アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私は生きているだけで、誰かを傷つけてしまいます。言葉や行動が原因のものは、なおしていけるのですが、存在となるとなおしようが無くて、学校を辞め、友達とも縁を切りました。本音を言うと凄く寂しいです。でも、この欲求を満たそうとしたら、また誰かを傷つけてしまうんじゃないかと思ってしまい恐いです。人を傷つけない優しい人のなり方を教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • たくさんの回答ありがとうございます。
    学校で私はa子ちゃんとよく一緒にいました。
    a子ちゃんと仲のいいb子ちゃんは、私に気を使いb子ちゃんを合わせて3人グループにいました。でも、3人奇数なのでどうしても1人になってしまう時があり、後から入ったb子ちゃんは1人になりがちでした。そして、ある日b子ちゃんが泣いているのを励ますa子ちゃんを見かけました。
    私がいたから、こんなことになってしまったのです。私が学校を辞めた今、クラスはうまくいっているようです。要は邪魔者なのです。質問して考えさせられました。私が居なくなればいいそれが1番でした。質問しながら勝手に自分で答えをだしてしまい申し訳ありません。お時間さいていただきありがとうございました。

      補足日時:2016/08/20 21:44

A 回答 (14件中1~10件)

少しぐらい傷ついても人間は立ち上がれるから気にしない気にしない

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繊細だなぁ、


俺なんて図太いからな
まぁ存在で傷つけるのはないんじゃない?
友達はいないと寂しいのは当然でしょ。
人間頼れる人
信じる人がいないとね
支え会うものだから今の君には周りをよく見ることをおすすめするな、君の親がどんな思いをして君のことをうんだか、それは生きてこの世界を楽しんでほしいからに決まってるダショ。友達?またつくってしまえばいい!傷つけ上等
楽しまなきゃ損損!!
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人は生きていれば必ず誰かを傷つけます。


そして、必ず誰かに傷つけられます。
それは仕方のないことで、諦めるしかありません。

あなたは友達の為に、自分を犠牲にして満足でしたか?
それを知って、あなたのことを心から愛しているご両親は嘆いていませんか?
人が人を傷つけ傷つけられることは仕方のないことですが、
人は人の為に楽しみや喜び、希望を与えることもできます。愛です。
あなたの考えも間違ってはいませんが、浅はかすぎると思います。
人を傷つけないことも大切ですが、
人に愛や希望を与えることの大切さにも気付いてほしいと思います。
それこそがあなたの存在価値だと思うからです。

人が生きている以上は、
必ず誰かを傷つけ、誰かに傷つけられます。
人を愛することも、人から愛されることも出来ます。
仕方のないことでもあり、人の存在価値でもあります。
あなたに出来ることは、
傷つける相手、傷つけられる相手、愛する相手、愛される相手、
そのいずれかを、あなた自身が見つけることが出来るという事です。

学校の友達の為に自分の身を引く、それも一つの考え方ですが、
人を愛すること愛される事、
傷つき傷つけられる相手を選ぶことについて、
もっと真剣に考えて欲しいと思います。
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まあまあ、なんて繊細な子なのかしら。


私は人間関係で1人も2人も3人も4人も5人も6人グループも経験ありますが、やっぱり相性ですかね~?
合わなかったら自分が抜ければいいやと言うのは同じです。共感。
他に話せる子もいるしいつのまにか新しい友達ができてるもんです。
奇数だからってうまくいかないわけじゃないですよ。
私含め3人供フワフワテキトーな感じだったらうまくいきましたし。
自己中な3人が集まったらうまくいかないですよ。
要は人ですね。ハイ。

1人で食べるお弁当も普通に美味しいですよ、変わんないです。
ドンと構えてみたら?
人間なんて産まれてきたときから傷付け傷付けられる運命なんですから
それら受け入れましょうよ。
つわりや出産時にだいぶダメージくらわせてますからね。
豚も野菜も食べてるんですから。
自殺するだけで何百の細菌と細胞を傷付けるわけですよ。
もう認めちゃいましょう。諦めよう。
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少なくとも関東地方に住んでいる私は自身の心身が


