故人と物故者の違い

A 回答 (1件)

どちらも、亡くなられた人を表す言葉です。



物故者の場合、団体・組織などの関係者で亡くなられた方々を指しますので、複数の人を指す場合があります。

故人は、あくまで一個人を表します。

参考までに。
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Q物故者の使い方

物故者という単語を最近知ったのですが、故人というよく目にする単語とどのような使い方の違いがあるのですか?

Aベストアンサー

物故者は複数人、故人は一人。

物故者は例えば何かの会に在籍していて亡くなられた方々を指し、よく会の式典前に「物故者の皆様に対し一分間の黙祷を致します」という具合に使います。

故人は本当に広い意味での亡くなられた「個人」。一周忌等でお坊さんが読経の後の説教で、一周忌を迎えた故人を物故者とは言いませんよね?故人は・・・・と言います。

Q物故(者)の由来は

亡くなった人のことを物故者といいますが、この物故とはどのような由来からきている言葉なのでしょうか。広辞苑では「筍子君道」としか出ていません。原典にあたることが難しいので、教えてください。

Aベストアンサー

「詳解漢和大字典」(冨山房)によると、「物故」の原義には諸説あり、としたうえで、原典として「漢書 蘇武伝」を挙げています(ただし、以下のどの用法が原典で用いられているかは明示されていません)

(1)「物」は「歿」の転化したもの、「故」は古くなることから、人の死を表わす

(2)「物」は「勿(なかれ)」、「故」は「事」で、「もはやこの世にないこと」を意味する

(3)「物」は服用する衣服、「故」は「古」で、衣服が古びるように人も死んでいくこと

以上、「由来、解釈とも諸説あり一つには定めがたい」というのが回答になりそうです。

(広辞苑はただ「荀子」にこの言葉が用いられている、との意味で記しているようです。もっとも「後漢書」のほうも同様で、由来の確定には役立ちません)

はっきりしない結論ですが、ご参考になれば。

Q同窓会名簿で、亡くなった方の記載

同窓会名簿で、亡くなった方の欄には何と書くものでしょうか?

Aベストアンサー

私の持っている名簿の場合、物故者としてまとめてあります。

Q同窓会の名簿に欠席者・物故者は載せない?

高校の同窓会の幹事になりました。
当日、出席者に配布する記念冊子の編集担当になったのですが、出席者名簿(欠席者は載せない)を作成したところ、幹事仲間から「字が小さくなってもいいから、全員載せろ」「出席という欄を設けて、出席者に○をつけたらいい」という意見が出ました。
全員載せるものなのでしょうか?
欠席者の氏名も載せておいた方が「この子来てないけど、どうしてるんだろうねえ」などと話の種にもなるかなとは思いますが、一般的にどうなのでしょうか?

また、全員載せるとなると、物故者(残念ながら1名だけいます)も載せないと不自然だと思うのですが、幹事仲間は「物故者は載せなくてもいい」との意見です。
物故者は別枠で載せるか、黙祷の時に名前を発表するので、特に別枠は設けずにみんなと同じ名簿に載せるか、それともまったく載せないか、普通はどうするものなのでしょうか?

また、恩師も招待する予定ですが、出席いただいた先生の欄に○をつけるのはなんとなく私としては抵抗があります。
「お世話になった先生方」として、出席・欠席問わず、招待状を発送した恩師を全員載せて、○はつけずに(出席いただいた先生には一言ずつご挨拶いただく予定なので)「出席いただいた先生方、ありがとうございました」という感じにしようかなと思うのですが、他に普通はこうするという例はあるでしょうか?

同窓会幹事経験者の方、どうか教えて下さい。よろしくお願いします。

高校の同窓会の幹事になりました。
当日、出席者に配布する記念冊子の編集担当になったのですが、出席者名簿(欠席者は載せない)を作成したところ、幹事仲間から「字が小さくなってもいいから、全員載せろ」「出席という欄を設けて、出席者に○をつけたらいい」という意見が出ました。
全員載せるものなのでしょうか?
欠席者の氏名も載せておいた方が「この子来てないけど、どうしてるんだろうねえ」などと話の種にもなるかなとは思いますが、一般的にどうなのでしょうか?

