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現在40歳以上の人なら大抵は高校は義務教育では無くても、小中学校と同じく「準義務教育」と考えている人が大半であろう。

しかし、中卒自体減っているのにもかかわらず、30歳以下の人に聞くと大学などと同じく「無理してまで行くものではない」と考えている人が意外に多いようだ。

中卒と言えば、昔は不良少年少女か、家庭によっぽどのよっぽどの深刻な事情がある(経済的事情、本人または家族の健康上の問題など)か、将来の目的のため(家業を継ぐとか、芸能人やスポーツ選手になるなど)などの場合限定と言っても過言では無かった。
現在は先の事情に当てはまらなくても、ハッキリとした動機も無くて、ただなんとなく的な中卒が目立ち、高校に行くか行かないかだけでも深刻に悩む子も増えた(こういうのは早くても高卒後だろうと思うようなこと)。
おまけに高校無料化までされてるのに…。

何故このような中卒事情となったのか?

別に勉強嫌いでも高校生はやっていけるし、いじめが原因の中卒なら社会に出たならもっといじめを受けること確実である。

A 回答 (6件)

47歳が当時は高校だけは出ておきなさい的な風習でした。だから今、高卒は低学歴と言われてもピンと来ません。

高校も同級生が10人以上は卒業していません。工業系でしたが、大学に行く人も少なかったなあ。だけど、高校で人間関係がとか言ってたら、社会でどうするの?とか思います。中学だとまだまだ子供な感じします。高校も3年になると、かなり大人っぽくなります。言うことも違います。大学だと、さらに歳重ねるから、益々、大人になります。差別はしませんが、高校はでたほうがと思います。
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先のことを考えられるほど成熟できていないのではないでしょうか。


早く働いて稼ぎたいという考えならまだしも、勉強したくない、遊びたい、面倒、何もしたくない、という思考回路から中卒でいいと思う子もいるようです。

自分は40代ですが、あの時代は、高校、大学、社会人となるにつれ自由になる感覚があり、早く大人になって、自分で自分のお金を稼げるようになりたいと考えていました。
中学生のお小遣いなんて僅かでしたからね。
小中学の間は親や先生の管理下におかれ自由がなく、当然、高校に行くかどうかを決める自由なんてあるわけがない。
イジメがあろうとなんだろうと、学校は行かなければいけない場所。
でも高校生になれば行動範囲は格段に広がるし、大学生になったらバイトができるし、と待ち遠しかった。
それに比べると今は子供の頃からゆるりとしてますからね。
大人になるメリットが薄いのも分かるような気がします。

それに今は、仕事がないからと(実際は選んでるだけですが)20代後半になっても親の脛をかじる話も珍しくありません。
そんな話を聞きながら子供時代を過ごせば、自分もそれでいいと思う子がいてもおかしくないです。
本人が高校へ行かないと譲らず、親も許したなら、就職先を見つけてくるまでは親がするべきでしょうね。
嫌なら高校に行け、とね。
それが親の責任です。
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あくまでも私見ですが・・・・



親を含めて大人がよくいえば「寛容に」悪く言えば「甘やかすように」なったからではと思います。
小中学校の「義務教育」の「義務」とは子供の義務ではなく、親や周囲の大人の「義務」です。
昔(昭和50年代くらいまで?)は、小中学校には親が何が何でも行かせたと思います。
勉強についていけなくても、いじめられてても、友達ができなくても・・・・
とりあえず、朝子供を起こしてよほどの高熱でも出してない限りは「学校に行かせる」ことが親の義務だったと思います。
子供からすれば、楽しいとか楽しくないとか辛いなどには関係なく、まるで息を吸ったり吐いたりするのと同じように学校は当たり前のように毎日行くところだったと思います。
それがいつの頃からか、「子供が行きたくないなら行かなくても良い」という風潮が強くなったと思います。
もちろんそこにはいじめ問題とか学級崩壊とか学習障害など昔はなかった(あったとしてもそこまで深刻ではなかった)問題が出てきたことも事実です。

そんなことで9年間(好き嫌いに関係なく)日々小中学校に通っていた子供は、その延長線上で「深くも考えずに」高校に行くのも当たり前と思っていたと思います。
個人的には、自分が進んだ高校は決して大好きとはいえませんでした。決して、勉強についていけなかったわけでもないし、いじめられてたわけでもないし、友達がいないわけでもなかったですが、期待していたほど「面白くなかった」わけです。
が、それでも「学校に行くのは当たり前」だったので3年間毎日高校に行きました。
(今では、それほど好きではなかった高校生活も良い思い出ですし、高校時代の友達も今でも良い友達です。)

言ってはなんですが、特にやりたいことがなくても「とりあえず学校に行く」というのが、当たり前ではなくなったというのが大きいのではと思います。
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大きくは3つあると思う。



一つは学ぶことの意欲を失ったから。
学べは収入が増えるとか欲望が叶うとか 人間は所詮快感を追う動物にすぎないから そういうわかりやすい餌がない。

一つは見本となる大人がいないこと。
大卒でも高卒でも仕事もせずにプラプラしてる大人たちや うつ病やらで働いてもすぐ辞める人達も増えた。
社会人が仕事に関する研修以外をやっていない。 
 
3つは高校も大学も楽しくない。
「勉強は役に立つ 多くの考えや人との良い交流を通して 自分を磨き視野を広げ 未来が楽しくなった」と言えない人が多い。
大学は単位さえ取ればよく 面白げな題材より大学らしい教材のみを取り上げ 就職のためのワンステップと息抜きの場と化した。
高校は交流よりも一定の学力さえあれば良く 人と人との付き合いに教師が入ることも少ない。

尊敬も憧れも持てない。
だから 学ぶことを放棄する者が増えるのだろう。
虐められても尊敬できるもの 大切なものがあれば 人は齧りついてでもそれを抱えて生きられる。
それがないのだ。
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他人と関わることのメリットを感じられなくなったのかもしれません。


私たちが思っている以上に深刻なのかも。
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私も高校くらいは行けよと思っていました。


先日、ある公立高校の数学の授業風景をテレビで見て愕然としました。
3年生の授業で2桁の掛け算をしている姿。教えている教師が「今日は難しい問題でしたね」と言ったのです。
これが難しい問題とは・・・ 
小学校ではありません。高校3年生の数学の授業です。これなら無理して高校に行く必要も無いかもしれないと思いましたね。
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