(生きて存在している)質問者さまから傷つけられてしまった
という自覚症状がないのですが…加害妄想ではなくて、
全く言葉も発せず、目も合わせずに、近寄りもせずに傷つけて
しまった人がいるのでしょうか。
質問者さまの自覚で、どの程度の遠距離の未知の人を
傷つけてしまった事案があるのでしょうか。
或いは、私を傷つけてみてくださいませんか。
そうすれば、私は質問者さまの加害妄想が妄想でないことを
知ることができて、お望みの回答が書けるかもしれませんので。

お願いです。是非とも、私を傷つけてみてください。
私は、そう簡単に傷つけられるような人間ではありませんので
後学の為に、傷ついてみたいですし、その傷を自身で
治してみたいのです。それで、お望みの回答を書きたいです。
書かせてください。
宜しく、お願い致します。

CiaoCiao.
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生きていることに後悔をもたないでください。


私は小学生の頃いじめにあっていました。
友達をかばったからです。
いじめは酷くなる一方でした。
毎日死にたい、生きるのは疲れた、生きていても苦しいだけだって
手首を切ったり首をロープで引っかけてみたりしたけど
手首は深く切れなかったしロープはぶらさがれなかった。
結局死ぬのが怖かったんです。
死んでも悲しむ人なんていないって思ってるのに死ねなかった。
もっと残りの人生楽しみたかった。
私がもっと強くなれば未来が変わるかもしれないって
自信を持つようにしました。
けど結局遠い所に引っ越しただけです。
それから私の学校生活は大きく変わりました。
初めて生きてて良かったって思いました。
あなたが今どこで何をしているのかも知りませんし
どんな辛い事を我慢しているのかさえ分かりません。
ただ分かるのは貴方の未来にも希望があるということ。
今生きている事に後悔を抱けば最悪の事態が起こりかねない。
今を必死に生きる人の未来は決まってるんです。
だから貴方も変わる努力と自分を愛す努力をしてください。
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子供の頃は、良い事、悪い事、と言う考え方を教えられますよね?



しかし、これは子供向けの教え方でして、段々と上手く行かなくなります。

生きている以上は、大昔から誰もが経験するはずです。

なぜかと言うと、良い事、悪い事、と言う教え方は大昔からしており、

これが子供向けの考え方で、実際は正しくないからですね。

人間という動物の性質に適したことをすれば喜びを得られ、

そうでなければ苦しみを感じる。

表面に騙されず、こちらの尺度を使い、

判断をしていくと見通しが良くなります。


たとえば、

苦しんでいる人は、いずれ人を傷つける可能性があります。

これが分かっていれば、傷つけられる対象が自分であれば、

「わかっていたよ。大丈夫。」と許してあげればよいですよね?

不意をつかれなければ、何とか我慢できるものです。

また、自分以外の場合は、そっとついていって、

その両者をとりなしてあげれば良いです。

不用意に傷つけた人も傷ついています。

なので、

「こんな事情があったんで、こういいたかっただけだと思う。」

と取り成してあげる。

また、

「いきなり、こうされたら驚くし、哀しいよね。」

と傷つけられた人の気持ちを理解し、同情してあげることです。


自分がこうできないのは、

事件が生じてから驚いているからです。

事件が生じることがわかって、一緒についていき、酷い事にならないうちに

被害を抑えるようにお手伝いができればいいわけです。



どう言うときに事件が生じるのか?

