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英語を漢字学習に当てはめて考えてみます。 色々な小説を読んで漢字になれても、結局漢字を読むことはできても書けないですよね? 書くことができるようになるには書き取りとかが必要になりますよね?

なので、こうなると思うのです。

Bertrand Russell等の著作(取りあえず一冊で色々詰め込まれてる本)を暗記するほど読んだ人:

・「一冊の本を暗記するほど読む。」→「本の言い回しを覚える。」→「英語ペラペラ」

洋書の小説を何冊も読んだ人:

・「何冊も読む。」→「多彩な表現を理解できるけど使いこなせはしない。」→「読解は無敵、しゃべるのは苦手。 ボキャブラリー量半端ない。」

*大前提として、高校までに習う基本英文法はどちらの学習法をする人も理解しているものとします。

この説に対するご意見、お考えなどをいただけたら思います。 よろしくお願い致します。

(*~説という言い回しは学者がこういう説を唱えたとかじゃなくて、単にダウンタウンの真似です。 この説は質問者の空想です。)

A 回答 (5件)

それはないですね。

日本語もそうですけど、話し言葉と書き言葉は違うのです。
日本の高校ぐらいでは書き言葉に関してはほとんど最高レベルです。(センター試験の英語が分からないアメリカ人はたくさんいるのが現実です)
 でも話し言葉は全く苦手と言うのが日本人の現実です。ですから映画を見てアフレコをするような勉強した方が良いと思います。
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一冊を何度読んでも、その範囲内での表現しか出てきません。

いろいろな経験の中である表現がどのような使われ方をしてどんなニュアンスがあるのかつかめてくるし、そうやって定着する表現もおおいので、一冊だけをこなすと言うのはそういうところで弊害が出てきます。

作家は一人ひとり、表現のスタイルがありその作家が苦手とか(作品では)使わない表現もかなりあるだろうし、そういう意味では一冊だけというのはかなり偏ったものになるでしょう。これは語彙に関しても一緒で作品の題材に関係ないフィールドの単語は殆ど出てこないわけですから、かなり狭い語彙力になってしまう可能性があります。

また読むことは書いたり喋ったりすることの助けになるでしょうけど、別の次元の話です。書く能力は書くプラクティスをしないとかけませんし、喋る能力は喋るプラクティスをしないとできません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。 そう思うのですが、英語の神様と言われた國弘正雄氏がこの方法をされていたそうで、、、。

お礼日時:2016/06/13 23:31

もし、私の読み違えでなければ、戦後になって生まれた神話のひとつではないかと思います。

多少、内容は変形しているようですが……。

私はこの一端を垣間見たことがあります。この実践者は英語は、私などよりも遥かに上だということは分かりますが、それが、一点主義にしろ、発展性がないというか、語学はいわば生きていますから、その英語自体が固定化・枯渇してしまうのではないかという疑念を与えます。しかし、語学の興味に対して、人の心は純粋に一点主義ということはありえないだろうから、やはり成功するのかもしれません。

ここに、戦後の語学の神話の一人に、語学の達人の関口存男さんがいます。斎藤秀三郎さんとは、まったく違ったタイプの語学の学者です。

学生時代、最初から『罪と罰』だけで2年を費やし、ある日突然、耳の中で一節が聞こえてきたそうです。それをどんどん聴いていると丸々1ページほどになり、書籍と照らしあわせて見てみると、ほとんど間違いがなかったそうです。その本を手に取った時点では文法も何もなかったはずです。

また、そういう勉強法で、ネイティブと自然に話すことが出来たのは、彼一人だけだったそうですし、また、彼の書いた文章は、まさにネイティブそのものだったそうです。彼は、詩歌、ジャーナリズム、文学と様々な分野の翻訳を含め熟知していたし、自分で演劇の台本も書いたし、彼の文法解釈は海外にまで影響を与えたというのです。

それと、関口氏と三修社の関係も見落としできないような気がしました。三修社は、関口氏の才能を信じ続けて、売れなくても、出版し続けたことが、彼の業績を今日まで残すことになったそうです。私が感動したのは、彼が疎開先で、お芝居の台本を作り、演劇を成功させたところとか、戦後、知人たちは中央の世界に返り咲いているのに、自分だけが予備校の先生をしているとか、学者ですが、波乱万丈の彼の人生はドラマになっているのです。

