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このことわざは、よい意味には使わないと思っていたのですが、最近は違うのでしょうか?

グルメサイトのレビューで、
「尊敬する先輩の顰に倣って、同じものを注文した」という記事があり、
これは、ことわざの使い方が間違っているし、さらに言えば、レストランに対しても失礼なのでは?と思いました。

「西施の顰に倣う」の故事そのままで、イメージすれば、
「先輩が、不味かったからか、お腹が痛くなったからか、料理を食べて眉を顰めたのをみて、美味しいのだと思って、同じものを注文した。」

レビューは美味しかった、よかった、と評価しているのですが、
「顰に倣って」と書くと、少なくとも先輩は顔をしかめている。レストランの料理が不味かったということになりかねない。

もちろん、こんな直接的な意味ではないですが、
「人のマネをして恥をかく」ということわざだと思うので、褒めるために使うのはおかしいです。
料理について使うと、「先輩は好きらしいけど、自分の口には合わなかった」くらいの意味になると思うのです。

それとも、最近は肯定的な意味に使用するのでしょうか?
たとえば、入社式で、社長が
「わが社の優秀な先輩たちの顰に倣って、新入社諸君も努力してほしい」などと訓示するのかな?と思ったりしました。

私の日本語感覚がすでに、絶滅危惧種なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 皆さま、回答いただきましてありがとうございます。
    失礼ながら、補足欄でまとめてのお礼を申し上げます。

    このことわざの解釈として、
    「自分の力量をわきまえず、優れた人のまねをして恥をかく」
    「自分の力量をわきまえず、優れた人のまねをして失敗する」
    「自分の力量をわきまえず、優れた人のまねをするのは愚かしいことだ」
    といった意味だと思っていました。

    「謙遜」のニュアンス、「相手に対する尊敬」のニュアンスを含むものとして使用されているのは意外でした。

      補足日時:2017/01/14 09:22

A 回答 (4件)

「顰に倣う」


引かれた西施の故事からしても、たしかに、
「善し悪しも考えずに、やたらに人のまねをする。」
というのが本来の意味なのでしょう。(わたし自身も、今回のご質問ではじめて気づいた次第)
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/184980/meaning/m0u/
ただ、いつの頃からか、この語釈の述部にある「やたらに人のまねをする」という部分が一人歩きを始めてしまったのだと思います。
結果として、「また、他人にならって物事をするのを謙遜していう言葉」という意味(語釈)も派生するようになった。
ここでは、「善し悪しも考えずに」という要素は失われてしまっているわけですが、( [ 謙遜 ] という語が含まれていることからして)さすがに西施の故事から出た諺であるだけに、真似する相手は自分より優れた人物である場合にだけ使えるような縛りがかかっていることになるのでしょう。
「謙遜」と言っても良いし、卑下と言っても良いかもしれませんが、そのような状況で使いやすい表現として定着しているように受け止めています。
「褒めるために使うのはおかしい」のはおっしゃるとおりですが、自らを低く見せることで、結果的に相手を褒めている想定になります。
ただ、「善し悪しも考えずに」という要素が、(たぶん)次第に、そして(おそらく)無意識的に無視された状態でも使われるようになった点は、極めて興味深い事象であると言えそう。
良くも悪くもですが、事物・事象に対する人間の解釈の曖昧さが顕著になっている一例であるように思われるからです。
おそらく、当初から、その使い方は間違っている云々といった論争?なども多々あったような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

このことわざを、はるかな昔ですが、中国人の先生から教わりました。
そのためか、「西施のような絶世の美女」の強烈なイメージがあり、「格の違う人のマネをするのは愚かなこと」という意味を強く印象つけられています。

例えて言えば、「スレンダーでなおかつセクシー体型の女優のファッションや身振りを、見境なくマネをしても似合わないし、逆に醜く見えるよ」といった感じです。
尊敬や謙遜とかのニュアンスは感じていませんでした。

