一回も披露したことのない豆知識

1. 世界は場である。

2. 場が ところどころユラギを起こす。

3. ユラギの結果 その部分的な場が 個別のかたちをしたモノになりうる。

4. ヒトも そのようにして出来た。

5. モノは そのまま――元の場と一体としてあって―― コトでもある。

6. 個別のモノに分かれているとは言え コトを起こすモノは 場と一体である。

7. モノが いかに理性を持ったとは言え 世界場を離れたと言うほうがおかしい。

8. ヒトも――個別の存在として――このコトを起こすモノである。のではないか?

9. 一生涯という限られた時空としての個別場を生きる《わたし》と自称する存在では
あるが 世界という場と同時一体である。のではないか?

10. ならば 時空のうち時間だけが独立して 流れるとも限らない。

11. 放たれた矢のように もう元の場に戻って来ることはないとは限らない。ではな
いか?

12. 《元の場》とは 何でしょう?

ご教授ください。

質問者からの補足コメント

  • BAは のぞみを託して。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/19 11:52

A 回答 (7件)

この世界は無の一点で起こったビッグバンによって生まれたとされています。

無とは空間も時間も無い状態です。空間が広がり続ける中で物質が生まれ、時間が誕生したのです。したがって時間はこの三次元世界で物質と切っても切れない関係にあります。物質の移動や変化が時間そのものであり、物質が存在しなければ時間という概念は無意味です。そして出来上がったこの三次元世界(時間も数えて四次元とも言いますが)にはいくつかの原理があります。たとえばエントロピーは必ず増大するとか、光の速さは一定であり何者もこの速さを越えられないとかです。

この原理の下に出来上がっている世界に存在している物質は、原理に反することは出来ません。なぜならその物質が誕生し存在できたのはこの世界だったからです。
もし、エントロピーの増大を自由にコントロールできたり、光の速さを越えることが可能だったりしたら,《元の場》に戻れるのかもしれませんね。しかしそのような世界で現在のような物質が誕生できたかどうかわかりません。
それが《元の場》なのでは?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

15. ★ 無とは空間も時間も無い状態です。
☆ この《無》が 分かりません。《時空間》がない状態と見るのは 時空間として存在する
われわれ人間の目から見てのことですよね?

16. だったら そのビッグバンより前(?)の状態――または 経験世界を超える場――
は それとして《有る》の世界かも知れないぢゃないですか?

17. あるいは 有るとか無いとかとは別の《存在〔と言ってよいのかどうか分かりません
が〕》かも分からないぢゃないですか?

18. なんで《無の一点》だと分かるのですか? 仮りに《無》というだけですよね?

19. ★ 空間が広がり続ける中で物質が生まれ、時間が誕生したのです。
☆ ちょっと待ってください。《空間が広がり続ける》ときそこにはすでに時間がともなわれ
ているのではありませんか?

20. ★ 物質が存在しなければ時間という概念は無意味です。
☆ ですから ここでの素朴な質問は こうです。:モノであるということは すでに全体と
しての場であり その中で個別の場をもつことであり しかもすでに――場であるなら――時
空間として存在している。のではないですかと問うています。

21. ★ もし、エントロピーの増大を自由にコントロールできたり、光の速さを越えるこ
とが可能だったりしたら,《元の場》に戻れるのかもしれませんね。しかしそのような世界で
現在のような物質が誕生できたかどうかわかりません。 / それが《元の場》なのでは?
☆ ただいまの経験世界についての《法則》にさからうことが出来たら 元の場に戻れるかも
知れないのではなく そうではなく 《元の場》から出て来たゆえに ただいまの自然科学の
経験知を超える場合がないとも限らない。のではありませんか? どうでしょう。

お礼日時:2015/12/14 16:30

世界が場であって、ヒトがそのように出来たってのは逆様だろうね。


ヒトが前提で、世界が場であるっていうんだったら解る。ゆらぎってのもヒトがゆらいでいるんだよ。
時間っていうのは、ヒトそのものなんだよね。不可分っていうこと。
時間なんてものがあって、ヒトがそこで考え、行動していると錯覚しているけど、ヒトがヒトの時間で物事を流しているのさ。
こうして思いを巡らしているだけでもヒト独特の時間と分離できない。でしょ。

