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 畿内に行ったことのある人ならご存じのことと思いますが、天皇陵の方墳側に鳥居がたっていますよね。あれって いつ、何のためにつくられたのでしょうか・・・?

A 回答 (5件)

tama606さんの言うとおりですねえ、学術調査許可して欲しいですよ。


徹底的に調査しない限り「伝○○天皇陵古墳」の段階を突破できないですねえ。

まず天皇陵とは・・・宮内庁管理。天皇家の所有物。
正式には「陵墓」のことを指します。
  陵(みささぎ)=天皇、皇后のお墓。
  墓     =親王、内親王らのお墓。
  ↑の総称なんですね。
ちなみに全国1都2府30県、1089箇所あるそうです。

 平安後期頃からはどんどん累積する天皇陵を維持するのは財政的に無理になってきて、十陵四墓とか十陵五墓の制とかで、管理するのは現天皇からさかのぼって何人までとかになってきます。
もうそこからは荒れる一方で、戦国時代には天皇即位に必要な金銭もなかったと言いますから、おそらく・・・忘れ去られていたかと・・(笑
 江戸に入り、将軍家と天皇家の関係(婚姻も含め)から綱吉の時に天皇陵の修理がされたといいます。
また19世紀初頭には蒲生君平が「山稜志」で記したようにある程度は注目されるようになっていたのではないでしょうか。
 
 明治維新後しだいに整備が進んで行き、一段と進んだのは1889年(憲法発布)頃からだそうです。
なぜ整備されたか理由がよくわかるのは
「大日本帝国憲法」「皇室典範」中の「万世一系」という言葉です。
国家神道に基づいた当時の政治体制の確立のためには天皇家の正当性を示す必要がありました。
そのために江戸期にはたかだか20mほどの丘のようなものだったのが、
この頃には前方後円墳の姿に変わってる・・・という事例も多くあります。
(もともと何も無いのも多いですが 笑)
そういう流れで天皇陵は整備されていったそうです。

天皇陵の入り口には立て札がありますよね。
「○○天皇陵。立ち入り禁止。鳥・魚とるな。etc」っていうあれ。
中には詰所があるところまでありますよね。
おそらく、理由は神道としてのシンボルだと思います。
時期は立て札やなんかと同時期ではないでしょうか・・・

あまり天皇陵に行ったことないんですが、
方墳側に鳥居がたってる・・・というのは前方後円墳の場合、
前方(方墳)部分は儀礼用、後円部分は埋葬用に使われたと考えられています。
そういう意味で儀礼側に向かって設置されてるんじゃないでしょうか。

(って・・ほとんど陵墓の解説じゃんw)
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古墳の崇拝は、有力者の墓所として墳丘成立当初からあったようです。

中には鳥居や参道を設ける例もありましたが、その位置は円部に多かったようです。応神陵は後円部の南に誉田八幡というのがあり、かつては墳頂まで参道があったそうです。
天皇陵がなぜ現在の位置に拝所を設けてあるかはちょっと解りませんが、皇国史観の影響で、昭和初期に天皇崇拝のシンボルとして整備されたのではないでしょうか?
宮内庁の御陵指定も、遺跡が荒れなくていいのですが、学術調査は許可してもらいたいものです。
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 三輪方面には特に目に付きやすい御陵が多いですね!



「結界:ケッカイ」という仏教用語は、原始信仰の大神神社のある三輪山の山中にもあると言われ(見られない)ますが、

そこから先に入る事を禁じたものです。。。私は、御陵や天皇陵に見られる鳥居などには[結界]の意味が濃厚に見られると

考えています。

天皇陵と御陵に鳥居を設えたのは江戸時代以降、社会が落ち着いてからと本で読んだ記憶がありますが、明治以後も続いています。
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江戸時代には,幕府は天皇陵を寺院に管理させていたそうです。

明治政府が天皇を中心とする国家神道を広めていく過程で,天皇陵の「神社化」が行なわれて,鳥居が立てられるようになったのではないでしょうか。天皇陵自体,江戸時代まではけっこう荒れ果てていたなんて話も聞いたことがあるような気がします。明治になって,考古学的事実に関わらずとりあえずそれらしい古墳を天皇陵に指定して整備したのではなかったでしょうか。
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一般的な鳥居について説明したページがありましたので紹介します。


鳥居は俗界と聖域とを分ける表象なのだそうです。
「天皇陵の」と限定されてしまうと、それが当てはまるのかどうかはわかりません。

参考URL:http://www.genbu.net/tisiki/torii.htm
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この回答へのお礼

