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まだ、20代後半で、人生の先輩に言わせれば若輩者かもしれません。

しかし、人生の起承転結の、起を終えつつある今、思うことがあります。

人生って、大まかなところでは、生まれつき決まってるな、って。

生まれた国、生まれた時代、生まれた家庭、生まれ持った病気・障がいの有無、生まれ持った容姿、その他。

結局、それらが人生の要所要所で物を言い、もちろん努力を否定する気はありませんが、やっぱり運というか、生まれつきある程度決まってるな、と最近つくづく思います。

皆さんはいかがですか?
出来れば参考までに、ご年齢をお書き添えください。大まかでも構いません。

私は20代後半です

A 回答 (22件中11~20件)

物事に幸福も不幸もないと思います。


自分で勝手にそう思っているだけだろうって。

産まれた時点で確定することはたくさんあると思います。
ただ、それで人生がおおまか決まるとは到底思えません。

外的要因が多すぎますからね。

40代男
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私は占いを趣味でやっている者からすれば、生まれつき決まっていると言えるのですが


ただ運勢は10年毎に変化しますのでずーっと幸福とか不幸の人生とかは稀ですよ
やはり誰でも波が有りますから・・・今世の幸不幸は前世のカルマ(業)なので
しょうがないですが、転生する時に前世やあの世の事を忘れてしまうので
それが解らないのです。あの世(霊界)では何でも思った事が直ぐ実現して
しまうので感激が無く飽きてしまうので、殆どの霊人が不自由なこの世に
再び生まれ変わって来るらしいのですが・・・。
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私は固定された宗教は嫌いなので宗教者でもないし、無所属ですが、神様(私の空想上の神様たち)や輪廻転生説は一部信じています。



で、人生を考える事には興味があったので、過去、様々な偉人や、スピリチュアリストや、面白い方々のお話や本を読んだりし、良い所摂りや、参考にしてきた中での、私の空想世界のまとめなのですが……。

多分、人間は生まれる前に、ちゃんと好きなように自分自身の人生シナリオを設計し、ゲームの如くそれに見合った様々なクエストやミッションをこなしながら、魂磨きをするためにこの世に産まれて来てるのではないかと私は思ってるんですよ。
なので、国も、親も、環境も、全て自由に選べます。

ただ、この世に降りる瞬間に、神様からそのシナリオの記憶は完全に消されてしまうんですけどね…。

そしてこれ以上無いような幸せな人生から、これ以上無いような不幸な人生まで、ありとあらゆる人生を一通り体験し、様々な喜怒哀楽、艱難辛苦、感動、愛などを学びながら、魂の汚れ具合や曇り具合を徐々に清めていき、やがては神様の域に近付くための勉強をしに、何度も何度も自分が納得するまで、生まれ変わるような気がしています。

幸せな人生を経験するのも不幸な人生を経験するのも自由自在なのですが、ただ、まるっきり同種の人生は二度と体験出来ず、一種体験が済めば、少し天に還って休憩し、次は又違う人生モデルを選択しなきゃならないというルールはあるのです。
多くの人は大抵、最初の頃はすごく楽しく、幸せな人生からスタートしようとします。

でも、素晴らしい人生ばかりでは勉強にはならないし、飽き足らなくなるので、苦労の多い人生や、これ以上無いほどの不幸な人生や、犯罪者になるなどの、辛い人生も体験し、様々な人の痛みや思いや苦しみを知る事も、又大切な勉強の一つなのです。

そしてありとあらゆる一通りの人生を全て体験し、魂の色が透明になると、人間からは卒業し、今度はその勉強中の人間たちをサポートする神様の一員として格上げされるのです。

なので目を覆うばかりの不幸な人や、不治の病などを背負っている人達を見ると、その人たちは人間卒業に近づいてる人たちなんだろうなぁ……と、思えるのです。

だから私の空想と、生まれつき運命が決まっている…と言う説は、一致してますね。

良い歳をした婆さんの、くだらないお話かもしれませんが(^^;;これが60年間生きてきて辿り着いた、私のけっこう真面目な考えです。
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アラフォーです。



親を選べないことがすべての不公平のはじまり。

親に権力あれば子供の人生スムーズ。

就職活動で一次試験から頑張ってやっと役員面接に。
一 緒にうけた学生にあきらかに「はじめまして」の学生が。

人事から「残念ですが不採用。でも関連会社にどうか?」との連絡。

入社式に役員面接で「はじめまして」の学生の姿が!

