イエスは神の摂理を説きました。釈迦は宇宙の摂理を説いたと言えるでしょうか

カントやハイデッカーや科学哲学・・・

宇宙の摂理を説明した人はいるでしょうか? それもかなり言い当てた人はいるでしょうか?

教えて下さい どうかよろしく。

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A 回答 (13件中11~13件)

№2で 修正があります。




既述: (有神論か無神論)
修正: (有神論=無神論)
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この回答へのお礼

これは意外ですねえ。

お礼日時:2017/04/16 19:33

こんにちは。



かんたんですよ。

○ 《かみ》と《わたしたち》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ワタシたち・・・・・・・・・・・・・カミーーーーーーーーーーー→ワタシたちの思わく
_______________________________________________________
経験存在・・・・・・・・・・・・・・非経験の場ーーーーーーーー→梵我一如を想定
経験事象・・・・・・・・・・・・・・超経験ーーーーーーーーーー→一切衆生悉有仏性を想定

相対・有限・可変性・・・・・・・・・絶対・無限・不可変性ーーー→われは 《無限‐有限》の構造的存在だ
可知(既知か未知)&不可知・・・・・非知ーーーーーーーーーーー→神は 霊。われは霊我として神を分有しているのだ

有るか無いか・・・・・・・・・・・・有無を超えているーーーーー→神は 絶対有ないし絶対無だ(有神論か無神論)
因果関係・・・・・・・・・・・・・・縁起を超えているーーーーー→神のごとく宇宙の法則を知りたい

善悪・・・・・・・・・・・・・・・・善悪の彼岸ーーーーーーーー→神は至高の善だ。慈愛だ
生死・・・・・・・・・・・・・・・・生死を超えているーーーーー→不老不死でいたい

偶然・必然・・・・・・・・・・・・・因果関係から自由ーーーーー→世界には摂理があるのだ

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



☆ 誰が説いたかですって? 世界のすべてが 神からのメールである

と想定されているので これを読みなさいと――わたしの場合――イエ

ス・キリストが言ったと聞いています。

ほかの人たちも おおむね同じようなことを言ったんではないでしょう
か。
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この回答へのお礼

Thank you

随分色々と研究されている様ですねえ。

世界の全て つまり現実に真理は働いていますね

その通りだと思います。しかし同じ世界を見ても人の思想はそれぞれですね。

勉強になります ありがとうございます。

お礼日時:2017/04/16 19:33

まだです。


そんなのがいれば、一生かけて追及したりしなかった。
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この回答へのお礼

Thank you

イエス・キリストでもお釈迦様でも足りないわけですね

私もそう思います。

宇宙の摂理を説く人がいてくれたら、僕は結婚して働いていました。

お礼日時:2017/04/16 19:25

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Q例外のない法則はあるか? これは真理と言い切れるものはあるか?

例外のない法則はない とよく言われますが 本当に例外のない法則はないのでしょうか?

例外のない法則 真理と言い切れるものはあるでしょうか?

もしあれば一つでもいいから教えて頂けないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

普遍的な宇宙の大法則(摂理)を想像すると、例外というものは存在しないように
思えますが、変化・成長があるということを考えますと、完全ではなく、「例外」
と呼べるものがあるはずだと思います。

またそれは、現在の人間の認識方法によるもので、宇宙の普遍性から見たときに
「正しい」とは全く限らないわけです。
そのあたりを、現代物理学が解明しつつあるように思えます。

もう少し言えば、なぜ変化・成長があるかと言えば、それは個別化された生命に
自由があり、その自由な能動的な創造という行為が変化・成長を産む、と。
その全体から見ればわずかな「歪み」が「例外的存在」となり、それを因として
全体が変化をする、と。

まあ、こんなことを考えて楽しんでいる私です。(^^♪

Q人間とは 何でしょうか?

そもそも人間とは何でしょうか?

