No.3
- 回答日時:
故・網野善彦氏が若かりし日に高校教員をしていたころ、学生からまさにepkakpeさんのような疑問を呈され、そのことを探求しようとしてできた著作が『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)なのだと、同書のまえがきに描かれていました。
この本では、新仏教を興したような僧侶たちが活躍する背景として、「無縁」の世界の幅広い存在を挙げています。ものすごく大雑把に言えば、これは封建社会に代表されるようなフォーマルな「縁」で形成される社会から途切れてしまった世界で、マージナルな場所であると同時に、それゆえに自由の空間が存在していたのだ…という議論です。ここに多くの新仏教を興した僧侶たちが活躍する余地もあったし、またこの「無縁」の場においては女性の活躍も目立っていたのだ、と指摘されています。またこの「無縁」は「楽」「公界」と似たような意味で使われていたようです。
しかし室町~戦国~江戸時代と経るにつれ、この「無縁」の世界は徐々に削られ、統治者たちによってコントロールされるようになっていきます。そのため、マージナルゆえの自由という余地は縮小していきます。今日、売春の世界を「苦界」と呼ぶのは、「公界」が自由を失ったなれの果てだからだ…とも言えます。
つまり、鎌倉期に新仏教が次々興ったのは、そうした活動ができる「無縁」なる場が存在していたから…ということが重要な背景のようです。
網野氏の研究は、「網野史学」と呼ばれるほどのインパクトを戦後の日本史研究に与えています。今日では彼の研究に刺激され、彼のテーゼを批判克服するような議論も生み出されているのでしょうが、当方は日本史研究者ではないのでこれ以上は把握できません。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
簡単にいうと、既成仏教が堕落し、平安時代は貴族のものであった仏教が、武士や民衆のニーズに応えて盛んになったといえるのではないでしょうか。
既成仏教とは南都六宗(三論・法相・華厳・律・成実・倶舎の各宗)、天台・真言の二宗です。南都七大寺や、延暦寺・園城寺などの大寺院は、各地に広大な荘園を持ち、多くの僧兵を養うなど、財力・武力を蓄え権力にも介入し、ことあるごとに朝廷に強訴したり、他の寺院に武力闘争をいどむなど、仏教集団というよりも、武力集団となっていたのです。
それは当時の人々の目には、釈迦の教えが力を失う「末法(まっぽう)」の時代の到来と写っていたようです。
末法思想がひろまるにつれて弘まったのが、法然を祖とする専修念仏(浄土宗)です。
平安時代の末期から絶えない戦乱、あいつぐ天災、生活苦などで、どこにも救いを求めるすべがなかった民衆や、旧仏教に絶望していた僧たちが、浄土信仰に引かれていったようです。
鎌倉武士に流行したのは禅宗です。
当時の最高権力者の北条時頼は本格的な禅宗寺院の建長寺を建てています。
なぜ禅宗が武士の間に弘まったかというと、禅宗が中国の風習を取り入れて、葬式や法要を厳粛に行ったため、家門を尊び祖先を大切にする武士に用いられたとする説が有力です。(一般的なイメージだと、座禅による心身鍛錬がありますが)
また中国(宋)の文物や学芸が、渡来した禅僧によって日本に持ち込まれ、禅宗寺院が最新の外来文化の窓口になっていたせいもあるようです。
その他の宗派については長くなるので割愛します。
死から埋葬までに関わったのは、当時は僧侶ではなく陰陽師です。
年忌法要については、武家などの上流階級の場合は、僧侶が関わっていましたが、やはり陰陽師が要所に関わっており、僧侶の独壇場ではなかったようです。
庶民は自分たちの葬儀のために僧侶を呼んだり塔婆供養をするという習慣はありませんでした。庶民を対象とする新仏教の本来の目的は葬送儀礼ではなかったのですから、武士や貴族階級の葬法とは大きな違いをみせています。
死体は道のほとりなどに、山積みにして捨てられていたのです。(集団埋葬地のようなもの、寺の中などではない)葬って墓標が立てられ、誰の墓か分るような物は庶民の墓としては上等でした。また葬儀や埋葬をできる庶民は、僧侶より陰陽師に依頼するのが普通でした。死と死後の諸儀礼は、庶民の中にはほとんど成立してなかったといえます。
ありがとうございます。
法然が嚆矢になったようですが、その後の仏教発展を考えると偉大な突破口になったわけですね。
一方で禅宗が輸入されて新文化が花開いたということですね。
わび・さびの歴史はここから始まったのではとふと思いました。
陰陽師が葬式に関わっていたとは知りませんでした。
今でいう、神社式葬儀でしょうか。
>死体は道のほとりなどに、山積みにして捨てられていたのです。
今とは死生観が違ったのでしょうね。
それにしても不衛生です。
土葬の習慣は縄文・弥生時代からあるのに、庶民に広まらなかったのは不思議です。
No.1
- 回答日時:
平安時代から鎌倉時代に移り変わるときに源平合戦という大きな戦がありました。
平安末期に栄華を誇った平氏に対して源氏が立ち上がった戦いですね。その間民衆は戦争に巻き込まれるわけですから、せっかく開墾した農地を荒らされたり、作物を取れなくなり飢餓になることもあります。もちろん死ぬこともあるわけです。
そうなると力も無い農民が頼るのは宗教ということに
なるわけですが、平安時代の宗教は天台宗や真言宗などの密教といい、人里離れた山奥に入り俗世を絶って
滝に打たれるなどの厳しい修行に耐えなければなりませんでした。これではなかなか民衆には辛いものです。
そこへ登場したのが、法然が唱える浄土宗です。彼は
”極楽へ行くには厳しい修行は必要ない。ただ南無阿弥陀仏と唱えればよいのです。”と説きました。
このお手軽さがうけて民衆がこぞって彼のもとに従ったということです。
それに続いて踊り念仏の時宗や、ひたすら座禅をすればよいと説いた曹洞宗、題目と現世改革を唱えた日蓮などの多彩な宗教者が出てきたのです。
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