政治的な理由ばかり考えていて鳥居の意味については考えてはいませんでした。有り難うございました。

お礼日時:2001/06/23 09:15

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Q靖国神社や、武蔵野陵の参拝方法。

カテが分からなかったのでこちらで質問する事をお許し下さい。

質問は、靖国神社や、武蔵野陵等の参拝方法です。

以前、靖国神社に参拝に行ったときに、強面のおにーさんや
二十歳にも満たない若者の集団が礼儀正しく参拝していました。
(例えば、鳥居をくぐる時にも一礼するなど。)
知らずに参拝していた自分が恥ずかしくなり、こちらで質問を
させていただく事を思いつきました。

出来れば、正式?な参拝方法をご教示下さい。
また、神社によって方法が違ってくるのでしょうか?
そちらのほうもお願いいたします。
(ある程度は知っているつもりですが、勘違いということもあるかと
 思いますので、一から素人向けにお願いいたします。)

Aベストアンサー

これはだいぶ前に知人(地方の神社の宮司)の親戚で神宮の神職の方から教わった方法です。

鳥居のくぐり方はごく軽く会釈(10度くらい)して入ります。
次いで手水舎で柄杓に6~7分目ほど水を汲みます。
(手水舎でも一礼という人もいますが、どちらでも)
刺し穂の鳥居の後に手水舎があり、反対側から入ってしまって参道を横切らなければならないという事があります。
本来は狛犬の直前にも鳥居がある筈で、手水舎より前の鳥居は、家でいえば外の門ですから、あまり歩く場所は気にしないでいいです。
神社の作法は左右左(さうさ)と覚えましょう。(お祓いの時も左右左で振っているはずなので、ちょっと気にして見て下さい。)
まず組んだ柄杓を右手で持ち、左手を清めます。次いで左手に持ち替え、右手を清めます。次に再び右手に持ち替え、左手掌に水を受けて口を軽く漱ぎます。
この時水盤の周囲に砂利がある場合や排水がしっかりしている場合は本当に口を漱ぎます(ちょっと含んで出すだけです)が、周囲に砂利も排水もない場合は真似事だけにします。(でないと衛生上良くないですから)
また、水が流れていない場合も水を口にするのはよくないので、真似事だけにします。
最後に両手で柄杓をもち、そっと立てて柄杓の柄を流し清めます。
手や口は拭いても構いません。

真ん中は神様の通り道って誰が言ったのでしょうか。そういえば江原さんも言ってましたが、神様って天の上から降りてくるんじゃないんでしょうかね。
古来より、目上の人の前に進み出る際には中央を通ります。途中までは端を歩いても、目上の人の直前では正面に立つのが礼儀です。(複数で行くときは左右に分かれますが)
これは天皇でも皇帝でも同じです。時代劇を見て下さい。中心を開けている光景などほとんどありません。戦国の世でもまん前で話します。でないと陰になった方の手に武器を隠せる(=隠し事がある)からです。だから、中心をはずすという事の意味はありません。
また、参道(石畳)が敷いてある場合、ソコをはずして砂利を歩く事は逆に本来は無礼な事です。
大勢が訪れている状況では仕方ないにしても、個人で赴く場合は石畳の上を行くべきです。
但し、神職の方が通ってきた場合は、早めに石畳から外れて軽く頭を下げて通り過ぎるのを待ち、再び石畳を歩くようにします。
ただ、現代では古来の礼法を考える人が少ないので、固執する事はありません。

狛犬前や拝殿直前に鳥居があれば、家で言えばこれが主人の間の襖と同じですから、賽銭は遅くともココまでに用意しておきましょう。
鳥居が無ければ狛犬より先、或いは石段を境界と考えればいいでしょう。
ココでは30度位の会釈をして通ります。

これより先は正面に向かって外側の足から出すのが正式です。帰る時も外側から出すので覚えておきましょう。
でも、ほとんどの神社も、この点は言っていないので、忘れても支障は無いでしょう。しかし社の階段を上がる際はこれを守りましょう。
更に言えば、左右交互に上がるではなく、外側の足を上げたら、その段に内側の足を揃え、また外側の足を上げるというのが正式です。が、ココまではする必要は無いですから、知識としてだけ覚えておきましょう。

賽銭は投げ入れるかどうか…投げ入れるのは無作法といいますが、これは厄払いから来た方法なのです。つまり節分などと考え方が同じです。
だから、一概に無作法とは言えません。
でも、参拝は本来ご挨拶なので、そっと差し上げましょう。

