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今や、ありとあらゆる種類の料理や食材にみちあふれた飽食の時代です。
そこで、かなり大まかで極端ですが、世間には、食事は単に空腹を満たす為だけの物なので、何だって良い。
と言う人。

どうせ食べるなら、好きな物でより美味しいものを……。
と、食にこだわる人とに分かれるような気がします。

私は美味しい物が大好きで、趣味や娯楽が料理くらいなので、恥ずかしながら後者です……。

でも、どちらが幸せなのかをフとまじめに考える時があります。

一見、美食家や食い道楽の方が幸せに感じますが、私は、なまじ美味しいものの味を知ってしまう事は、かえって不幸せのように思うのです。

美味しいものを知れば、不味いものや粗食にはなかなか落とせなくなるのが哀しいかな人間の欲どおしさです。
やがてどんどん舌は肥え、あれもこれも食べたくなり、出費も嵩み、身体も壊します。

入院をした時や、たまさか刑務所のお世話になるような事でもあった場合、普段美食だと、そのギャップに暫くは馴染めないのではないかと思います。

例え一汁一菜に近い粗食でも、毎日美味しいと満足感を得ながら頂け、美食などには目もくれない人の方が、健康的でもあり、足るを知る事の幸せに満ちてるのかも知れないなぁ…なんて考えてしまいます。

因みに、最後の晩餐を頂くとしたなら、私の最後の食事は、納豆、味噌汁、漬物、ご飯が理想です。

あなたは美味しい物を追求する人。
粗食で満足している人。
どちらが幸せだと思いますか?

A 回答 (4件)

毎日おいしい物を求めてさまよい歩きじゃなく、週に6日は、食べれるものなら何でも派。

一人だと、それこそ300円で何が食べれて腹がいっぱいになるか!なんて。そればっかりじゃ、人生わびしいので、1~2週に一度は、普通の人が入るには敷居が高すぎるようなところへ。もちろん、一人じゃ浮き上がってしまうので、連れと話をして楽しい女性同伴です。二人きりじゃ心配っていう女性なら、友達連れてきてもいいよ、ってことで。食時時間は大体2~3時間で、時間をかけてゆっくりと。おいしいだけでなく、店の雰囲気も大事。

でも、翌日もそんないいところなんて、まっぴらごめんです。

誘っても、そんな場所へ行く服をもっていないから、私じゃふさわしくないです、って断わられことも、20人に一人の割で。

粗食、美食派のどちらが幸せ、というより、私みたいな両派が幸せと思います。屋台でも、超高級レストランでも、楽しく食べています。
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この回答へのお礼

大変素晴らしい食生活をエンジョイしてらっしゃいますね。(^^)
私も全く同意見です。

ただ、私は今はもう殆ど外食はしてません。必要がなくなりました。

父が魚河岸仲卸の鮪屋だったこともあり、子供の頃から、それこそピンからキリまであちらこちらを食べ歩き、自分でも30年ほど飲食業を営み、廃業した今でも、b級グルメ〜ちょっとした高級料理の専門店くらいの料理ならジャンルを問わず、握り鮨以外は何でも一から全て手作り出来る様にもなりました。

だから、美味しいもの=高いものとか、贅沢なものとは限らない事も充分解っています。(^^)

これからも全ての食材の命に感謝しながら、節度のある美食を心がけたいです。

お礼日時:2017/02/07 12:43

幸せと言うものは相対的なものです。


この条件が適っていれば絶対幸せと言うものはそうないと思います。

自分が粗食である(1食何万円もかけていればそうは思わないですが、個人の考えです)、
美食である(食べるために旅行に行ったり、自分で厳選した素材を使って調理する人はそうは思わないですが、個人の考えです)、
という自覚自体、ある程度相対的なものではないでしょうか。

自分が幸せだと思っていれば、質問者さん言う粗食派と美食派、どちらも幸せだと思います。

亡くなった父は食ではなく酒でしたが、「美味い物飲まないで長い人生を送っても楽しくない」と言っていました。
平均寿命より短く他界しましたが、その先残された家族のことを考えていろいろ準備してくれていました。
他人に迷惑をかけない範囲で、生き方はとやかく言われるものではないと思います。

