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余計な事を削ぎ落とすことについて、何か思い当たる節や、実際に行っていることがあれば教えて下さい。

短文で情報は少ないですが、何か連想したことでも良いです。例えば文章を推敲するときに、この様なことは削ぎ落とす、とか、忙しい日常において、この様な事は省いているとか。或いは、何が肝要かを判断することでもあると思います。広くご意見募ります。

質問者からの補足コメント

  • ややこしいhiakの回答がまた削除された。hiakはいちいち手間をかける、一言二言、三言ぐらい多いな。当たり前の事を言うのに、それこそ余計な事を言う必要は無いだろ。慧能に対する神秀の様な事をちらりと言う分には構わないが、自分の感情に素直すぎるな。少し自制するだけで良いのにな。
    まぁ、お前もがんばれよ。

      補足日時:2016/01/30 19:52

A 回答 (15件中11~15件)

大きな選択は、まずはすべて出して並べます。


どれにするかは、一つ一つ向きあって理由を出します。
それで絞って行きます。

以前、くまモンをデザインした方が、同じようにやってありました。
100〜250ぐらい、ちょっとずつ違うデザインのくまモンを並べて
なぜこれなのか?を出していく。

一週間から10日ほど、壁に貼ったデザイン画をじっと見つめる。
明確な理由を挙げて、絞り込む。

私は、そんなに出す数も多くなく
日数もそこまでかかることは、まず無いのですが。


原稿などは、文字数はあまり気にせずに書く。
1.2〜2倍ほどになります。
そこから削って、濃縮します。

これは、短文用です。


後は自分を削ぎ落とすこと。
内面部分ですね。
絡んでることをスッキリ明確にして、手放すことです。


どうやら基本的に出して減らしてますね。

情報も必要がありそうな範囲を網羅して、削って構成かけますね。
思い込みを排除する為に、結構な情報量を処理して
出てきたものを組み立て直すので、時間を使います。

何度も見直しを入れるので、効率は上がりません。
効率化の為に出しているので、当たり前ですね(笑)
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この回答へのお礼

出して、減らすですか。分かります^_^
自分もどれかと言うとそのタイプですね。
しかし最近は流れを大切にして、出た順でものを言ったりしていますから、削ぎ落とすまではいってないのが現状です。
流れで処するのも悪くはなく、一つの理想ではあるのですが、ヴォリュームあるものは上手く捌けてない気もします。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/29 17:13

生きやすいのではないか?



で書き終えるとまた揶揄されそうだ。

とにかく曹洞宗で永平寺と總持寺が内部で争っていようが
私にとってはどうでもいい。

こんなの曹洞宗の人が自分で決めればいいだろう。

私は私に粘着してきたほうを批判した。
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あほなさんは確か禅を調べていましたか?


興味なかったらすみません。

私に粘着してくる曹洞宗の学者が
總持寺の派閥みたいなので、

だから密教だとか道元の晩年だとか
あるいは道元の伝記だとか
研究しているのかと納得している。





~~~~~~~~~~~

思想[編集]
道元は祈祷や祭礼を否定はしなかったものの、その対象は永平寺の僧たちの安全祈願及び寺院周辺の天候回復などの祈願が主であり、晩年の1249年に『永平寺住侶利親』で「まさに諸方への護持僧参勤事を停止すべし」[5]と命じたように、他の寺院が行なっている、寺院以外での加持祈祷は禁じていた。
これに対し、永平寺3世となった徹通義介は元に留学して密教の祈祷を学び、仏殿を建て礼仏を取り入れるなど積極的な改革を行った。こうした改革は寂円等の道元の遺風を慕う一派との対立を生み、「三代相論」とよばれる内紛に発展した。
瑩山は師僧義介の遺志を受け継ぎ、道元以来の出家修行に加えて密教的な加持、祈祷、祭礼などを取り入れ、永光寺を伝道の拠点として下級武士や商人に禅を伝え信徒を拡大した。これには瑩山が依拠した寺院が、白山系の天台寺院であったことや、兼修禅的傾向の強い法灯派の僧らと瑩山との密接な関係が影響したと考えられる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/瑩山紹瑾

~~~~~~~~~~~~~


伝光録
伝光録(でんこうろく)は、日本の曹洞宗の僧侶、瑩山紹瑾によって説かれた、釈迦から懐奘までの曹洞宗歴代祖師の伝記集。全53章2巻。1300年成立。日本曹洞宗では『正法眼蔵』と共に重視される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/伝光録


~~~~~~~~~~~~





あと、真言宗の僧侶にも粘着されていますが、




まあ、結果的に
瑩山紹瑾とかいう人の批判になるようです。



曹洞宗の学者が私に粘着してこなければ、
こんな話は私の人生にとってどうでもいい話だったのですが。
どれだけ合理化しようが、宗教の需要として密教みたいなものが必要だとは思いますけれどね。

所属した派閥を護教する学者のほうが、
どこの派閥にも属さず、アイデンティティーに悩むものよりは
生きやすいのではないか?
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この回答へのお礼

昔、禅的なものへの興味は持っていました。今はそれに対しての興味は薄れています。と言うのも、六祖慧能の壇教を呼んで、随分興味が落ち着いたからです。そこには神秘性とは無縁の、覚りの境地とはいかなるものであるかが述べられており、人を右往左往させるような事は述べられていませんでした。

派閥に属したり、密教のようなものに惹かれる事は、私には必要ないと思われるのです。

お礼日時:2016/01/28 14:14

一応、専門は、「建築設計」です。



ご質問に該当するか、心配ですが。

建築の「設計」をする為には、多くの情報が必要です。
1)施主要望、2)敷地状況(現状、法律上の制限、周辺環境、風土、等)
3)予算、4)工期、5)風水(たまにそういう配慮が必要な事もあります。)、他、他。

乱暴ですが、「設計作業」とは、これ等の、多くの、複雑に入り組んだ情報を、
整理して、「削ぎ落とす」作業でもあります。

住宅では(住宅が専門ではありませんが)、施主要望そのままを、形にすると、
敷地が、2倍、3倍必要になってきます。
また、予算も、同様です。

これ等を、整理し、機能的にも、予算的にも、施主の満足できるように、
情報の交通整理をし、不必要な部分を、「削ぎ落とす」作業をすることが、
「設計作業」根幹の一つです。

建築の世界では、「シンプル イズ ベスト」です。

不必要なところ、無駄なところを、「削ぎ落とし」た、平面計画は、
実は、非常に、シンプルに見えます。

技術的に、「雨仕舞」と言う面でも、水の流れを考えて、水が漏らないように
考えていくと、その「納まり」は、結局、非常にシンプルになります。

ここでも、「削ぎ落とし」が、重要な要素となります。

本当に、ご主旨に合うか、まだ、心配です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とてもためになるご回答でした。
特に、施主さんの要望をそのままに応えると、二倍三倍に膨れ上がるという、自分自身の人生にも同じ事が言えそうだなと。望む事を全て叶えようと思えば、人生が二つ三つとか、身体が二つ三つ必要かなとか、それこそ時間が足りなくなるななどと考えました。

雨仕舞いと納まりについても、どうしても必要なものの納まりを考える上で、良い例えになるなと思えました^_^

重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2016/01/28 13:21

余計な脂肪はそぎ落とす!


(ことが簡単にできたらいいなぁ・・・。)
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この回答へのお礼

ふふ^_^
同感です。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/28 13:14

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