アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

心(思考している主体)が実体していないと言う人は、ゲーデルの不完全性定理を知らないのでしょうか?

ゲーデルの不完全性定理が証明しているように、いくら心(思考している主体)が実体していないといったところで、心が実体している可能性は否定できないのです。

故に、現在,心は実体していない,という結論は、将来全くの誤解だったという事になる可能性が高いのです。

よって、心は実体である可能性を否定することはできません。

質問者からの補足コメント

  • その解釈もまた、将来はくの誤解だったという可事になっている能性が非常に高いです。

    心(思考している主体)が実体である可能性は否定できません。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/15 17:12

A 回答 (7件)

質問の意図がはっきりしていませんが、ゲーデルの不完全性定理は自然数論にしか適用出来ないので、心の問題の解決には使えないです。


心が実体であるとの話は、心身二元論に関する事でしょうか?
人間の機能として、心が存在する事は、科学的事実で、誰も疑う人はいないでしょう。(これを認めないと、精神医学や心理学自体が存在しません)
ただし、魂とか、霊とかの形で、単独に心が実在するかどうかは、誰もわかりません。
そういう意味で、単独に心が実在するのはわからないと言う事では無いですか?
人間が生きていく上で、判断力や感情を持つことは誰も疑っていません。
そういう意味では、人間に心がある事は誰も疑っていないと思います。
質問は、考える主体としての心が実在しない事はあり得ないと言う意味でしょうか?
ここら辺は、非常に難しい問題です。
心が人間の機能として存在して、人間の脳機能がそれを行っているであろう事は、脳科学などにより、推定されています。
つまり、心は脳機能として存在すると言う事が推定されます。
そうであれば、脳が主体であり、その反応そのものが心だと言う事になります。
では、何故、心が自己という認識を持つのかが、疑問点になりますね。(実際問題、自己と言う意識が無くても、脳は機能しそうな感じがします)
一つの考えとしては、自己という意識を持った方が、身体をコントロールしやすいと言う事かもしれませんし、統合した認識機能は、そのような意識を持つようになると考える事が可能になります。
ただ、科学がそれを実証するような実験を繰り返して、そのような物が生まれないと、その仮説が証明できません。
それが、証明できれば、一元論的に心の存在を扱う事が可能になるでしょう。
もし、そのような物が生まれなければ、人間の脳の機能に特殊な領域を想定する必要があります。
その結果が、心に該当する他の機能を単独に想定する結果になった場合は、心身二元論が成立します。
質問が、単純に思考する自己の存在に関する事であれば、それ自体は機能として存在するのは確かです。
    • good
    • 1

反証可能性。

    • good
    • 1

超光速を考える頭はあるいはおつむはましだ。

(あくまでも粒子であり、波動だ。波動が物質なのか。バイアスと捉えるのか。馬鹿は不思議だ)。
馬鹿は仮説を鵜呑みにして、あいかわらず、馬鹿であり、あるいは頭をおかしくする。
    • good
    • 2

見えている世界は、脳内である。


それが“外の世界を反映したものである”という仮説に基づいて、
その仮想的「外の世界」において「心は存在するか?」と言っ
ているに過ぎない。
実際は、そうした『自分(意識)の外に、自分とは独立した
外的存在が先にある』という考えの元になっている、絶対
時間・絶対空間は相対性理論において「観察者との相対に
おいて変化する」ものとなり、また認識から独立した先入的
存在は、「不確定性原理により確定化しようとすると無限
不確定性(=無)に発散する、つまり本質を把握せず現象表面を
経験的に(いい加減に)捉える事で有限な存在性を派生する」
ものとなっているのだ。

即ち、認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になる。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数h
の収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、
相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我
仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するという訳だ。
無=不確定性無限の潜在としての認識可能性(感受表面での
量子相互作用=光速=現在)からの、自我仮説(時間の流れ
=記憶=過去=超光速)と空間仮説(空間の広がり=予測=
未来=光速下)の対発生。

相対性理論の4次元ミンコフスキー空間において、時・空軸
は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、
“ゼロの面”が生じる。
それが「ライトコーン」、即ち光量子の形成する面であり、
光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける
界面原点なのだ。
階層現象性(個体(認識体)>細胞>分子>原子>素粒子>
クォーク>超弦)において、全ての存在が本質的に超弦(量子
定常波=光速)に還元される時、存在の依存する時空的広がり
=非光速性は、物事を階層現象表面的に(=いい加減に)捉え
る事で二次的に派生している幻想だと言えるのだ。
「心が実体である可能性は否定できない」の回答画像4
この回答への補足あり
    • good
    • 0

心は実体であり、三次元世界での肉体も実体である。


人は死ぬと三次元世界を離れる。別次元でもともとある肉体を持つ。
心と肉体は不即不離である。どうしても人には肉体が必要なのである。
お前らにそれを説明しても理解できない。
間違った考えを持っているより、知らないほうが優れている。
頭が悪いものは脳がその人を顕していると考えるが、脳は使役されているのである。
    • good
    • 3

私は心は性質で出来ていると考えています。

そう脳内物質などが持ってる性質が心を成しているのです。
    • good
    • 2

もちろんです。

可能性を否定することはできません。
デカルトの方法的懐疑がこれに近い概念ですね。
例えば私達は自分の肉体が存在していると考えていますが、本当は試験管の中に詰められた脳みそだけの存在で、様々な電気的刺激を与えられて現在の世界を認識させられているだけなのかもしれません(映画「マトリックス」はこの概念を元にして作られたものですね)。
その場合、「自分の肉体が存在する」というのは、全くの誤解だということになります。
しかし、「心は実体である」「肉体は存在しない」というのは、「そうでないことを証明できない」というものであり、逆に言えば「そうであることを証明できない」ことでもあるのです。
いわゆる決定不能命題ですね。
もちろん、今現在の人間の知覚では証明できないだけという可能性も考えられます。
哲学的に言及するのであれば、「心は実体である可能性も、実体ではない可能性も、どちらも(今はまだ)否定することはできない」とするのが一番良いのではないかと思います。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!