後でわかったのは、彼の祖父、父親が大企業の幹部だったこと。

仕事の内容は変わらないのに、コネ入社で親会社の社員の年収は関連会社のそれの1.5倍。

と、いうことは複数みてますよ。
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「幸不幸」の定義は人それぞれ違いますから、生まれたときから決まっているものではありません。



まあ、要素によっては「決まっている」と思うものはありますが。
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既にリタイア間近のオバサンです。



若い頃に「当り前じゃないの」と思っていたことが、今、とてもありがたく感じるようになりました。

同じ出来事であっても、若い頃はエキサイティングな恋や出来事の方が強烈に幸せなのだと感じました。
しかし、今は、日常的な淡々とした暮らしが幸せだと思うようになりました。

死ぬときは・・・、
家族みんなで日常を過ごし、
「おばあちゃん、ごはんですよ」
と声をかけたらすっと眠るように亡くなっていた・・・と言うのが良いと思うようになりました。

死に際に家族集まってどうのこうのは疲れます。

若い頃には、そんな生活は幸せだとは思っていませんでした。

幸せな一生だったかどうか、自分が決めるんです。
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アラフォーです。



>生まれた国、生まれた時代、生まれた家庭、生まれ持った病気・障がいの有無、生まれ持った容姿、その他。

これについては仰る通りだと思います。
ですが、同じ環境でも幸・不幸の感じ方は人それぞれだと思います。
病気や障がいがあったら不幸だと思うのは、多くの場合、健康な人が自分を基準にしてそう判断しているだけです。
それは実はとても失礼なことではないでしょうか?
当の本人たちが不幸と思っているとは限りません。
実際、自分の身近にもいますが、その障がいについては不運だと認識している彼も、だから不幸だと言われれば否定するでしょう。

外部から与えられ、自分ではどうしようもない事(環境)は多いです。
でもその中でどう生きるかはその人次第だと思いますよ。
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四十半ばの男です。



>生まれつきある程度決まってるな、と最近つくづく思います。

そのとおりだと思います。むしろ違いがあって当然。平等なわけがないんですよ。

スタートの環境から、自分の努力や能力で変えることができる範囲はある程度限られています。それで、その認識を踏まえた上で、自分はどうするのか?って話になります。

スタートから変えられる範囲は限られてはいますが、たぶん、その幅はかなり広いと思ってます。上も広いですが、下もかなり広く、深くて暗いです。

出発地点の差を眺めて不平を言っても現状はびくともしません。出発地点の差を埋めることが正しいことだとも思いません。

のほほんと過ごしていると10年なんてあっという間です。
「10年後の自分を想像しろ!」とかよく言われますけど、ちょっと具体性に欠けるというか人を選びますよね。
10年後じゃなくとりあえず1年後でもなく、明日を、今日を、ベストを尽くすとは言わず、ベターでしのぐ。大したことじゃないかもしれませんけど、それをキープすることって、実は大変なことじゃないかと思います。1年後だろうが10年後だろうが、結局、今日の積み重ねで出来ていくものですから。

少なくとも、私はそんな感じで今日も生きています。
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あなたが思う「幸せ・不幸せ」って、他人と自分を見比べて・・・なんじゃないかなぁ。


貧乏の○○君に比べたら私は幸せ。ハンサムの△△君に比べたら私は不幸せ。総合得点は7.5.だから中の上・・・みたいな。
先進国なら、どの国にも似たようなモンだとは思うんだけど、とにかく日本は「他人と比べてどうか?」「テレビで垂れ流される情報こそ正しい」傾向が強いと思うんですよねぇ。
いや、わかるんですよ、相談者さんが言いたいことは。そんな哲学的な話じゃなく、俗に言う「勝ち組・負け組み」ってことですよね。
ただ、幸せ・不幸せ、というのは、もっと個人的な話、もっと人それぞれの内面に起こる話だと思うんですね。いや、なんだか禅寺の修行みたいな話ですがw

だから、他人と比べて自分はどうか?で事を計るなら、相談者さんの言うとおりだと思う。
ただ、そもそも人間にとっての幸せとは超個人的なモノであって、他人と比べられる事ではないと思うし、比べるべきでない。
やはり、人それぞれが自分なりのやり方で見つけていくモノだと思います。
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68歳のおじさんです。


「しかし、人生の起承転結の、起を終えつつある今、思うことがあります」
→なるほど。
「人生って、大まかなところでは、生まれつき決まってるな、って」
→まあ、そういう一面はあるでしょうね。
「結局、それらが人生の要所要所で物を言い、もちろん努力を否定する気はありませんが、やっぱり運というか、生まれつきある程度決まってるな、と最近つくづく思います」
→そのように極端に決め付けるところがまだ若いということでしょう。
といいますのは、資産家の家に生まれればお金はあるでしょう。
でも、人生の悲哀を味わう機会には恵まれませんね。
何故ならば、人生の悲哀を味わうことも人生の楽しみだからです。
私は資産家に生まれてませんが、人生に不満はありません。
何故ならば、豪華なフランス料理やポルシェは必要ないからです。
朝食は納豆と卵で十分なのです。
高級クラブに行きたいとは思いません。
小さな居酒屋で友人と楽しい語らいがあれば十分幸せなのです。
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