参拝は混んでいなければ正面で行います。
この理由は先ほど歩く時の理由と同じです。

まず、軽く10度位の会釈をします。複数で参拝する時はこれをすると「さぁ、参拝を始めますよ」という合図になるので揃える事が出来ます。
次が二礼です。これは男性は足の横に、女性は前に手を合わせて90度曲げます。
次が二拍手です。
これは指をずらすという人が多いです(神職でもかなり増えた)が、正しくはずらしません。この方が高く澄んだ音が出ます。
指先を合わせ、肩から開く感じ(お相撲さんの土俵入りの感じ)でゆっくり開いて叩きます。しかし、結構練習が必要なのと、精神が落ち着いていないと綺麗な音が出ないので、これもずらしても構いません。

拍手の後、胸の前で手を合わせ、1~2呼吸ほどジットします。
よくこの間に長々とお願い事をいう人がいますが、願い事は鳥居をくぐるまでにしておきましょう。
せっかく手と口を清めたのですから、この場は無の境地になるべきで、せいぜい感謝の言葉を簡潔に言えば充分です。

最後に深く一礼し、極浅く会釈して参拝を終えます。

左右に退席する場合はそのまま横に移動します。
再び正面方向に戻る場合は、場所があれば3歩ほど後ずさりします。
すぐが3段の階段であれば、階段を後ずさりで降ります。
足元が危ない場合や混んでいる場合は略しても構いません。
後ずさったら、反転します。
反転する場合は、身体を中心線を通る方向に回します。
つまり、右に立っているなら左回りになります。
初詣などで出口が拝殿を横切らなければならない時は、正面を通り過ぎる際に30~45度程度の会釈をします。この時神殿の方を向く必要はありません。
或いは横切る直前に神前の方を向いて会釈し、そのまま通り過ぎる方法もあります。

階段の下、或いは狛犬の先、或いは拝殿直前の鳥居の下で、45度ほどのお辞儀をします。
これで参拝は終わりです。

これはだいぶ前に知人(地方の神社の宮司)の親戚で神宮の神職の方から教わった方法です。

鳥居のくぐり方はごく軽く会釈(10度くらい)して入ります。
次いで手水舎で柄杓に6~7分目ほど水を汲みます。
(手水舎でも一礼という人もいますが、どちらでも)
刺し穂の鳥居の後に手水舎があり、反対側から入ってしまって参道を横切らなければならないという事があります。
本来は狛犬の直前にも鳥居がある筈で、手水舎より前の鳥居は、家でいえば外の門ですから、あまり歩く場所は気にしないでいいです。
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Q神道のお墓、寺院にある鳥居のあるお墓の謎。

神道には神道のお墓があるそうですが、三条実美や大隈重信、岩倉具視の墓所はどうして寺にあり、鳥居があるのでしょうか? 神仏分離などのコンセプトに合致しないと思いました。

Aベストアンサー

確か神仏分離令は5年くらいで廃止されたように思いましたが・・・

もともと、神道の国教化を目指していたみたいですね
それによって、仏教寺院と神社が並立していたところは、どちらか一方を選択しなければならなくなった
(例えば鎌倉の鶴岡八幡宮は鶴岡八幡宮寺という神仏混淆寺院でしたが、分離令により仏教部分を切り捨てました)

神仏分離、特に「廃仏毀釈」なんて事になって「僧尼不浄」とか言い始め、葬儀・荼毘・埋葬を神社で行うことを嫌ったようです
元々、寺請け制度のもとで葬儀埋葬関係は寺院(神仏混淆の寺院も含め)が一手にやっていたんですがね
神仏分離・廃仏毀釈で神社には墓がなくなった
そこで、寺院に神道式の墓を作るようなチグハグな事になってしまったようですね

「神仏分離」だけならマダよかったんでしょうが、そこから「廃仏毀釈」に発展してしまったことで、従来の「寺請け制度」「檀家制度」に齟齬をきたしたって事でしょう
これらは宗教統制だけじゃなくて、優れた戸籍システムであり、徴税システムの一端も担っていたましたからね

結局、神仏分離令は取り下げられて、神仏共同布教になった
まあ無理もありません
お寺に鳥居のあるお墓なんてものが存在するのは、宗教統制政策に失敗した証拠みたいなもんです

確か神仏分離令は5年くらいで廃止されたように思いましたが・・・

もともと、神道の国教化を目指していたみたいですね
それによって、仏教寺院と神社が並立していたところは、どちらか一方を選択しなければならなくなった
(例えば鎌倉の鶴岡八幡宮は鶴岡八幡宮寺という神仏混淆寺院でしたが、分離令により仏教部分を切り捨てました)

