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クウキ教たる一神教としての日本教をどうあつかうか。
自由に哲学してください。

1. 日本教の構成

  日本教・総本山
   神道
   仏教支部
   儒教支部(?)
   キリスト教支部
   マルクス教支部
   無神論教支部
   《お花畑》平和教支部

2. 日本人にとっては ムラムラにおける自然との共生を生きる古くからの―― 一人ひとりに
とっての――信仰が息づいていると見ます。生活とその共同(共同自治)の問題です。

3. ただしこれを基礎として 社会形態が国の家というごとく二階建ての構造となったときに
は それとしての民族宗教がつくられました。あるいはつまり 民族としてのひとつにまとまっ
た神をまつる実質的には一神教が――空気のごとく――形成されてきた。

4. ムラびとたちは これに 《くにゆづり》をした。ムラムラのマツリは お二階さんたち
のマツリゴトによって束ねられ吸収されるかたちになった。ムラびとたちどうしのヨコの助け合
い寄金が――あるいは神々とのタテの祀りの供え物が―― お上なる二階とのタテの関係(国家
財政)の中へ吸収されて行った。



5. 民族宗教とは 日本教であり 実質的にクウキ教である。
 クウキによるコミュニケーションを 守るべきオシヘとする。

 このわれらがシュウキョウを これから どうするか?



6. 《クウキ教》は 守り遵うべきオシへの役割りをも帯びている。
 しかも言葉としては何ごとにも・何ものにも精霊を感じてのようにおよそアニミズムとしての
多くの神々をも持っていますが これ(クウキ教)は いわゆる多神教のままには留まっておら
ず そうではなくすでに――国家が出来てからは――あくまで《日本教》として一神教を成す。

7. ヒンドゥー教は その名もヒンドゥー(ヒがシになったり h が抜けたりしますから)=イ
ンドであるごとく多神を擁していてもそのまま全体として一神教としてのインド教です。よその
神々を受け容れても 民族宗教としてまとまり 対外的には あたかも唯一神をいただくのと同
じ振る舞いにおよびます。

8. ユダヤ教は 明らかに対外的にも対内的にも 唯一神をオシへとして共有する生活様式を
形成する民族宗教です。

9. あるいは アマテラシテたる王をいただくイギリス教のごとく日本教は 対外的には一神
教としてまとまった民族宗教です。その中にいろんな神々をよそからも受け容れているという―
―対内的には――多神教であったとしてもです。

10. この日本教=クウキ教には 神道をベースにして 仏教の諸仏を採り入れ そしてキリ
スト教の姉妹編としての唯物論教(つまり 無神論教)をもじゅうぶんに有益にはたらくかのよ
うな異端分子としてやはり採り入れています。よって (1)の図式です。


11. 護憲平和教派は さすがにキリスト教の神を持ち出すことはないようですが そのベー
スには同じ排他的な一神教の神(《無い神》一辺倒)が祀られているかのようであり 明らかに
ほかの多神と対立しつつも大きく日本教の一環として根を張ろうとしています。一部には 《反
日》とさえ見られる心的かつ行動的現象があるようです。


12. 日本人は 知らず知らずのうちに 宗教(じつは本当は初めからの信仰とその共同体)
への思いと展望を育み生活を息づかせて来ており ただしそれがお二階からクウキ教の浸透によ
って絡め捕られるときには いわゆる排他的な一神教としての民族宗教を形成するようになりま
す。その中に入れば 排他的ではなく互いに馴れ馴れしくナアナア主義となります。


13. ふるくからの個人個人にとっての信仰を保つ庶民たる日本人は――第十代崇神ミマキイ
リヒコイニヱのミコトやその時の市民オホタタネコをあたかも代表とするかのごとく《イリ歴史
知性》たる日本人は・と言いたいのですが そしてちらっと触れるにとどめますが 応神ホムダ
ワケや雄略オホハツセワカタケルさらにあるいは継体ヲホドの《ヨセなるスーパー歴史知性》に
よって《全国制覇大作戦なる雄略》を実行されて それに対して国ゆづりをしたとしても―― 
そのような宗教(マツリゴト)現象をなおただウワベのこととして その優勢に対して まさに
くにゆづりをした出発点を保って生きて来ています。
むかしからの自然との共生なる協同組合(アソシアシオン)は生きているはずです。
 
14. それらの人たちは 宗教から・オシへを垂れるあらゆる宗教から 自由です。ユヅリア
ヒの生活を千五百年おくって来ています。(はっきりと二階建てとなって行った継体ヲホドの頃
からと見ての時間です。その前は もともと縁起共生なる自由です)。

15. お二階さんにはいちどゆづったのだから 口が裂けても そろそろ返せとは――大政奉
還せよとは――言えないであろうか。どうでしょう? 第十代《天皇》崇神ミマキイリヒコイニ
ヱのミコトの時代のインタムライズムなる社会共同に還れと言うのは まだ早いでしょうか?

gooドクター

A 回答 (6件)