しかし、なにしろ4000年の長い年月を経て、ましてや「外来故事成語」なので、種々の変遷を経て、亜種も派生していったのですね。

>良くも悪くもですが、事物・事象に対する人間の解釈の曖昧さが顕著になっている一例であるように思われるからです。

ほんとにそうですね。
「言語の変遷」という大変興味深い一例に触れた気がします。

余談になりますが、最近、「マジっすか!?」は敬語である、との説(金田一秀穂氏)を聞いて、まさにマジっすか!?と驚きました。

お礼日時:2017/01/14 10:09

まぁ普通に解釈すれば善悪考えずに丸パクリってことですので


あまりいい意味にはなりませんが、謙遜の際にもつかうので
「尊敬する先輩の顰に倣って、同じものを注文した」とは
ものの良しあしはわからないけど先輩が頼むんだからきっといいものだと
妄信して真似ましたよ・・・程度の意味となり、おかしくはないですね

ただし「わが社の優秀な先輩たちの顰に倣って、新入社諸君も努力してほしい」
は用途がおかしいですね。社長が若手の立場で謙遜する必要はないし
そもそも今の人材は「自分で考えられる人間」なので、先輩を猿真似する
ような新人はそもそも取りません
「優秀な先輩から多くを吸収してがんばれ!」のような言い方が妥当です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>ものの良しあしはわからないけど先輩が頼むんだからきっといいものだと
妄信して真似ましたよ

この解釈で、ナルホドそういう気持ちなのか、と納得できました。
そして、この謙遜用法が普及しているのですね。

どうしても故事に気を取られて、「むやみな人マネをして恥をかく」「勘違いな人マネ」というイメージが強く印象付けられていて、「マネをした結果うまくいった」というイメージがしっくりこなかったのです。

言葉は変遷していくものだと、あらためて実感しました。ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/14 09:43

『日本国語大辞典』によれば、



(引用始め)
ひそみ に 倣(なら)う

(中国、春秋時代の越の美女西施が病んで咳きこみながら顔をしかめたさまを美しいものとして、みんながその顔をまねたという「荘子‐天運」に見える故事から)

事のよしあしを考えず、いたずらに人まねをする。また、人にならって事をするのを謙遜していう。顰(ひん)に倣う。ひそみを学ぶ。

*西洋道中膝栗毛〔1870〜76〕〈仮名垣魯文〉六・下「当時の戯作者輩の顰(ヒソミ)に傚(ナラ)ふ安っぽい著述に有ず」

*侏儒の言葉〔1923〜27〕〈芥川龍之介〉或資本家の論理「ああ言ふ芸術家の顰みに傚へば」
(引用終わり)


こういう用例もあります。

これから先は特別急行列車が小駅も中駅も大駅も見さかいなく飛ばしてしまう顰に嬰い、大概の事は省略して驀(マッシグ)らに大阪へ走る事にする〔内田百閒・特別阿房列車〕


まあ、普通は謙遜して、「何も考えずに真似を致しました」という風に使うものだと思っていました。
「尊敬する先輩の顰に倣って、同じものを注文した」も、何とも思いません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

西洋道中膝栗毛は、顰に倣うことの愚かさを意味しているようですが、
内田百閒先生の用例は、「特別列車の高速性を見習って、自分も同じようにする」ということで、上位者への敬意と「僭越ながらマネをさせていただきます」という謙遜を含んでいるようですね。

尊敬や謙遜、という解釈をしていなかった私にはとても意外ですが、尊敬する百閒先生がそうおっしゃるのなら、「この用法は定着している、私が寡聞にして知らなかった」と認めるしかないようです。

たくさんの用例を挙げていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/14 09:33

>私の日本語感覚がすでに、絶滅危惧種なのでしょうか?



ひそみにならう、はどう見ても、美人なら通用するかも知れないがブスが真似しても仕方が無い、意味です。お怒りはごもっともです。そんな社長、滅多にいないとは思いますが、出会ったら断固ご指導申し上げたぐらいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

同じ感覚の方がいらっしゃって、安心しました。
会社の社長は、私の仮定ですが、いないことを祈ります。

お礼が遅くなりましたこと、申し訳ございません。お詫びいたします。

お礼日時:2017/01/14 09:03

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