私の読んだ話と少し違いますが、以下に関口氏の勉強法が出ています。
http://dtwo.hatenablog.jp/entry/2014/10/04/220640
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。 

>私はこの一端を垣間見たことがあります。この実践者は英語は、私などよりも遥かに上だということは分かりますが、

実は、先日かなりの英語上級者の方から、一冊の本を暗記した方に英語でコテンパチンにされてしまったと聞いて、俄かに信じがたくこの質問をしたわけですが、やっぱり他にもこの方法の実践者ですごい方に出会った事のある方がいるのですね。

僕が聞いた話ですと、國弘正雄という方もされていて「只管朗読」とこの学習法を言ったそうです。

でもやっぱり、

>それが、一点主義にしろ、発展性がないというか、語学はいわば生きていますから、
>その英語自体が固定化・枯渇してしまうのではないかという疑念を与えます。

こう思いますよね。 質問者も信じられないというか、実践する勇気がなかなか湧きません。

>もし、私の読み違えでなければ、戦後になって生まれた神話のひとつではないかと思います。
>多少、内容は変形しているようですが……。

タイトルの説は知り合いがコテンパチンにされた話を聞いて、その学習法を正確に理解していない質問者が勝手につけた説です。なので、変わってしまったのでしょう。

最後に、いろいろと勉強になりましたありがとうございます。

お礼日時:2016/06/13 23:49

>英語の神様と言われた國弘正雄氏がこの方法をされていた



一つの本を精読して、何度も朗読することはプラスになることもそれ相当にあります。でも、英語を勉強して実践されている方が一冊しか本を読んでないということはありえないと思います。一冊の本を朗読したり覚えるまで読んでいる傍ら、外国人と英会話しながら英語を鍛えてたかもしれませんし、情報収集のために英字新聞やその他の記事を読んでいたかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。 誤解がある表現がありましたことをお詫び申し上げます。 本の数は1冊と限らずとも、「暗記するほど(つまり、100回、500回と)読む」という学習法についてのご意見を求めています。 例えばですよ、回答者さんのごく最近に読んだ英文で遭遇した辞書で調べた英単語くらいは覚えていると思います。 しかし、読む分には『簡単すぎる英文の構造』までは覚えていませんよね? 覚えること自体が無駄だと思いますよね。 こんな構文くらい高校生の時にとっくに習ったわい!と思うような気すらしますよね? でも、こんな事が大切らしいという話を聞いて、「どうなんだろ?」と悩むところです。

野球なんかでも素振りの練習をするそうですし、(無論バットの振り方なんて幼稚園児でも知っていますよね?)結局英文を読めるから英語を喋れるになるには、素振り1000本ならぬ、1冊100回なのか悩んでいます。(あんまり長い質問文にしますと、誰も読んでくれなくなる可能性がありましたので、短めにまとめました。 誤解ある表現だったことをお詫び申し上げます。)

お礼日時:2016/06/14 08:36

>こんな構文くらい高校生の時にとっくに習ったわい!と思うような気すらしますよね? でも、こんな事が大切らしいという話を聞いて、「どうなんだろ?」と悩むところです。



構文とか文法がわかっていて読んでわかるというのと、その表現が身についていて言葉になるというのは違います。そういう意味では朗読して、更には内容を描きながら本を見ないで一字一句再現できるというやり方はありだと思います。そうすることによって表現が自然と言葉になることが訓練されますから。ただしそういうのがあまり苦手な人もいて、その都度その都度英語を組み立てながら表現を言葉として発することができるよう訓練する人もいます。

意外と難しいですよ。初心者が文法や単語習って読んだらかんたんにわかる英語でも、いざ自らそういう表現をしたいときにその英語がすっと出て来るひとはほとんどいないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。 そうですよね。 漢字と一緒で読むのは簡単、書くのは大変です。(PCだと勝手に変換してくれるから簡単ですけど。)まあ、質問者の場合、英語も読解無敵じゃないですけど、、、。

お礼日時:2016/06/15 09:47

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