だとすると、空間もヒトなんだよね。
なんでかというと、空間ていうのは、自分を中心にした、光?の到達遅延時間差なんだからさ。結局時間に集約するんだよね。
だから、元の場ってのはヒトそのものってことだ。
そして、その外側には何もありはしないってことになるかな。知らんけど。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

62. そうですね。 ★ ヒトが前提で、世界が場であるっていうんだったら解る。ゆらぎ
ってのもヒトがゆらいでいるんだよ。
☆ 場もゆらぎ 個別のモノもゆらぎ そして人間もゆらぎを持つと見るのですが そのよう
に認識した世界について 《ヒトが前提で》というのは どういうことだろう? と思いまし
た。

63. ★ 世界が場であって、ヒトがそのように出来たってのは逆様だろうね。
☆ について もしこの《さかさま》というのは 人間の認識の問題として〔のみ〕そうだと
いうことかと思ってみたのですが。

64. つまり 《世界が場であって そこから個別の場としてモノやヒトが出来た》という
順序と内容については 《事実問題》としてそうであるとみとめた上で ただし 人間の認識
問題として その認識行為にとっては 別の扱い方がなされる。――といったことなのかと。

65. ★ 時間っていうのは、ヒトそのものなんだよね。不可分っていうこと。 / だとする
と、空間もヒトなんだよね。
☆ この命題については 時空間である場から ヒトが生まれたという事実問題についてはみ
とめた上で ただし 《時間も空間も ヒトである》という別の見方を提起しているのでしょ
うか?

66. ★ 時間なんてものがあって、ヒトがそこで考え、行動していると錯覚しているけど、
ヒトがヒトの時間で物事を流しているのさ。 / こうして思いを巡らしているだけでもヒト独特
の時間と分離できない。でしょ。
☆ この《時間》を 質問者は《時空間》として見ようとしています。そのときには 時間は
必ずしも《流れ》ません。