神仏分離、特に「廃仏毀釈」なんて事になって「僧尼不浄」とか言い始め、葬儀・荼毘・埋葬を神社で行うことを嫌ったようです
元々、寺請け制度のもとで葬儀埋葬関係は寺院(神...続きを読む

Q宮内庁はなぜ日本史の解明に非協力的なのか

よく宮内庁は皇室の歴史が明かされるのを嫌う傾向にあると聞きます。
仁徳天皇陵は全く調査をすることが許可されてないのでしょうか。
(社会科の先生からはこう聞きました)

日本は今や世界屈指の近代国家です。
しかし、日本の天皇の由来は全く混沌としています。

ならば、なおさら古代日本史の解明は国家の義務なのではないでしょうか。
その機関たる宮内庁が非協力的というのはどういう態度なのでしょう。
その理由が宗教上にあるというのなら、次に繋がるかどうかは別として
今回は一応納得します。

Aベストアンサー

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしまいます。

で、そういう立場からすると、過去の「作られた歴史」が暴かれてしまうことは権威の根拠に関わってしまいます。例えば、天皇家というのは実は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔ではないかという話があります。倭国(日本)は百済の支援をして当時の倭国としては大軍事力を半島に派遣して白村江の戦いで敗れてしまいます。なぜ倭国が百済に過大なまでの支援をしたのか、単なる同盟関係であっただけではなく、実は百済が天皇家からみると「本家」で、倭国は百済の分家ではないのかという話があります。
日本ではその後いわゆる壬申の乱が起きて天武天皇が即位するんですが、大友皇子と大海人皇子の関係とかどうも日本書紀を読んだだけではよくわからんことが多いのです。そのへんについて日本書紀が改竄というか捏造というかそういうことをしたことは間違いないのですが、どのへんを歴史を書き換えたのかはよくわかりません。
もし仮に「皇室はかつて朝鮮半島からやってきた渡来一族の末裔である」ということが明らかになってしまったらどうなるでしょうか。嫌韓のネット右翼がなんと言い出すかどうか考えただけでも恐ろしいですね。今のところ皇室半島渡来説は荒唐無稽で根拠のない話ということになっています。なぜなら、日本書紀にも古事記にもそんなことは書いていないからです。しかし、日本書紀も古事記も時の権力者にとっての「大本営発表」なので歴史の削除、捏造、針小棒大などは当然あるわけです。あるけど、ないことになっている。それが我が国の古代史に対する学会の立場です。古代史は天皇家についてはアンタッチャブルの領域なのです。

また、皇室は一応ずーっと続いているということになっていますが、南北朝で相当ヤバいことになっています。血統の正当性という立場からいえば、南朝が正当です。しかし、北朝は時の権力者足利尊氏によって成立しており、最終的に南朝が北朝に吸収される形で再統一されています。このときの北朝系の血筋がね、どうなんだよってところなんです。私もその時代はそんなに詳しくないのですけれど。
で、戦後すぐに「我こそは南朝の末裔であり、正当な皇室の血筋である」と名乗り出た人がいたのです。世間でいわれるところの熊沢天皇事件というものなんですけどね。単なる気が狂ったおっさんが「わしは天皇である」といっただけならこんな歴史には残らないです。熊沢天皇事件が戦後事件史のひとつとして残っているのは「そういわれると、そうかもしれない」というのがあったからなのです。熊沢天皇は「北朝(現皇室)は南朝から帝位を簒奪し不法に即位している」と訴えたのですが、「そういわれりゃあ、そうだよな」ってところはあるんですよ。熊沢天皇は結局のところ南朝の末裔であることを証明することができなかったので最終的には「自称南朝の末裔」ということになったのですけどね。一時的であれ宮内庁は頭を抱えたのですよ。GHQは熊沢天皇に興味を持っていて、場合によっては昭和天皇を退位させて熊沢天皇を(GHQの手先として)即位させるんじゃないかと警戒したのですね。

宮内庁の仕事は、現在の皇室の伝統を次代に繋げることです。皇室にはなんとかの儀、かんとかの儀、と年がら年中しきたりだらけなのですが、それを続けることが最も重要なんですね。伝統の継続というものの頂点にある存在といってもいいでしょう。「歴史的に見て正しい」かどうかはむしろ邪魔なんですよ。まあ宮内庁関連の人といったら公家の末裔とか松平家の末裔とか父は貴族院議員とかそんな人たちばっかりですからね。しもじもの者が入りたいといっても入れてはくれません。

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしま...続きを読む


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