天使と悪魔選手権

過度な心配性を直す方法はありますか?
それと同時に悪い好奇心を落ち着かせる方法はありますか?

頭に浮かんだことが心配になり調べまくってしまい、調べちゃダメと思っても落ち着かなく調べてしまいます。

A 回答 (5件)

過度な心配性は貴方の悩みになっていますが、貴方が学ぶ事は神経症(ノイローゼ)に付いてだと思います。

神経症には様々な症状を抱えている人達がいますが、其々の症状を余り深く考える必要は無いと思います。

逆に言うなら貴方の『過度な心配性は貴方の悩みになっています。』もあまり考えても意味が無いと云った意味があります。

それよりも広く神経症と云った症状全般を学ぶ事が良いかも知れません。

この意味は様々な症状と云った事柄には特別な意味は無くて,人間が如何してそういった症状を持って苦しまなくてはいけないのか?という事柄に興味を持つ事が良いと思います。

言い替えるなら人間の精神的な苦しみを取り扱っている『禅』を学ぶ事が有効と思われます。

禅は精神衛生上には良いものと云う風に欧米では認識をされています。そうしてその精神性の奥深さには定評がある様です。

その理由は釈迦に拠る『究極的な癒しの心理学』とも云える内容が備わっているからです。人間は生れた時からの死刑囚であってその死刑執行の日が分かっていないだけ。』と云われていますが、そう云った死刑囚としての人間にも豊かな安らぎとか、安楽な心持の日々とか、いつか来る死に向かっても安らかに生きて、安らかに死を迎える。と云った心を癒すための学びが禅の中に在るからです。

その極め付けは『人間の苦しみとは、苦しんでいる本人が頭の中に作り出しているものでしかない』というものですがその原因もはっきりと書いております。

その苦しみの原因を、当の本人が知らないでいる事が原因と書いています。それを『無明の故』と書いています。この意味は人間の苦しみそのものには原因があってその原因を知る事によって人間の苦しみは、即、安楽な心持に替える事が出来るという意味です。

この意味は人間の苦しみの原因は『悩み多い人間の心の中にこそ、その原因があって、その悩みの解消こそ釈迦の教えの根本を成している。』という程の意味があります。

言い替えるなら『そういった苦しみの解消こそが、禅の目指している究極な目的であって、その肯定的な見解こそが愛であって、人間の存在を肯定する一つの希望である事を教えています。』

自身の中に存在している恐怖の根源、或いは漠然とした不安感の根源を知ってそう云った不安そのものを根こそぎ取り払う学問が『釈迦の教えとしての禅の中に存在しています。』

この話をする場合ではもっと長くなると思いますが、貴方が希望するならその続きを書きたいと思いますが、貴方が望まないならここまでとしたいと思います。
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調べりゃ良いじゃない。

知識が増えて何の問題があるのか。
調べないで聞くのは良いのか?
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心配性は


危険回避のために
役立つけど
度が過ぎると苦しいですよね。
完全主義の潔癖症なんて聞きます。
まぁいっか。
どうにかなるって
心配性じゃない人達は
そう考えてバランスとってるのでは
無いでしょうか
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抗不安剤など薬はあるのだけど(要受診)そんなものを使うほどの話でもないですよね。


そういう精神不安定はストレスがあると出やすいのでストレス軽減に努めてはどうでしょうか。
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中村天風 



藤平光一 + 臍下の一点
で検索してみると良いかと思います
参考まで
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