実存とか精神とか 性善説とか性悪説とかありますが

人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

Aベストアンサー

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に発生しただけの生物であって、いずれは死滅する存在じゃないかと。
そんな生物であれば、「人間とは?」などと大上段に考察する必要もなく、多少の知性などはあるものの、本質的にはアメーバーなどと大差は無い生物ってことで良さそうです。

一方、近年の宇宙科学とかでは、「ホンマかいな?」と言う様な発見や研究が多いのですよ。
たとえば、「重力は小さすぎる」なんてのが証明されて、「その力はどこに消えてるのか?」などが研究されるたり、「未知なる『第5の力』がある!」なんてことも言い出しました。
そうなると、高名な学者が「宇宙は少なくとも5次元以上で構成されているが、人間の脳は、まだ3次元までしか感知,認識し得ない」みたいな説を唱えたりもしています。

何か「言いたい放題」みたいな感じなのですが、1つのことが判れば、謎は深まるばかりと言う様相で。
ご質問も、それこそパスカルの時代から存在しつつ、誰も明確に正解を答えられない問いですが。
結局のところ、「人類はまだ、何も判っていない」に等しい状況と言えそうです。

もう一つ、興味深い説があって、宇宙には人類以外の知的生命体がいる存在は、否定されつつあります。
これはちょっと寂しい気もする説ですが、これが事実なら、冒頭の「真理を突き止められる可能性がある、宇宙で唯一の生物」と言うことになります。

また、上でも少し触れましたが、宇宙と脳には各種の関連性が指摘されていて、まあ人類も宇宙の子ですから、関連があって当然ながら、何らか「宇宙の意思」的なものがあって、その様に作られているのかも知れません。

いずれにせよ、人類は未だ「人間とは何か?」に対し、明確な答えを得ておらず。
その答えを得るためには、まだ戦争などの愚かしい行為も繰り返しながら、もっと科学技術などを高める必要性はありそうだし。
戦争などとは無関係に、宇宙や生命科学の真理を探求できる状態になる頃には、完全なる平和なども手に入れねばならないです。

現代に生きる我々に出来ることは、我々の子孫が真理を解き明かすことを願い、我々の時代を少しでも良くする努力をすることではないか?と思います。
また、もし真理に到達すれば、それが「宇宙の意思」そのものと言えそうで。
「人類こそが、宇宙の意思であった」と言えるのかも知れません。
あるいは、人類の産物であるAIなどが、人類の意思を引き継いで、それを実現するのかも知れませんが。
出来れば、私のDNAもちょっとは受け継いだ、人類であって欲しいです。

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に...続きを読む

Q《彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない》とは どういう意味か

1. 或る回答を引用して 問うものです。規約違反であれば したがい
ます。

2. 前々から分からなかったのですが ひとまとまりの説明を得ました。
なお分からないのですが 疑問を呈して問い求めをすすめ得ればと考えま
す。


◆ 《彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない》~~~

3. 我々の身体は原子からできているし、宇宙はブラックホールにより
誕生したのかもしれない。

4. しかし、その原子やブラックホールが何からできているのかは永遠
に不可知だろうと思います。

5. むろん、どちらも、その大元を辿れば1次元の拡がりをもつ弦( 超
弦)であると推測されるところまで来ているようですが、では、その超弦
は何からできているのか、ということになるでしょう。

6. つまり、理由が分かったとしても、その理由に対する理由が永遠に
付きまとうわけなので、永遠に不可知と言わざるを得ません。

7. よって、

  「人智の及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理(=あらゆる事象をバランスさ
  せる力)に起因して我々は生まれた。( A )」

を定理として認めざるを得ない。

8. この場合、

  「我々は [ 人類の一員としての我 ] でありさえすれば摂理の要件を満
  たすに十分なのであって、 [ 自我としてのこの我 ] が存在しなければ
  ならない必然性は(摂理にとって)皆無である( B )」

7. よって、

  「彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない( C )」

という命題が結論として導き出される。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

8. まづ用語です。
《不可知》は 質問者としては 《知り得ないと証明されたものごと》と
定義しますが どうもここでは 《知り得るか知り得ないかが知り得ない
ナゾ》としての非知のことを指して言っているように思われます。
その点 どうなんでしょう?