塩分や糖分などに関わる疾病からくる疾病なら別ですが、今時は一部大病院に限りますが、
国際線の機内食のように院内食を選べる病院があります。そこそこ美味いそうです。

個人的には日頃は必要最小限(粗食と言うかはお任せします)、たまに豪勢に食べるのが良いと思います。
1年365日必要最小限では悲しいし、豪勢な物も続けば飽きてしまうと思います。
粗食が金をかけないという意味であれば、現代日本で汚染が叫ばれる中国産の食材や
米国の遺伝子組み換え食物を排除する等言い出すと、農家や漁師でない限り結構金かかりますよ。
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この回答へのお礼

私の家系は恐ろしく短命で、父は40代、母は還暦直ぐに他界しました。
二人とも食にまつわる仕事でしたし、自由人でした。

私も40歳くらいの時、病で生死を分けましたが、こんなに長生きしちゃいました。
なので今の人生はオマケだと思っております。

生死を分ける病を体験しつつも、根が俗っぽい人間なので(・・;)私もも、美味しものには目が無く、好きなものを我慢してまで長生きしたいなどとは少しも思わないし、明日死んでも良いから、美味しいものを作り、それを食べられる内は、食べ続けたいと思います。

食事をする度、ああ、美味しい……。
幸せだ……。とシミジミ思います。

ただ、やはり美味しいものを知らなければ、もっと質素な幸せにも心から満足出来てるんだろうな……。
などと思うと、やれ、今日は何を作って食べようか、とか、明日はナニソレが食べたいなぁだとか、そんな事までが時々ミーハーっぽくて、陳腐に思えて来るのです。

日本の一日の残飯で、世界のどれほどの飢えた子が助かるんだろうか……などと時々フと思うと、良い年してチョット気恥ずかしくなります。

でも多分私は明日だってきっと、お金は然程掛けませんが、身の丈に合った美味しいものを作るんだろうなぁ……。などと思うのですよ。(^^;;

長くなってしまいごめんなさい。

お礼日時:2017/02/07 21:49

どちらも「精神的な満足」を得られないなら、不健康です。

物質主義にとらわれすぎです。

私もおいしいものは大好きで素。美食とまではいいませんが、おいしくないものは口にしたくありません。
しかし同時に、どれほど贅沢で豪華な美食よりも、苦労して山登りして山頂で食べるおにぎりと水のほうが「うまい」ということも知っているつもりです。

お金を払って物質的な満足を得ようとしても際限はありません。

>私の最後の食事は、納豆、味噌汁、漬物、ご飯が理想です。
それを知って入ればいいんじゃないですか。
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この回答へのお礼

先ずは回答ありがとうございました。
チョッと説明不足だったせいか、質問文の意図を誤解されてしまっているようです……。

私は他の回答者様にも書いた通り、外食は殆ど三ヶ月に一度行くか行かぬかのほどで、自分では作れない寿司を食べに行く程度です。
ラーメン屋さえ行かず、麺からスープから、チャーシューからメンマから、煮卵なども全て自分で作ります。
美食=高級な食材及び値の張る料理などとも思っていません。

私が思う本物のグルメというのは、食材の値段や質などには拘らず、その食材の元の命に感謝しながら、それ等を無駄にしない様大切に扱い、自分で美味しく料理したり、他者の思いのこもった料理を、美味しく楽しんで食べられる人の事だと思っています。

あなた様の言うとおり、今は田舎に住んでますので、自然の恵みの味わいも知っていますし、家の小さな庭で家庭菜園もやっています。

私が伺いたかったのは、一汁一菜に近い食事にも心から満足できている人の方が、なまじ美味しいものを知り、食に拘りをもつ人よりも、もしかしたら心も豊かで幸せなのかも知れないな……。
とフト感じたからだけです。

お礼日時:2017/02/07 17:12

>粗食派と美食派。

どちらが幸せだと

一般的に、粗食派は痩せ型で美食派は肥満型が多いので、肥満型にいろいろ障害(コレステロール値が高い、糖尿病がある、血糖値が高い等)があると考えると粗食派が幸せと思います。
ちなみに私は(一般的でなく)早死にしても美味しいものが食べたい方です(短い人生だから)
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この回答へのお礼

お気持ち大変よくわかります。
粗食で満足か、美食で満足かは、ある程度両親や育った環境にも影響されるような気がします。

美味しい物を(高い物や高級レストランでと言う意味ではないですが)幼少時から食べ続ければ、やがて健康を害し、短命になる事は私も覚悟しています。
が、やはり好きな物をバランスには気を付けながらも、食べ続けたいものです。

私も、今更好きな食べ物や料理を我慢してまで長生きをしたいとは思いませんので、好きな物が食べられる内は、一週間後に死ぬと言われても食べるとは思います。

お礼日時:2017/02/07 12:23

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