ク ウ キ に対して、



  ミ ズ を指す。

と、言うのがあります。


然し、クウキに寄っての支配ソノモノを終わらせる、と、は、我々は出来ていない。


別所で紹介した、僕の書いた文面6 の、一部を、張り付けます。

   ↓↓↓↓↓↓↓↓↓


          『パチンコの換金を容認する日本の国民性とは?』
 
 
 恐らくは、其れラに在るのは『 和 をもって貴しとす。』として、一神教理念、カエサル的絶対的指導者 無 し に 『一所・現場』間の調和に寄って、土地を限定し、成立した が、所以と思われる。
 其の歴史は否定はしない。が、近代化に於いて、其のまま其処に留まる事が適正とは、少なくとも思えない。
 『』<<敦盛
 歴史に触れると長くなり、また通説、正史と違った根拠の乏しい歴史観を交えて行く事に成る為、論全体の信ぴょう性を損ねる事になりかねない為、或る程度にしたいが、、、(岩倉具視に、一度触れてはいるが、、、)
 織田信長が得意演目として度々舞ったと言われる『敦盛』、、、
 『http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/787.h …』<<現天皇のゆかり発言で有名になった桓武天皇の母親の高野新笠の系図
 半島民の血が天皇家に流れてるなんてケシカラン事を言う奴だっ!どうのこうの~と言った?国粋的な?水戸学的な?・・・主張 は、さておき、、、
 『http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91% …』<<白村江の戦い
 「白村江の戦い((はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)とは、663年(天智2年)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。)」に寄って『日本』の枠組みが出来上がったとも言えるが、百済亡命貴族の末裔を母に持つ桓武天皇の血統より生れた平氏には、清和源氏とは違った半島との繋がりを組み入れた歴史観と、大和朝廷への捉え方が存在している気がしてならない。
 (之は北朝天皇家にも同様に違う史観が在った様にも感じる。)
 朝廷へ反旗を翻した平将門、大陸との交易で大きな力を握った平清盛、清盛の息子敦盛、、、信長は之等平氏の末裔にあたる。
  和 を持って 尊 し と し な い 、 一 神 教 理 念 の、持ち主で あ り 、 カ エ サ ル 的 絶 対 的 指 導 者 で、在った、、、そして『 和 』の(既に) 象 徴 で、在った、、、信長が 滅 ぼ し た 足利氏が 作 っ た (に、 過 ぎ な い 、、と、彼は考えていた。) 南 朝 天 皇 を、 廃 帝 (←太政大臣、征夷大将軍、太閤関白、之等の官位を拒否した事からもその方向性が伺える。)し、
 自らが 皇 帝 に成る為に、大陸へ進出し(秀吉はパクッただけ)明確な測量(秀吉はパクッだけ)と、法治に寄っての経済活動の自由(楽市楽座)を、実現させていた、させようとして居た 信 長 を、打つ事を、明智光秀に仕向けさせた 存 在 と は 、、、 ?
 『http://eikorekken.client.jp/collaborate/hon-nohj …』<<立花京子氏の朝廷黒幕説
 安直に『 天 皇 』と、言う言葉を使う、、、だけでは足らず、もっと?根深い?今なお生き続ける、、、『 ヌ エ 』の様な存在で、其れは、恐らく、、、今なお日本人の心の中に?意識の中、、奥深くに、住まう、、、モノな?気がしてならない。
 
 
          『パチンコの換金を容認する日本の国民性とは?』
 
 
 『https://www.youtube.com/watch?v=v6VpK3mtsUA』<<日光東照宮・見猿・言わ猿・聞か猿と眠り猫
 家康を祀り、南光坊天海が、指揮を取り建立したとされる日光東照宮に隠された暗号???
 『http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B5%B7』<<南光坊天海
 明 智 光 秀 と 無 縁 で無かったとされる 天 海 、、、信長から、光秀、秀吉、を、経て天下人と成った家康、、、
 その家康を祀った日光に、[ 見猿 ・ 言わ猿 ・ 聞か猿 ]と、 封 じ た 何か?とは、、、
 漢字が輸入されたばかりの古代日本人は、『 猫 』に『 寝 子 』と言う字をあてた。
 之の意味する処は、普遍的な文字から輸入され、獣の一種で在った『猫』と言う字と、『寝る』『子ども』と、言った 常 用 的 に用いられる漢字が輸入されるのでは タ イ ム ラ グ が在り、『 猫 』と言った文字が 輸 入 されるまでの古代日本人は『 寝子(ねこ) 』と文字を当て使っていた文献(確か万葉集?)が存在している。
 つまりは『 文 化 発 生 期 限 の 違 い 』を、天海は『 眠 り 猫 』に、込めたのではないか?
 (恐らく眠り猫の裏の『 ス ズ メ 』も同様かと?鈴音?鈴女?
 そして、、、『見猿・言わ猿・聞か猿』と、、、思考を停止させる同調圧力?と、言った目に見えるモノだけで無い何か?『 ヌ エ 』の様な存在、、、を、其処に感じない訳にはいかない。
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この回答へのお礼