9. 《大元の大元》としてここでは《ナゾ》という言葉で統一したいと
思うのですが (7)なる命題(つまり A )は 次のようにみちびかれ
ているのでしょうか?

9-1.(編集版A‐1) ナゾはナゾであり続けるゆえ それを《人智の
及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理(=あらゆる事象をバランスさせる力)》と
呼び 同じくそのように説明する。

9-2.(編集版A‐2) われわれは ナゾによって・絶対的摂理によっ
て・あらゆる事象をバランスさせる力によって生まれた。

10. (8)の B なる命題について:

10-1. 《摂理の要件を満たす》とは どういうことか? すでにこ
の摂理によってわれわれは生まれて来ているのではないか? すなわち生
まれて来たときに 《[ 人類の一員としての我 ] でありさえ》しているの
ではないか?

10-2. 《 [ 自我としてのこの我 ]》が分からない。《[ 人類の一員
としての我 ]》と《自我としてのこの我》とは 別なのか? 別だとすれ
ば 《自我》について説明が欲しい。

11. (7)の C なる命題において 《我 や 彼》は どうなのか?
つまり おのおのが《[ 人類の一員としての我 ]》であるその人間のこと
か?

11-1. もしそうだとすると この命題で《彼は我であったかもしれ
ず うんぬん》というとき 一方では 《[ 人類の一員としての我 ]》どう
しとしては互いにその存在を共通のものとしていると言えると同時に 他
方ではなぜ――だからと言って――それぞれが互換が可能であるかのよう
な見方をしなければならないのか? という疑問がとうぜん起きる。

12. 果たして 命題 C は どういう意味なのか? つまり おのおの
の意志自由は互いに――社会的に相対的に――独立しているはずであり だ
からいわゆる個性があり得ると考えられるとき それらをめぐって 何を言
おうとしていると解釈すべきなのか? 

12-1. 人間は 人類として重んじられるが 一人ひとりの存在はど
うでもよいものだ――と極論して受け取らざるを得ないようにも感じるの
ですが 果たして どうなんでしょう?

1. 或る回答を引用して 問うものです。規約違反であれば したがい
ます。

2. 前々から分からなかったのですが ひとまとまりの説明を得ました。
なお分からないのですが 疑問を呈して問い求めをすすめ得ればと考えま
す。


◆ 《彼は我であったかもしれず、我が彼であったかもしれない》~~~

3. 我々の身体は原子からできているし、宇宙はブラックホールにより
誕生したのかもしれない。

4. しかし、その原子やブラックホールが何からできているのかは永遠
に不可知だろうと思...続きを読む

Aベストアンサー

#72です。

(ア)
>連続性は基本としてありません。地続きではありません。
あると見えるのは 人間の思わくです。哲学としての神論ではなく 
神観として広く人生観を成すような要素に成っているのかも分かりま
せん。神への甘えです。

おっしゃっりたいことはよくわかります。
「絶対的摂理=経験事象 A を顕現させている法則・原因」という定義に対する批判ですね。
「法則・原因」はあるとしても、それによって、
★経験事象 A を顕現させている
とは限らない、ということなのでしょう。

私の場合、
★自然宇宙の絶対的摂理=あらゆる事象をバランスさせる力
というスタンスがあります。
卓袱台返しをするわけではなく、逆に言うと、
★あらゆる事象をバランスさせる力
が無ければ、宇宙・世界はバラバラにならざるを得ないはずなのだから、それを、
★自然宇宙の絶対的摂理
と呼ぶのは論理的であり妥当な思考だろう、ということ。
その上で、経験事象 A が
★自然宇宙の絶対的摂理
以外によって顕現しているとするのは極めて不合理なのであるから、
★「絶対的摂理=経験事象 A を顕現させている法則・原因」
のように定義したとしても何ら齟齬は生じない、という論理になるかと思います。