67. ★ ~~~~~
だとすると、空間もヒトなんだよね。 / なんでかというと、空間ていうのは、自分を中心にし
た、光?の到達遅延時間差なんだからさ。結局時間に集約するんだよね。
だから、元の場ってのはヒトそのものってことだ。
そして、その外側には何もありはしないってことになるかな。知らんけど。
~~~~~~~~~~~
☆ (あ) 《元の場》にヒトは 立ち戻り得る。と思われる。(い) ただし 《その外側》
というのは よく分からない。なぜなら 元の場は それイコール人なるわれではないと思わ
れるが それでも元の場そのものは すでに世界の全体であると想定されるから。

お礼日時:2015/12/15 11:18

さあて、ちょっと違うと想うんですね。


時間は人が認識することによって始めて意味を持ちます。対照する物の無い空間だけでは時間の存在は何の意味も持ちません。物質が存在し、その物質が変化移動することによって、初めて時間が認識され意味を持つのです。認識されないものは無いのとどこが違うでしょう。空間の広がりとは、観念です。物質が存在して初めて空間の広がりが認識されるのです。空間だけでは何も確認されません。時間の存在さえも・・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

50. ★ 時間は人が認識することによって始めて意味を持ちます。
☆ そうかも知れません。そうでないかも知れません。

51. つまり ここで問うているのは こうです。:
△ 場が 時空間であり そこから現われたモノないしヒトも 個別の部分場として 時空間である。

52. そのあと 人間は そのおのれの時空間を認識することを為す。

53. ★ 対照する物の無い空間だけでは時間の存在は何の意味も持ちません。
☆ というのは すでにどこかで先に空間と時間とを分けて捉えているから 起きる問題なのではな
いかというのが 質問の趣旨です。

54. ★ 物質が存在し、その物質が変化移動することによって、初めて時間が認識され意味を持
つのです。
☆ というのも そうではなく 初めにモノやヒトはすでに時空間としてあって そのあとコトをも
起こす。そのとき 空間としても時間としても その場を自覚するようになる。と見直してみたらど
うかと問うています。

55. 《その場》というのは 周りも場ですが 自分自身も場です。ぞしてそれら世界の全体も場
です。

56. この場が 時空間であり 時に空間と時間とを分けて捉えるという認識の手法も 人間は持
った。というふうに捉え直すのです。

57. ★ 認識されないものは無いのとどこが違うでしょう。
☆ いやいや 真空というものは無いそうですよ。場は モノの詰まった場です。場そのものが 時
空です。

58. ★ 空間の広がりとは、観念です。
☆ そうでしょうか。じゅうぶんモノの詰まった場であるのでは? もちろん言葉で表わすようにな
れば その概念を実際のモノからは離れて或る種の観念として それを自由に論理的にまた想像裡に
おいてあやつれるのも 人間です。

59. ★ 物質が存在して初めて空間の広がりが認識されるのです。空間だけでは何も確認されま
せん。時間の存在さえも・・・
☆ そうかも知れません。でも ここでは 突飛な見方を提出しているのです。

60. 時空としての場が先にあって そこから個別のモノが生じ さらにヒトも生まれ ヒトから
見ると モノの存在とその動きとしてのコトとが分けて捉えられた。

61. また 三次元なる空間と第四次元としての時間とが これらも分けて捉えられた。うんぬん。

お礼日時:2015/12/15 10:58

投稿し直しです。



"時間"には、

物理的時間と精神的時間とが有るように思います。

物理的時間とは、この物的宇宙を存在させている時間の事。

精神的時間とは精神的世界を存在させている時間。

物理的時間は"時間の矢"と云う制約があるけれど、精神的時間にはそうした制約はない。

過去も未来もないのが精神的時間だと思います。

★№4は無視してください。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

46. すでに応答しました。

47. いまあらためて考えるにですが
★ 物理的時間は"時間の矢"と云う制約があるけれど、精神的時間にはそうした制約は
ない。
☆ というときの《精神的時間》とは じつはわたしにとっての《非思考の庭》である
のではないかと。

48. 《物理的時間》とは 《精神と身体 心と身 思考の緑野と感性の原野》の一
体なる時空間である。のではないかと。

49. ご回答№4へのお礼欄――(34)~(45)――はまるまる なお活きると
思います。

お礼日時:2015/12/14 22:56

"時間"には


物理的時間と精神的時間とが有るように思います。

物理的時間とは、物的宇宙を"存在"させうるもの。

精神的時間とは、精神程世界を"存在"させるもの。

物理的時間は"時間の矢"と云う制約があるが、精神的時間に"制約"はない。

過去も未来も無いのが"精神的時間"だと思う。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

34. いろいろな考えがありうるようだと思いました。

35. ★ 過去も未来も無いのが"精神的時間"だと思う。
☆ 精神と言いますか このいま・ここなるわたしにとって 特にその意志行為において
時空は 《永遠の現在》としてあるかに思われます。