そうですね。まづは ご回答をありがとうございます。

いきなり我が田に水を引きますが わたしは《起源》を問題にしたいですね。

たとえば 信長にしてもあるいはその前に義満が国王を名乗るまでにはなったがそう
はしなかったところの廃帝ないし天皇の位の簒奪は あくまで日本人の社会が 国家
として言わば二階建ての構造をしっかりと築き上げていて この構造はちょっとやそ
っとでは内からは壊れない仕組みになっている。――といった見方をします。

《市民スサノヲ - 公民アマテラス〔+アマテラシテ(元首・王・象徴)〕》連関制

といった二階建ての構造です。この第二階が出来たこと――これが《くにゆづり》――
によって 一階の主権者なる市民社会とは《逆立ち》をしている。

スサノヲ市民らは ともかく《くにゆづり》をしたからには おいそれとは返してく
れとはアマテラス公民に対して 言えなかった。最後の最後のところで信長も断念し
た。のではないかと見ています。

最近では 次の質問にその見方の具体的な中身を書き込みました。推理ですが。
【Q:必要不可欠な"お二階"さん。】 回答№1&4です。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9159155.html

天海と家康については わたしは情報が少ないです。あまり勉強していません。

★ 『パチンコの換金を容認する日本の国民性とは?』
☆ 大相撲の問題もそうですが 確かに具体的な問題を提示して議論することは 大
事ですね。おそらく気長にすすめて行かざるを得ないとは思うのですが。

★ カエサル的絶対的指導者
☆ は アメリカ大統領のような類型ですね。
つまり 《アマテラス公民の長であり権力の長である首相とそしてアマテラシテ象徴
(権威)とを兼ね備える位》としてです。

★ 一神教理念
☆ は このお二階の主導による日本人の社会には けっきょく指摘されているクウ
キの問題として 《クウキ教たる日本教》が 特には対外的に《一神教》の現実を形
成していると見ています。趣旨説明欄にのべたとおりです。

★ 水を差す
☆ ことと そもそもこの社会の成り立ちをしっかりと捉えること。このふたつの作
業が 必要でしょうね。

▲ 半島民の血が天皇家に流れてる
☆ これは 扱いづらいですね。市民にもだと思います。

お礼日時:2016/01/28 07:22

お礼ありがとうございます。

現実を受け入れるのは、そこに生きているのですから嫌でも仕方無い事です。なら成果を上げ現実の生活を変えるのは、人しかい無い現実を受け入れましょう。修行が、生活を良くしている現実を受け入れず生存は、理解されません。
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この回答へのお礼

クウキ教と あまりかかわらないと思いますよ。修行とか。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/01/26 21:33

道を開く道を極める日本的神は、八百屋の神の現実の人間ですから、それを受け入れられ無いのでしょう。

修行無しに到達し無い現実が受け入れたくないのは、人の我儘、自然現象ですね。修行のみが、未来を拓く現実に生存する事を理解しましょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ヒトコトヌシ(一言主)のカミが カミでありつつ現実の姿になったところを 
雄略ワカタケルは葛城山で見たし 話もしたというそのくだりを出します。そ
のとき一言主の神は こう名乗ったという。

▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  《あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言
   言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ》
                       (古事記)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり この言葉じたいについては 何を語っているか それとして別に
問い求めるべきかと思いますが そのとき雄略ワカタケルが次のように言って
いたことを わたしたちは想い起こす必要があると考えます。

つまり ワカタケルは その姿を見て ヒトコトヌシの神だとは知らなかった。
気づかなかった。それは まさか神が この現実の人間の姿で現われるとは思
いも寄らなかった。と言っていることです。

つまり 現人神というのは 特別な存在だった。思いも寄らない姿であった。

つまり 神は 人間の
★ 修行
☆ やその成果であるといった見方は おかしいのです。もともと。
受け容れられないほうが 自然なのです。

と考えます。

お礼日時:2016/01/26 16:39

真理の探求とは信じることではないんだ。


信じたのでは真理の探求はそれで終わりになるからだ。
真理の探求に終わりはなく永遠に継続するプロセスなんだ。

>で その探究の結果は どうですか?

結果はこれだ。

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真理の探求は純粋に個人の精神活動なんだ。


真理の探求はクウキではできません。
祭りごとではないんだ。
寄ってたかってやるもんでもない。
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この回答へのお礼

で その探究の結果は どうですか?

ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/20 08:32

そりゃ絶望的でしょ。

クウキ教信者ほど、喰われっぱなしの都合の良い人々はいないので、生かさず殺さず。
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この回答へのお礼

なるほど。打つ手なしってところですか。

ありがとうごございました。

でも 問題点――日本人の病理――については 共有してくれたのですね。

また何かひらめきましたら どうぞ投稿を。

お礼日時:2016/01/20 08:30

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