また、全員載せるとなると、物故者(...続きを読む

Aベストアンサー

幹事経験があります。
お尋ねの件を含め、個人情報、亡くなられた方等々、事情はいろいろ、思惑もいろいろかと思います。
それを前もって予測し、案内および返信ハガキの様式を決める際から検討しておくべきでしたね。

私たちの場合は話し合いの結果、案内に
・基本、同窓生(クラス会であっても)全員の名簿の作成を考えています。
・返信ハガキに記載の項目で記載に了承いただけた項目は漏れなくすべて名簿に記載します。
・個人情報の管理に難しい時代でもあり、公表を控えたい方は最低限「氏名(旧姓)」と「当日の参加の可否」のみお願いします。

と説明を加えた上で、名簿への記載とは別に幹事側で確認等連絡の可能性もあり、返信ハガキの項目には
・氏名(旧姓)
・〒、住所
・電話番号(携帯可)
・アドレス
・当日の参加の可否
・欠席者は後日、名簿の送付の要・不要
・出欠席を問わず、皆さんに一言

と記入項目を設けつつ、「氏名(旧姓)」以外の項目の脇には「名簿への掲載の可否」に明確に「○・×」の記入欄を設けました。

最低限、なつかしい顔ぶれの名前一覧が全員あることで名簿の役割とし、他の項目は個別に連絡を取り合う手がかりとしての二次活用については、互いの社会人としての良識と、報告いただく個人の責任とさせていただきます。との注意書き付きで。

亡くなられた方についても、「○年没」とだけ記載する旨を、発送先の確認等で連絡の取れたご家族には了承いただき、記載しました。

先生については、元より現職・退職を問わず、転々とされている方もおられ、お名前と当日参加の可否のみとさせていただきました。
これもお名前を拝見するだけで思いでや懐かしさを呼び返す本来の名簿の役割と考えました。

幹事経験があります。
お尋ねの件を含め、個人情報、亡くなられた方等々、事情はいろいろ、思惑もいろいろかと思います。
それを前もって予測し、案内および返信ハガキの様式を決める際から検討しておくべきでしたね。

私たちの場合は話し合いの結果、案内に
・基本、同窓生(クラス会であっても)全員の名簿の作成を考えています。
・返信ハガキに記載の項目で記載に了承いただけた項目は漏れなくすべて名簿に記載します。
・個人情報の管理に難しい時代でもあり、公表を控えたい方は最低限「氏名(旧姓)」と「...続きを読む

Q式での黙祷の順序は?

同窓会の宴会のはじめに関係者の中での故人に対する黙祷を幹事として考えています。順序として1.幹事あいさつ2.主客挨拶3.乾杯
の順序と考えていますが、黙祷は1or2の次と思いますが、どちらが良いでしょうか?10名ぐらいの同窓会です。

Aベストアンサー

http://www.kanazawa-med.ac.jp/~kouyuka/hokushin/kanagawa/s-kanagawa-p.html

http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/dousou/soukai/soukai.html

上記が参考サイトです。
同窓会の式次第がありますが、いずれも開会の後に黙祷をしています。

Q懲役刑と禁固刑の違い

ニュースで良く耳にする「懲役」と「禁固」とはどう違うのでしょうか?
禁固刑はずっと牢屋に閉じ込められて一切外には出れないのでしょうか?
この犯罪は懲役刑、この犯罪は禁固刑と犯罪によって決まるのですか?
わたしなら、牢屋に閉じ込められるくらいなら禁固刑三ヶ月なら、ある程度自由のある懲役刑1年くらいの方がまだマシです。

独り言のような疑問なのでおヒマな方、回答おねがいします。

Aベストアンサー

処遇の内容については皆さんお答えのとおり
刑務作業(要は強制労働)の有無のちがいです。

懲役刑は軽蔑すべき犯罪を故意に行った「破廉恥犯」に課されますが
禁固刑は政治犯など、自分の政治的信念に従って「正しいこと」と信じて行動した結果が犯罪になった場合、また過失犯など「非破廉恥犯」と言われる場合に課されます。

禁固受刑者で作業をしない人は1%にも満たないそうです。ほとんどの禁固受刑者は自ら望んで刑務作業(請願作業といいます)をします。

と、大学で習いました

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q「引導を渡す」という言葉について

「引導を渡す」という言葉について、教えていただけますか。
この言葉は、(とどめを刺す)様な意味で使われることはあるのでしょうか。
例えば、
「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」
とかいう使い方をすることがあるでしょうか。
(壊れかけの車を、ごまかしごまかし使っていたのを、もう諦めて、廃車にする)
ような意味では使われるような気がするんですが、
ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか、
教えていただけますか。
なんとも分かりづらい質問で、申し訳ありません。

