「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

家族の死、身内の死、怖くてなりません。いつかは必ず訪れるんですよね。僕は今16歳ですが、すぐにここで死ぬのではないか?などと考えてしまいます。皆さんはこの恐怖を乗り越えたのでしょうか?

A 回答 (6件)

 かなり哲学的な話になりますね。

私も高校生のころはそのような気持ちになったこともありました。
 人間のどうしても避けられない苦しみに「生・老・病・死」があります。(1)生きる苦しみ、(2)老いる苦しみ、(3)病の苦しみ、(4)死ぬ苦しみ、です。どうしたら乗り越えられるか考えても始まらないですよね。

 人間が幸せに生活するのは、この4つに対して喜びに感じることが出来て初めて幸せになれるのではないでしょうか。いきるということは、自分が人に影響を与え充実感を感じ、老いることで人生の経験をつみ、病にかかることで生きる喜びを感じ、死ぬことで名が残る。
 とらえ方の問題ですが、前向きに取り組めば道が開けると思っています。

 といっても私はそう思って信じているだけで、まだまだ恐怖を乗り越えた経験はありません。少しでも早い時期にそうした思想や考えを身につけることが大事だと思うので、こう考えていることは私はとても前向きな考えではないかなと思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
僕だけがこういう思いになっていたわけではないんだということを考えると少し安心しました。
回答者さんのような前向きな人の考えに近づけたらと思います。

お礼日時:2004/08/22 10:45

恐怖ではなく、悲しい事だと思っています。



自分の死に方を決めた時から、「死」を受け入れる事に疑問をなくしたように思います。
自分の望んだ死に方(決して後ろ向きでは有りません!)が出来るよう、
今を全うして生きています。

しかし、悲しみを受け入れるのは辛いですよね・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なんだか生きる希望というか意欲が沸いてきました!

お礼日時:2004/08/22 11:15

私もrestaurant111さんと同じ年代の時にそういう不安がありました。

毎晩寝る前に家族の安泰を祈っていたものでした。
それはどれくらい続いたかな。大学に上がる前にはそんなことはスポーンと頭から離れてしまったと思います。いい加減ですね。
今は16歳のうちに出来ることに打ち込んで、ご家族を喜ばしてあげて下さい。勉強は別として、スポーツは若い内からやっておいたほうがいい。家でボーっとTVゲームさせるために生まれてきた訳じゃないのですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり多くの人が通る道なんですかね。
今出来ることを精一杯頑張りたいと思います!

お礼日時:2004/08/22 10:48

それなりに年を取り、数十年貴方より多く生きてきましたが、多分、死については100人百通りとは思いますが恐怖がないと断言できる人はいないでしょう。


 もう少し具体的に掘り下げて書かれれば、ここを見られている多くの方がたの書込みがあるのではとおもいます。
 例えば、身近な人がいなくなるさびしさなのか、死の肉体的苦痛に対する恐怖とか...
 私は死はもっとも遠くの恐怖と感じております。つまりそれより身近な恐怖が人生にはとても多くあり、例えば仕事がないとお金に困ります。お金に困ると生き恥を友人にさらさなければなりません、これに耐えられません、つまり死よりも身近な恐怖があることです。
 無礼があればお許しください、見つめることはいい事と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
僕が怖いと思っているのは永遠の幸せは無いということですかね。いつかは全てに終わりが来ると思うと、それが今すぐおこってしまうのではないかとか、思ってしまうんですよね。
実は今日悪夢を見たんですが交通事故で親父が子供をひいてしまい死なせてしまって、それのショックで祖母が亡くなるっていう夢だったんです。立て続けに大きなものを失った夢でショックで飛び起きてしまったんです。その夢の一時的なショックかもしれないんですが、大切なものを失いたくないという思いでいっぱいになりまして・・。
長々と拙い文ですみませんでした。

お礼日時:2004/08/22 10:42

家族の死、身内の死、そして一番恐怖を感じてるのはご自分の死ですよね?



死だけは万人に平等に訪れます。僕にも怖くて仕方のない時期はありました。ではその恐怖を乗り越えたのかと言われれば、それは違うかもしれません。

質問者の方は人の死に立ち会った事はありませんか?
人間には未知な事に対する恐怖があります。年齢を重ねていくと、身内や家族が死ぬ事に何度も立ち会わなければいけなくなります。立ち会ってショックを受けて、それからまた普段の生活のリズムに戻らなければいけなくて、辛い、悲しい、寂しいと言い続けていられない状況の中で、少しずつ死に対するイメージが漠然と出来上がってくるものだと思います。

人間はいつか必ずどんな形かはわからなくても死ぬ。そのことを深く学ばされてしまいます。

「慣れ」とは違います。周りの人が死ぬ事、自分が死ぬ事に対して平気になる訳ではありませんから。
ただ何も知らない頃よりは少しは冷静に受け止められるようになるだけの事です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
死に立ち会ったのは1回だけですがあります。そのときはまだ小学生だったので死というものに対して実感が沸きませんでした。
いつかは人間は死ぬということをかみ締めて生きていきたいと思います。

お礼日時:2004/08/22 10:33

何時死んでも食いのない生き方をすることでしょう。

死ぬことを考えることは、如何に生きるかを考えることです。自分は何のために生きるか。そしてそれを全うして死ねれば本望ではありませんか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうなんです。悔いのないように生きることなんですよね。頑張ります。

お礼日時:2004/08/22 10:19

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