この法則を頭に入れておかないと、こういう行動は出来ませんよ。

そのあたりが悩みの原因であると思います。

ここではそれを紹介します。




人間は、自分達に必要なものを自分達で作る特殊な動物です。

必要な物というのは、無いと困るものを指します。

ですから、自分に必要なものを自分が作っていない状態ですと、

自然と心が病んでいきます。

人間と言う動物の性質上、不自然であり、ストレスが貯まるんですね。

ストレスが貯まっていると、余計な事を言ったり、やったり、

必要な事をおろそかにしたり、無駄な事に労力を費やしたりします。


しかも、こういう状態は自分では気付きづらいです。

例えば、ストレスが貯まっているのに、

溌剌として笑っており、やる気に満ちている人もいます。

一生懸命、自分の心が自分を支えようとして、気付かないようにするからです。


例えば、明るくて元気があり、成果を出す人がいたとします。

その人は、丁寧にお客様に接し、仕事を成功させていたとします。

しかし、営業と言う行為をしており、自分に必要なものは作っておりませんから、

いつかは、大切な人と喧嘩をしたり、傷つけたりするんです。

勿論、仲直りをして、豊かな人生を歩むと思います。

しかし、ご質問にある、人を傷つけずに優しく過ごすことが自然には出来ないんです。

無理があると言う事ですね。


しかし、この人が自分の食事を自分で作ったとしましょう。

すると、そうしようと思ったときから正常な状態に戻り、

食事の後は自然体でいられるでしょう。

しかし、すぐに元に戻ります。

人にはこういう特徴があり、これはとても仕方がないものなんです。

ですが、短い時間でも大きな効果があり、サボってはいけません。

ちょうど疲れた筋肉をマッサージするようなものです。


「自分が自分で必要なものを作ったのはいつが最後だろうか?」


こう考えるようにします。

そして、かなり間があいていたら、

「嫌な自分になっているはず。」

と思い込めば、だいたいあっています。


そして

「自分以外の誰かが悪いと言って、

 悪者を探して攻撃する衝動に囚われるあろう。」

と予想をしておく事が大事です。


例えば、他人の行為を見て怒りを感じたとき、

「なんて酷い。なんて悪い人なんだろう? 許せないよね?」

と考えず、

「この人が自分に必要なものを作ったのは大分昔なんじゃ・・・。

 少しは精神をケアしないと、そうなるよなあ。」

と考えます。

また、どうして自分が相手を許せないと思ったのか?

こちらの衝動に驚いて、自己チェックをしないといけません。

「あらら、私も自分に必要なものを、作ってないわ。

 大分昔になるなあ。」

とわかれば、これには対処ができます。

互いを批判する衝動の原因が同じでして、

どちらが正しいというのではなく、

どちらも苦しいというだけなのです。


自分で自分が必要とするものを作っているときは、

余計なものに関わりたくないと感じ、

他の人が気にしていることが瑣末時に感じます。

誰にでも、そういう気分のときがあったはずです。

しかし、

これはそのときだけ感じる感覚であり、

けっして自分が成長したわけではありません。

ただし、

「人間の皆がそうなる。これを予想して対処すればいいだけ。」

と分っていたら、それは成長した事になります。


どんなに知的であっても、どんなに有名であっても、

その職業が、「自分や他人に必要なものを作る」仕事でなければ、

いずれは我慢しきれずに誰かに酷いことを言ったり、

酷い事をしたり、傷つけたり、悪者を探そうとしたりします。

時間が掛かっているだけであり、必ずそうなるのです。


ほとんどは、人間が最近の歴史の中で勝手に作った職業です。

それが人間と言う動物の本能に適しているとは限りませんよね。

昔の人はこれを知っており、

例えお金がもらえても、自分を大切にしていないと考えたものです。


こう考えますと、

子供は働いておりませんから、互いを傷つけあうはずです。

これは仕方がないです。

しかし、何かを作るお仕事のおてづだいをさせるだけで、

急に大人っぽい考え方をするはずです。

そうじゃない場合は、色々と事件を起こすのが普通でしょう。

これに腹が立って仕方ないと成れば、

ご自身が何かを作る経験から疎遠なだけです。


また、何かを作る仕事をがあったとしても、

自分で使わないものや必要でないものですと、

やはり同じように心が病んでいきます。


その技能を自分のために時々は使わないといけません。


では、学校の勉強をどうして子供が嫌がるのか?