Aベストアンサー

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(ガーター)を語って、死者を、迷界から浄土へと導くよう試みる儀式のことになります。

これを、「引導を渡す」と言います。「迷界から浄土へ導く」とは何かと言うと、これは、死者に、「死んだ事実」を確実に認識させ、現世への執着を棄て、悟りの仏道へと進むよう説くことだとも言えます。

つまり、「お前は間違いなく死んだ」ということを、死者に宣言する儀式にもなります。民主主義的とか何とか関係なく、端的に「事実」を語り、事実を宣言する儀式だとも言えます。死の不可逆性を悟って、始めて、浄土への道も開かれるからです。

最初に、こういう「引導を渡す」という形の儀式をしたのは、中国黄檗集の祖、黄檗希運で、彼は9世紀頃の人です。

仏教用語から転じて、「最終的な宣告をして、諦めさせる」という意味があるようですが、これは「最終的な宣告をする」にウェイトがあります。引導を渡しても、相手が納得するとか、諦めるとは限らないからです。

仏教なら、「お前は死んだのだ、そのことを知り、成仏せよ」と引導を渡しても、死者が納得せず、この世への未練から、亡霊などになったり、輪廻に落ちるということは、別に珍しいことでもないからです。

他方、「止めを刺す」というのは、殺したはずの相手を、生き返る余地などないように、念を押して、首を突くとか心臓を刺して、死を確実にすることです。ここから転じて、念を入れて、終わらせるという意味になります。

「敵の攻撃に止めを刺した」というのは、単に攻撃を撃退するだけでなく、もう攻撃できないよう、念を入れて撃退・壊滅させることでしょう。またこれで、最後の最後だということで、「日本画のあの分野では、現代ではA氏がとどめを刺した」という風に使います。

>「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」

これは用法としてあると思います。「引導を渡す」というのは、かなり転用されます。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

「引導を渡す」と「とどめを刺す」では、意味が元々違います。しかし、或る場面だと、二つの言い方で、どちらでも使える場合があります。「総務にかけあって、あの車は、おれがとどめを刺してやった」というのは、同僚などに語る場合は使うと思います。

そもそも車に向かい、「お前はすでに死車だ、そのことを知り、迷わず成仏せよ」などというのはおかしい訳です。この場合の「引導を渡す」は、「もう無用の車だと宣言する」ということでしょう。車に擬人的にこう言っているのだとしても、車に同意や納得を求めている訳ではありません。

だから、もう壊れかけ、実は廃車となっているはずの車に、最後の止めを刺して、実質廃車にした、という意味で、「止めを刺した」はありえると思います。

会社か総務の方針かなどで、とっくに廃車(死者)になっている車が、迷って、この世にいるのを、お前はもう廃車だ、この車はもう廃車だ、と宣言することが、「引導を渡す」であり、またそのことは「とどめを刺す」ことにもなるからです。

(もっと偉い人が、車を廃車にしない総務の担当に、廃車にしなさいと、引導を渡す、ということはあります。しかし、担当にとどめを刺すとは言いません。担当に引導を渡し、車にとどめを刺した……というような言い方になるでしょう。無理に例を作ると)。

「引導を渡す」と「止めを刺す」は、元々の意味が違いますから、特定の場面でしか、この二つの表現は成立しません。それも、かなり口語的で、「砕けた表現」の場合に、両方使えると思えます。

だから、この場合は、あれは廃車だと思っている同僚に向かい、軽く言う場合は、「おれが引導を渡した」「おれがとどめを刺した」は使えますが、上司に向かい、「課長、私が、あのぼろ車にとどめを刺しましたよ」というのは、酒の席だとかで冗談めかして言うならともかく、ちょっと使わない方が適切です。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

ここでは、話す相手や場面によりますが、「引導を渡す」は、「止めを刺す」という意味で使えると思います。しかし、この二つの表現は、本来起源が違うので、一般的な使用の慣習などで、判断しなければならないと思います。

口語調で、少し乱暴に言う場合以外は、基本的に、違う表現・言葉だと考えた方がよいと思います。
 

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(...続きを読む

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.


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