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日本の古墳は今でこそ国が管理するようになったと思いますが、古い歴史の中で一番長く守り管理していたのは、何(誰?)でしょうか。どなたか教えてください。よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

#2さんがおっしゃるとおりほとんど管理されていないと思います。



陵墓参考地などといっても、明治時代から国(宮内庁)が管理し始めたようで、その際に誰の墓かを伝承などに基づいて、○○天皇陵などと指定されただけです。
ちなみに天皇家の墓でさえ、本当に誰の墓かとわかっているのはほとんどありません。世界最大の面積を誇る墳墓である仁徳天皇陵も応神天皇の陵墓であるという説もあります。
これは天皇家の陵墓といえどもかなり古い時代に既に管理が適性に行われていなかったためだと思います。

ちなみにかなり確実にわかっているのは、天武・持統天皇陵だけといわれています。
これは、鎌倉時代に盗掘にあい、役人が陵墓内部を調査した記録から、火葬と見られる骨壺なにかがあったことから、最初に火葬になった天皇である持統天皇の陵墓である(天武天皇と持統天皇は夫婦だったので合葬したというきろくがある)と推定されているからです。

また、大阪の阿武山古墳は藤原鎌足という説が強いです。藤原鎌足といえば、平安時代に権力を誇った藤原家の創始者であり、そんな人でさえ確実に管理されていたとはいえないようです。

また石舞台古墳は、奈良時代に権力を誇った蘇我家の蘇我入鹿の父の馬子の墓と言われていますが、今では封土は消失してしまい、横穴石室の石組みだけが残っている様は、没落してしまって、子孫が管理できない状態になったからだと思います。
また、石舞台古墳を作る際に、それまであった古墳を破壊して作られていることもわかっています。これは蘇我家の権力が元々そこに古墳を作った豪族の権力を遙かに凌駕していたからだと思われます。

さらに考古学者が天皇陵と考えている古墳の1つに赤坂天皇塚古墳というのがありますが、これは陵墓参考地になっていないので、宮内庁の管轄をはずれています。

要は子孫が権力を維持している間はきちんと管理されていましたが、没落すると管理は放棄され、誰の墓かとか古墳自体であることがわからないようになり、管理されないものがほとんどであったといえると思います。

なお、日本の宗教上高いところは神聖な場所と見られることが多く、古墳と知ってか知らずか、古墳の墳丘は神社やお寺の敷地として再利用されていることが多く、その点からいうと、寺社が自分の敷地として管理していたケースが多いです。
特に小規模な古墳の頂上には小さな社があることが多いです。
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古墳はその地域の豪族達の墓です。

だから、人々にその記憶がある間は、その豪族の血筋を引くものたちやそのムラの人たちだと思います。しかし、薄葬礼が出されたことやその豪族たちの力も大和朝廷もしくは律令政府のなかに組み込まれていく中で、忘れ去られていったことでしょう。その後、管理されなくなっていった古墳も多いことでしょう。その証拠に、古墳だという伝承が古くから残っていた古墳では、必ずといっていいほど盗掘がなされていますよね。神聖な場所という意識がなくなっていたからではないでしょうか。もしくは、中世の城館に転用されていることも多々みられます。これも同じ現象じゃないでしょうか。
でも、地元の人たちの間では、塚として祠が祭られたりしている例も多いですから、やはり地元の人たちが、管理していたと考えられますね。
また、現在は、国指定史跡や陵墓参考地じゃなければ、民地なのが大半です。国はそんなに管理してません。地方自治体が遺跡として登録して、管理しているものが多いと思います。
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私の知っている古墳では.その地区の豪族です。


国でも管理していないでしょゥ。
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