思います。
ある情報は流通の中で閾値を越え、あるものは越えずに消えていく。
ということを繰り返しながら。

その際「①-2から②」をいかに普遍的なものにしていくかということがカギになります。
普遍的とは‘人類という種にとって有益なもの‘ということです。

人間の社会として機能している社会そのものの維持、
社会による文化の継承、
その一環として価値観の洗練、
のようなことがいかに大切か、ということになると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

例えばニュースなどの理想の姿と言うのは、事実をありのままに伝える、というのが一つあると思います。しかし、災害や戦争等の報道においては、ありのままに放映してしまうとその残酷な側面がありのままに伝わり、社会不安を引き起こしかねない情報も沢山あるわけです。その場合、編集が行われ、お茶の間に適した形に加工してから放映するとなるのだと思います。この様にかかるバイアスの形と言うものは、必ずしも前傾であるとは言えず、後ろ向きや横向きと言ったものも存在するのではないか?そう思いました。
一方で、スズメさんのおっしゃるように、無意識にかかるバイアスは、乱れを伴いながらも情報に推進性を与えるものであるように思います。しかしこの無意識にかかるバイアスに、普遍性は伴ったとしても、人類に有益かどうかを判断するには早計な気もします。例えば不安や恐怖と言ったものは無意識にオーバーロードがかかりやすいもので、次第に膨らんだそれは情報に破壊的な力をもたらし、戦争等を誘引する一つの因となるのではないでしょうか。
従って、身に付けるべきは普遍性よりも、時に衝撃的であったり残酷であったりする「事実」に対する耐性では無いかと私などは考えました。

個性的なご回答をうまく拾えたかどうかわかりませんが、情報が流動的であるという解釈は、私の思索に新しい視点をもたらしてくれました。まずはその事感謝しております(^○^)

お礼日時:2015/12/15 16:18

ひょんなことから思い出しました。



No.3で書いたの、知り合いの子供に教えたこと。
何でこうも、その子が万能なのかやっと分かりました。

子供って、情報を得て忠実にやって結果で判断するから
伸びるのが早いのかもしれないですね。


「グズグズ言うな、さっさとやれ」と言う
我々大人は、新しいことにグズグズだらだらですwww
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この回答へのお礼

年をとると新しい情報が入って来にくい、認めにくくなって来ますよね。古い情報が自分を形作っているからかなと思います。
一方で子どもは新しい情報を素直に受け取れ、そのレスポンスにもすぐに反応出来る素地があるのでしょう。子どもであるからこその、特徴と言えそうです。
しかし、古い情報の中には普遍性を持っているものもあり、一概に古いから更新しなければならない、というものでもなさそうです。

お礼日時:2015/12/15 15:55

>見せられた映像の意図を見抜き、それに左右される事なく、自らに判断を委ねる、と言うような事です



ある意図を持って作られた映像を見て、なにがしかの判断をするならば
意図を見抜いたところで意図に左右されていることになるんじゃないですかね
だってその意図がなければその映像は作られなかったわけだからその映像を判断材料にするということは
ある意図が映像を見た人たちに判断をさせる、言い換えれば意図が存在しなければ判断も存在しないことになる
つまり判断をする時点で意図に左右されてることになる
屁理屈のように聞こえるかもしれませんが意図を込めるということはまずなにがしかの判断をさせようという問題提起と
その判断をある方向へ誘導しようという二つの目的があると思います
意図を込めた映像で判断をするということは二つの目的の内の一つは達成できたことになりますから
判断の内容ではなく判断をするという行為そのものが意図に左右されていると言えるはずです

なので自らに判断を委ねるならば意図を込めた映像は無視するしかないでしょうね
判断をしなければその意図が存在しなかったことと同じことになりますから
意図に左右されてないことになります
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この回答へのお礼

うーん、、正直に申し上げますが、確かに屁理屈のように聞こえてしまいました。
一方で、何かの判断を促すような問題提起としての映像作品もありますから、その場合は、その意図を見抜くだけでは自己の判断に帰結するためには不十分で、他の回答者さんもおっしゃるような、学識や教養といったものが必要となってくるのでしょう。
再度のご回答ありがとうございます。
いただけた回答により、より深い考えが持てたように思います。

お礼日時:2015/12/13 23:29

お礼、ありがとうございます。



なるほど。
あほなさんが、言われる否定は何かしら別にあるのでしょうね。
それが明確には分かりませんが、ご自身の中で何かの形が有るのでしょう。


私の場合、否定を使うと見識を狭め選択肢を減らすことに
結果としてなります。
狭かった時は、狭いのに気がついてませんでした。

否定は前提で正しさを生み、両極の二者択一と言う狭い選択肢に
ならざるをえません。
それをやると、喧嘩の仲裁とかネゴシエーションとか最良の方法とか
第三の選択肢を見つけるのが、私は自分でできなくなります。


そう言うのと、また違った何かを感じておられるのでしょうね。
何でしょうね。
見つけたら、いつか教えていただきたいですね(^ ^)
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この回答へのお礼

カントアイさんのおっしゃるような否定もあると思います。確かに正否というもので分け隔てを生み、両極端を生じる性質が否定というものにはある気もします。気をつけたいと思います。しかし一方で、否定しなければならないものと言うのはあるのか?と自問自答した時に、何かあるような気もするのも事実です。
私も余り何かを否定するような事をするタイプの性格では無いのですが、だからこそ、否定したらどうなるのかな?という潜在的なものへの興味、と言えば聞こえは悪いですが、そういうものがあるのも確かです。否定によって新たな角度が生じて、何かまた見識が自分の中に生まれるのでは?と思ったりしています。
何か見つかれば、ご報告致しますね^_^
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/13 23:36

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