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哲学と科学の相違点について教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

何をとって何を捨てるか、


意味や価値を考えることが、哲学。

科学は、認識欲・知識欲を追求し、
哲学は、幸福欲を追求する。

科学は、事実を対象として、真理を追求する。
哲学は、意味を対象として、真実を追求する。

科学は、部分。
化学・物理学・生物学と細分化され、実証する。
哲学は、全体。
全てのものを有機的にとらえて、論証する。

科学は、真理を追求する。
哲学は、真実を追求する。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます
(*´ω`*)

お礼日時:2017/02/04 08:09

1,目的の違い


 科学は真実の発見を目的とします。
 哲学は真実の発見と、人生の指針を示す
 のを目的とします。

 真実発見なら科学の方がはるかに合理的ですので
 この点における哲学の存在意義は小さく
 なっています。



2,方法論の違い。
 科学は実験で真偽を確かめますが 
 哲学は理論の積み重ねで真偽を追究します。
 そして哲学の理論は往々にして
 間違えます。
 
 科学も間違えることがありますが、哲学より
 遙かに少ないです。

 これは、哲学は言葉の理論の積み重ねで結論を
 導出するのに対し、科学は実験で確認しながら
 理論を積み重ねる、という方法論の違いに
 よるものです。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます
(*´ω`*)

お礼日時:2017/02/04 08:50

哲学は科学の一部です。


科学の中に一部門として人文科学があって、人文科学の中に一部門として哲学が位置づけられます。

部分である哲学と全体である科学を比較する場合に重要な事は、「部分は全体を代表できない」ということでしょう。
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はじめに、科学と哲学の定義を整理します。



科学は一般的には、科学も工学も理学も全部ひっくるめて科学という人がいますがこれは正しくなくても浸透しています。正しい意味での科学は、自然や社会といったものを対象にした学問の事を指します。

哲学は日本で一般的には、学問の一つとして言われます。本来の哲学の意味は「知を愛する」の意味で、学問全体の根の部分になります。そのため米国では、経済博士はDoctor of Philosophy in Economicsであったり、文学博士はDoctor of Philosophy in Literatureと言ったりします。


推測ですが、質問者さんの言っている科学は「自然や社会といったものを対象にした学問の事」であり、哲学は「学問の一つ」として、科学と哲学を定義しているものと仮定します。その前提で回答します。


その場合ですが、科学と哲学ですが、あまり違いはありません。それに類似した科学は、自然科学、社会科学、人文科学が適当かと思いますが、日本で言う哲学は自然科学、社会科学、人文科学を合わせたような事をしています。

質問者さんが、「哲学と科学の相違点は?」と思うのは当然で、大して変わらないです。違いと言えば、呼び名であったり、都合のよい時だけ哲学の「知を愛する」を持ち出して自然科学、社会科学、人文科学の範疇を超える学問ができるのが「哲学」と言う感じでしょうか。



これは日本で言う「哲学」がそもそも間違っているからであって、哲学とは本来は自然科学、社会科学、人文科学の事ではなくて、「知を愛する」と言う意味であって、そもそも「哲学」という学部をつくる事自体が誤りなのです。
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哲学と科学の違いは視点の違いです。



リンゴが木から落ちた場合
科学は落ちた理由について理論的な分析をします。
リンゴは引力と言う力によって地球に引っ張られて落ちた。
その速度は重力加速度に従う。などです。

哲学では落ちた理由について意味づけをします。
引力によって落ちると言うのは外部からの力や抵抗する力が働かない場合に起こること。
つまり、何らかのエネルギー源がなければすべての物は落ちる方向に向かう。
逆にエネルギーは抵抗として働き前進し上に上昇し進み続けることが出来る。
なので、リンゴが落ちたのは力尽きたからである。などです。

猫がたわむれていました。
それを見た科学者は、たわむれている間もカロリーは消費される、動きのある行動のためカロリー消費は意外と多いかもしれない。
それを見た哲学者は、たわむれる行為もコミュニケーションの役割を果たす。集団で行動しない猫にとっては貴重な時間だ。

科学は意味よりデータを重視し、哲学はデータより意味を重視します。
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科学は、事実の調査。



哲学は、意味の解釈。
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科学=形而下を扱う


哲学=形而上を扱う
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「哲学と科学の相違点について教えてください」


⇒相違点というよりも、哲学は科学の一つですね。
つまり、哲学は科学です。
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科学は 経験合理性にもとづき世界を認識する人間の意志行為です。



哲学も まったく同じいとなみです。

《Bと違うAは Bではない》とか《ものごとの因果関係としての認識を
重んじる》とかの原則が 経験合理性という物指しです。哲学も これ
に従います。

世界を認識したあとさらには しかるべきところは変革するといったい
となみとしてあるのも だいたい同じです。



そこで強いて違いを言えば 科学は 世界というものごとについてその
中で経験合理性という物指しを《直接に》あてがうことのできる対象に
限ろうとするようです。

たとえば科学は 心を扱う場合が必ずしも多くはない。

心理学という科学にしても 個別の事例を集めてそれらの資料からは統
計学として 一般性や普遍性を問い求めようとする程度ではないか。

その時その場の心理や振る舞いだけではなく 人間の身と心との存在な
いし人格の全体について普遍的な認識を求めるのは 哲学です。

もっとも哲学にしても あの人のあれそれの思想と行動とは これこれ
の一般理論によって確かに判明するといった明らかさは 必ずしも得ら
れていません。

ですが 哲学は 欲張りですからあきらめないようです。その扱う対象
を 決して限定しません。つねに世界のすべてを――すなわち おのれ
という人間をもふくめて――知りたい。

身と心 身体と精神は 生まれつきの存在として自然本性というわけで
すが これを超えた場――超自然あるいは非経験の場――をも扱います。

いわゆる神についてですね。
科学は神を一般に扱いません。経験合理性を超えた場ですから。

ただし哲学は この物指しの及ぶところまでは 神についてもいわゆる
形而上学として持ち場としています。

《善(A)と悪(B)の彼岸》であるとか 《因果関係を超えている》とか
と規定した概念を想定する。といった手法によってです。すでに《概念》
ですらなくなっている(つまり 人間の言葉をも超えている)ナゾの何
ものかを想定するという手です。

経験合理性を超えた場を 経験合理性にもとづき《想定する》というわ
けです。うんぬん。
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科学を完全に否定するのが哲学。

科学で唯一扱えないのが哲学。
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