最速怪談選手権

小国が乱立した連合国になったのなら、王朝は、その有力者の豪族達の中で、コロコロ変わってたのでは?

継体天皇のように。

質問者からの補足コメント

  • 大和=大きな倭国=連立政権

      補足日時:2021/08/22 16:03

A 回答 (5件)

継体帝が出てきたから王朝交代にあらず。


継体帝は垂仁帝と応神帝の子孫。当時の宮中権力闘争に敗れて外地に逃亡して、子孫つないだものです。

和・倭はどちらもヤマトを示す。
倭は差別漢字という認識で
日本の文字に天智天武辺りで字が変更された。
だから、今でも和の1字で日本を示す。
和英事典などの冒頭文字がそれを現す。

天皇は全て神武天皇の子孫しかなれず。

神武天皇の実在性疑うなら、なぜ崇神から信じるのか。
その10代前に必ず、親となる人いるでしょう。
だから崇神の10代前の人という論理で神武を当てればいいという論理にどうして行かぬかです。

そう考えぬ人の頭を疑う。
欠史というのは、ただ、時の権力者に都合の悪い記事省きでしょう。
もとより紀年延長すれば、本当の記事の当てはめが困難になる。

だから神功~応神~仁徳朝に来て
時代の記事の前後移動が起こり、
順番をめちゃくちゃに
適当に配置換えが起こる。

同じ年数に起きた事件をわざと別々の時期に起きたように
配分して、
さも長期間続いたように
見せかけた気がする。

はっきり言って
100歳を超える人物は当時、
誰もいないといっても
過言ではない。

武内宿禰の300歳も大ウソ。

半分くらいの
150年
くらいに
縮小して
問題ない。

但し、古田武彦式に
1律に2で割るのは
馬鹿の1つ覚えで
断っておくが、
1年は12か月
であって
6ヶ月には
絶対に
ならぬ。

当然個々に
数代に分けたとして
各代の寿命は
個々に
ばらばらとみるべきである。
長寿もいれば
短寿も
いて当然である。
その意味での
個体差は
当然
ある。

天皇はこの世に1人しかいてはいけない。

2人祭り上げたので
南北朝という争いが起きたのである。

邪馬台国をヤマタイ國と読むから
別に国があったのかと錯覚しただけ。

大和朝廷以外に中国が
外交の相手をした国
などあるわけない。
だから、
地名などを
頼りに
場所を移動ということで
大和以外の地に求めても、
3世紀の卑弥呼の時には
現在の大和と同位置にあったと
考えて当然である。

自分の郷里に
邪馬台国があればという希望的配置は
郷土美化である。

だから時間的異なりで

天照大神を卑弥呼に当てはめるのも空論である。
等号で結んで何も疑問を感じない方がどうかしている。

神武天皇の前に来る神を何で
崇神天皇の近辺に置いて
平気でいられるのか
その配置自体
疑って当然というべきである。

天岩戸隠れが日食というのも
そういう短時間で祭りが終わるわけない。

もっと長時間かかる行事を考えて当然。

紀元2600年という歌が昭和15年近辺で流行ったが
サバヨミである。神武天皇はそんな古い時代の人にあらず。
伊勢神宮の起源を
2千年前に求めるのも
ただの日本書紀紀年から
出てきただけである。

古事記と日本書紀で
記載年数が異なるわけで
日本書紀一律で年数計算行うこと
自体
おかしいのである。

以上の論理で

大方の暴論・奇論を排撃したい。
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学者の奇怪歴史本の読みすぎ。


余り惑わされぬことです。
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連合国と連立政権とは、別のことに関する概念です。

 ソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス連邦・英連邦は、連合国とは違います。
連立政権は国の大きさや人口、経済力などの大小とは関係ないです。

いくつかのクニが連合した場合、連合の盟主のようなものができます。 その盟主国が持ち回りのようになるケースは知りません。 中国でも、ギリシャでも、盟主国が支配力を強めて、連合国が一国のようになることが多いです。 そうではなくても、盟主国と属国とか、王と封建国のようになるか、モンゴルの部族長とハーンのようになるのであって、私は、持ち回りの長というやり方を知りません。

継体は王朝奪取です。 フランスでも、イギリスでも、エジプトでも、インドや朝鮮、日本でも、王朝の交代劇はあります。 王朝を継続して王を迎えるというやり方でさえも、結構あります。
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多分それはないです。



なぜ「ない」といえるかというと、他国の歴史が参考になるからです。
他国の歴史の中で「王権が参加する有力貴族たちで持ち回りした」というのはほとんどありません。

なぜならそういう持ち回りをするなら、「不満に思っている貴族たちが、王権を得た家系に従う必要性がない」からです。持ち回りにするなら、最初から分裂して三国志のようになってもおかしくないのです。

でも日本の初期のヤマト王権が別の家系に変更された、という記録はありません。もし変更されているなら、変更される前の家系と「つながっている」と記録する必要はないのです。

従って、ヤマト王権は政治的な支配権力とは別に、宗教的な支配権力などで「ずっとこの家系がつづいている」としたほうが都合が良かった、と推測するほうが各国の歴史からみて合理的で、ならば基本的にはずっと同じ家系(つまり天皇家)が王権を担ってきたのだろう、と推測するほうが合理的です。
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そうだとは思いますが(多くの人が思っていますが)、そうだったという証拠はありません。

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