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問う人:
この世で最も正しいこととは何か。

「人の道」:
それはこの宇宙である。
宇宙は存在する。
これは絶対的に正しい。
あまりに正しすぎる。
宇宙はただ存在するのではない、絶対的に存在するのである。
宇宙が絶対的に存在するとは、時空間の何処においても、またいつ如何なる時においても常に存在したし、また常に存在し続けるゆーこと。
これはつまり宇宙は無限であることを意味する。
宇宙には果てはなく、始まりも終わりもない。
宇宙は無限である。
これもまたあまりに正しい。
皆にも訊いてみー。

問う人:
あまりに正しいこととは、宇宙は存在し、無限であるゆーこと、皆も分かったか。

質問者からの補足コメント

  • 巷を見渡せばこの世は無であるなどと説き、座禅を組んでは無の境地に漬かろうとする愚か者があとをたちませぬ。

      補足日時:2016/11/22 17:26

A 回答 (17件中11~17件)

>このよーな問答は質問ではないと言って叩かれたものでした。



いやいや、よくできていると思いますよ。叩いた人の神経が分かりません。嫉妬?
・二人の会話になっているので、押し付けがましくありません。その間合いが、面白いんですね。
・秀逸なのは「皆にも訊いてみー」という切り返し。ここで話が読み手に波及します。
・最後に「あまりに正しいこととは、宇宙は存在し、無限であるゆーこと、皆も分かったか。」とまとめがあって分かりやすい。
全てが自然な流れです。

私も昔質問を立てましたが、長ったらしくてグダグダしていて、よくありませんでした。
どうも自分の頭のいいのをひけらかすだけの質問や、回答は、面白くないものです。
私は下手だったと思いますねえ。今もですけれども。

残念ながら、アルケーの話が始まってから面白くなくなった。なぜって、アルケーは答えだからです。
昔の答えの無い禅問答が面白かったです。

禅問答で、回り道させて、真理に自分で気がつくようにさせてやるのも乙だと思うんですけれどもね。
思いにも寄らない珍回答の中に、一つくらい、素晴らしい独自のものが生まれることがあるかもしれません。
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この回答へのお礼

>残念ながら、アルケーの話が始まってから面白くなくなった。なぜって、アルケーは答えだからです。

なるほど、人の道においては既に答えは出ておりまする。
「神は宇宙の法則である、アルケーである」
これ以外は有り得ないというのが答えです。
神は分かるか分からないかが分からないナゾのなにものであるなどと訳の分からないことをゆー輩もいますが、それよりはマシであると思っておりまする。

お礼日時:2016/11/23 07:45

私の考えによれば 存在する事が正しいことです。

人間を駄目にして存在を危うくすることが正しくない事です。

宇宙とは限りません アリン子でも砂粒でも、存在することが正しいことで、崩壊することは正しくはない

宇宙には崩壊の法則・エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則 ちなみに第一はエネルギーの保存則)が

あって崩壊する事が当然の様に思われていますが、本当はその法則に優って存在性と引力で秩序循環し

存続し永久に存在を実現して行く事が正しいのです。みんなで存在する事が正しく、他を攻撃して存在を危うくする事は

正しくない。存在こそが正義 存在肯定の哲学です。人間は存在することに意義がある。です。
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この回答へのお礼

>宇宙には崩壊の法則・エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則 ちなみに第一はエネルギーの保存則)が
あって崩壊する事が当然の様に思われていますが、本当はその法則に優って存在性と引力で秩序循環し
存続し永久に存在を実現して行く事が正しいのです。

これは閉鎖系、すなわち有限宇宙を前提にした議論です。
しかし宇宙は無限なので全宇宙に対しエントロピー増大の法則を適用することは間違いです。

お礼日時:2016/11/23 00:20

ああ、昔懐かしい、人の道さんの特有の問答ですね。



「正しい」というより、「真実である」ということでは? 私はこの違いが大切だと思うのです。
正しいと言うことは、倫理的に・宗教的に善であるということを意味します。
「真実→正しい」の間には飛躍があると思うのです。
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この回答へのお礼

>ああ、昔懐かしい、人の道さんの特有の問答ですね。

定期的に思い出しては問答を繰り返すってゆー。
まー楽しみなんだろーねきっと。

むかし哲学カテで問答を始めた頃は、このよーな問答は質問ではないと言って叩かれたものでした。
ところで人の道がなぜ問答を始めたのか、その理由について哲学カテの皆様方はご存知なのでしょうか。
その理由というはこうで御座います。
まず哲学における問題提起にあっては、そもそも用語の定義とか状況説明であるとかいろいろあって、それを一々厳密に行っていると話が冗長になり、結果として問題の本質が薄れてしまうことが度々起こるのでございます。
そこでこの問題を打開する単純明快でストレートな方法はないものかと考えた挙句行き着いたのがこの問答形式なので御座います。
従って回答者の皆様方の中には、もとより「このよーな問答は質問ではない」といって叩こうとする方々が多く見受けられたのですが、これは上に述べた事情から生じたことでありまして、哲学における問題提起の性格から必然的に生まれたものであることを理解していただきたいのです。

お礼日時:2016/11/23 00:02

その前にお礼とコメントは返しましょうね

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特別にすばらしいことというほどでもありませんね。

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この回答へのお礼

巷を見渡せばこの世は無であると説き、座禅を組んでは無の境地に漬かろうとする愚か者があとをたちませぬ。

お礼日時:2016/11/22 17:24

ガリレオの天動説に反対していた人達も


おなじようなことをいっていたなあ

疑問を持たないことは
退化である
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正解は有りません!


人間が都合よくしているだけです
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