36. 《思われる》というのは 例の《非思考の庭》にあってこそ永遠の現在が成り立
つと考えるからです。

37. 思考に非ずなる庭にあって初めて 《過去も未来もこの現在に収れんしている》
のではないかと考えられます。

38. したがって 思考の緑野や感性の原野においては――身と心とにあっては――
時間があたかも流れている。かも知れません。

39. ★ "時間"には / 物理的時間と精神的時間とが有るように思います。
☆ 自然科学に明るくないわたしが言ってもどうかと思うのですが わたしの感覚では
世界は そのまま《時空》であると思うのです。

40. 座標軸としては 分かれるかも知れませんが そもそも一体である。

41. 身と心とも――非思考の庭なる《魔法のヒラメキ》に吸収されて―― 一体であ
る。はず。

42. 個別のモノと周囲の場とも 一体。世界全体の場から出て来たモノである。

43. その場は 時空間としてある。モノもわたしも周囲の場も 同時一体として。

44. 物理的な時空と《精神的かつ身体的な時空》とが 非思考の庭のもとに 一体で
ある。という空想です。

45. 一方的に述べていますが その一体なる世界場は 時間の矢をつつみこむ。のだ
と。

お礼日時:2015/12/14 22:49

私の考えでお答えしますね。


確かに我々人間がわからない世界を「無」と表現したのです。我々は縦・横・高さの3次元の世界に存在しています。もし縦・横だけの2次元の世界があったらその世界の住人は我々3次元世界を想像さえ出来ないでしょう。

同じことで、この3次元世界は他の次元世界の中に生まれた世界なのかもしれません。我々が想像も出来ない世界、それを「無」呼んでるだけなのかも?

たしかに空間も物質だと考えることも出来ます。したがって空間の広がりにも、時間が存在していておかしくはありません。されど空間だけが存在するのでは我々は存在を認識できるでしょうか?その中に物質が存在していて初めてその変化・移動に時間が認識されるのではありませんか?空間だって物質と対照して認識されるだけなのです。

存在していても我々が認識できないもの、感じ取れないものは存在しているといえるでしょうか?不存在と何が違うというのでしょう。

われわれの自然科学の経験知ではないんです。我々の世界の原理なのです。
我々が想像できない他次元世界を《元の場》と呼ぶのなら、その世界では何でも可能でしょう。想像も出来ない世界なのですから・・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

22. ★ 空間の広がりにも、時間が存在していておかしくはありません。
☆ ええ。そう見ようとしています。

23. ★ されど空間だけが存在するのでは我々は存在を認識できるでしょうか?
☆ いえいえ。空間がひろがるとき すでに時間をともなっていると見ています。

24. ★ そ(=空間)の中に物質が存在していて初めてその変化・移動に時間が認識
されるのではありませんか? 空間だって物質と対照して認識されるだけなのです。
☆ いえ。これは まったくの推測なのですが ですから 趣旨説明として次のように述
べました。

 1. 世界は場である。

 2. 場が ところどころユラギを起こす。

 3. ユラギの結果 その部分的な場が 個別のかたちをしたモノになりうる。

25. 場から 個別の場が出来て それが 周囲の場から分かれて 別々のモノに成る
という見方です。

26. その場・そしてその個別の場から出たモノ どちらも初めから時空間としてある
わけです。分化したモノも――つまり人間も―― 従って その存在じたいが時空間であ
ると。

27. ぜんぶ初めから 《時空間》なのです。

28. ★ 我々が想像できない他次元世界を《元の場》と呼ぶのなら、その世界では何
でも可能でしょう。想像も出来ない世界なのですから・・・
☆ 元の場は この四次元世界そのものであるかも分かりません。ただし しかも同時に
この世界を超えている。なぜなら それが 時空間より以前の場 もしくは時空間を超え
た場のことだからです。

29. 四次元世界から首の上だけ超えているのかも分かりません。確かにいろんなふう
に想像され得ます。

30. ★ われわれの自然科学の経験知ではないんです。我々の世界の原理なのです。
☆ 経験事象の中に法則を見出す。その認識は 経験知です。

31、 この法則を 《原理》という場合はあるかも知れませんが 一般に経験法則につ
いては 原理とはあまり言わないかも分かりません。

32. 原理とは 経験世界を超えた《元の場》のことを言う場合もあるでしょうから。

33. もしこの元の場に立ち戻れるならば 時空間のすべてにわたって《わたし》は
飛び回ることが出来るかも知れない。時間の矢は 後戻りするかも知れません。

お礼日時:2015/12/14 21:46

時間、モノの動きを定義するなら常に一定の動きをするものなど分かりようがない。

結局は適当なワケの分からんもんだということです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

13. まぁ 質問をしているわたし自身としても同じなのですが お手上げだという
ことでしょうか?

14. お分かりの人・考えておられる人を俟ちます。

お礼日時:2015/12/14 13:02

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