遊びをどうしてしたがるのか?

どちらも内容は対して変わりませんが、

人にとって自然であるかどうかの違いが大きく存在します。

親や周囲の大人が、誉めて延ばしても無駄なんです。

更に、こういう人もいます。

「人に言われないでも、

 自分からやりたくて取り組んでいる人は大きな成果を出す。

 そうじゃないとダメなんだよ。

 お前にはやる気がないんだ。やる気がある人を募集したい。」

この様に言う人は、現象だけを取らえており、

”やる気”が何から生じるのかを知りません。


自分に必要なものを自分で作れると知ったとき、

その快感を得たくて、やる気が起きるんです。

これらは、良い事や悪い事という概念では解決できないものです。


しかし、これらを知らないで、

誰かを指導したり、誰かに指導されたりするのが一般的です。

また、私のように持論を展開しても、信じる自由は他人にあります。

ですので、余計な事を説明せずに、

「最近、自分でヨーグルトを作ったら、これが旨いんだ。

 で、今日は材料を買いに行くんで、つきあってくれ。」

の様に、徐々に誘いかけて、手伝ってもらい、

相手にもそうした喜びを分け与えてあげることです。

こういうものを優しさといい、

本当に必要な行動であり、考え方であり、

これを誰かが率先してやっていませんと、諍いばかりが生じます。


今の社会は便利ですから、

意固地になって、何でも自分の手で作るのは非効率的で、お勧めできません。

しかし、原始時代から変わらないのが本能なのですから、

ケアして上げるように気をつけないと、心が病みます。

これは、いけませんよね。


また、人が人を恋しくなるのは、

自分で必要なものを自分だけでは作れないと知っているからです。

この本能により、集団にロマンを求めます。

集団そのものが満たすわけではありません。

ですので、

期待を裏切られれば、疎外感を感じますし、八つ当たりをしたくなります。

その気持ちがどこから生じているか分れば、

その集団に対して、何かを作ろうと持ちかければ良いだけですし、

もっともそこからかけ離れている人を探し、そこからケアすれば良いです。

もっともかけ離れている人が、もっとも苦しんでおり、

もっともストレスを吐き出しているからです。


家族、友人、恋人、仕事と職場、

色んなものに良いイメージをもとめて、必死に成っている人が増えました。

その中にある古来から共通するものは何なのか?

ここについては考えていないようです。


しかし、これすら昔からなんです。

結局は、そういう状況になると諦め、

「ああ、足りていないな。ここは。」

と思ったら、面倒じゃない範囲で、

各自が必要なモノを自分で作るシーンを意図して増やして上げる。

たったこれだけをすれば、皆が生き返ります。

一人一人には尊厳があり、けっして侮れるものじゃ在りません。

リフレッシュした後は、素晴らしい魅力を発揮するはずです。

それを信じてそっと増やす。これが優しさでしょう。


以上、ご参考に成れば。
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おじさんです。


「私は生きているだけで、誰かを傷つけてしまいます」
→存在だけで傷つけることはありません。
あなたの何らかの行動が相手を傷つけるのです。
間違ってはいけませんよ。
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私も生きているだけで、貴重な地球の空気を汚し、水を汚しています。


それどころか、動物も傷つけるどころか食べています。
社会に貢献しているという理由をつけてお金をもらって、
そのおかねを使うことで、感謝されたりもします。
人間が生きているとはその作業も協力し合あうということです。
当然その経過で誰かを傷つけ自分も傷つきます。
人間は進化の過程でそのように作られてきたもので、
自分もそのうちの一人の役割をしていくだけのことです。
なんでもギブアンドテイクではないでしょうか。
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他人から必要とされる人になれば存在していても大丈夫です。

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