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以前からこんなことをブータン帰りのあの人は呟いてますね。
さて質問ですが、果たして『生きる真の目的は「人生を通算した精神的充足量の総和の最大化」である』ってことで正しいでしょうか。
何か欠けているものはありませんか。

ちなみにブータンでは、国民総幸福量、GNH(Gross National Happiness)において世界一を謳歌しています。

A 回答 (12件中11~12件)

『生きる真の目的は「人生を通算した精神的充足量の総和の最大化」である』= 充実した人生


だと言い換えることができるように思えるので、個人的にはいいと思います。

言葉が理解されやすい表現に変換されていると伝わりやすいかも。

人間という生き物は、最大に未熟で生まれる生き物です。
充実に向かう時間もかかる訳で、維持する事さえ労力を要するのと
常に目的を定めなければ簡単に道を外れるのですから
自分なりの充実や幸せを持つ自由を、個々が行使して行くことでしょうね。
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別の質問の回答にあった「最大限の認識+最大限の意志+最大限の生産性・・・」ですね。



すじは通っているように見えますが、ただ気になるのは、総和だとすると、人生という時間軸で見た時の総和に至るカタチ(経過)の違いが、全く考慮されていないことです。

生まれたときから恵まれて、幸福だが何の変化もない=成長のない総和の人生と、逆境を抜け出して右上がりで成長した総和の人生とが、総和の額さえ同じなら、「真の目的」の達成度合いは同じだということになりそうで、そこに違和感を感じます。

このように私が感じる違和感は特別なものではないように思います。ならば、この点=人生という時間軸で見た時の総和に至るカタチが反映されていないことは、「欠けている」にあたると思いますがどうでしょう?
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