上の表現において、
★ならざるを得ない
★妥当な思考だろう
★何ら齟齬は生じない
などの見解が、その根拠と共に示されていると思いますが、それらは(今のところ)わたしにとって動かしがたいものであるようで、経験事象 A と、それを顕現させている法則・原因が、
☆非連続
であるといった視点をとることは、なかなかむずかしいようです。
やはり「見解の相違」という落としどころに来ているように思うのですけどね。

(イ)
>~~《物理現象⇒物理法則⇒その抽象化・純粋化》は 非連続を無
視していると見られてしまいます。
じつは それゆえにも――詭弁を弄すると映るかも知れませんが――《非
知》という想定を初めに持って来るのです。人間の思考としての投影作業
を この定義の仕方によって切ったのです。
ですから:
★ ただ、個人的には、これは「思考の停止」と位置づけます。
☆ に対しては 《非思考》を掲げるわけです。

ともおっしゃるわけですが、「思考の停止」を否定する必要はないという気もするのですけどね。
ここにきて、神と摂理の食い違い、つまり信仰と論理の問題。も生じてくるのかもしれません。
その場合、(本来の)信仰が思考停止であるとして、それは、むしろbragelloneさんにとっても本意ではないか、という印象も受けるのですが、その点についてはまた別の機会に譲るのが妥当なのでしょう。

(ウ)
>神をその限りで――シルシなる仮りの小世界における限りで―― 思考の対
象として扱っています。
けれども だからと言って:
★ 「神」がすでに思考対象として 認 識 さ れ ていることになる。
☆ ことは ありません。思考され認識されているのは あくまで神を指し
示すシルシとしての言葉であり その概念内容なのです。

ここも実によくわかるのですが、(イ)と同様、
★神と摂理の食い違い
についてつまびらかにしないまま論じるのは難しいように思います。
☆非連続
と前提するなら、たしかに
☆神は非知
と言う論理は成立するでしょうね。
この辺りの論理はおかげさまで腑に落ちました。
ただ、そうした前提が(神に対して)妥当か否か、という問題と、仮に妥当だとして、それを「絶対的摂理」にも適用することが妥当か否か、という2つが論点としてあると思われます。
わたしの場合、現時点では、とりあえず、後者については(見解の相違という形ではありますが)否定しつつ、前者については積み残しの状態と言えるでしょう。

#72です。

(ア)
>連続性は基本としてありません。地続きではありません。
あると見えるのは 人間の思わくです。哲学としての神論ではなく 
神観として広く人生観を成すような要素に成っているのかも分かりま
せん。神への甘えです。

おっしゃっりたいことはよくわかります。
「絶対的摂理=経験事象 A を顕現させている法則・原因」という定義に対する批判ですね。
「法則・原因」はあるとしても、それによって、
★経験事象 A を顕現させている
とは限らない、ということなのでしょう。

私の場合、
★...続きを読む

Q殺人はいけない

殺人がいけないのは当たり前です。道徳から導かれる当然の答えです。
法律があるからは法律がなかったらいいと言いますが道徳心が心配です。

殺人をひとくくりでいけないと言うのは間違いです。
条件により答えは変わるからです。

戦争はしてもいい殺人と言いますが、単に罰せられないと言うだけです。
殺人をして褒めるのは国だけであり罪のない一般市民を殺すことが
正当化されるわけではありませんし、自分は褒めません。
実際兵士は、殺した分傷つきトラウマになり自殺したりします。

殺人を一言でいけないとしないのは正当防衛など許される殺人があるからです。
しかも自分が心から許す事の出来る殺人になります。
道徳からはいけないとされる殺人を何故心から許せるのかは、
自分を危険にさらしたり悪事を働く者に対しその人を守ろうとする気持ちにならないからです。
死刑も同様の理由で国民が納得する殺人になります。

殺人がいけないのは当たり前ですが、いけない理由が気になると思います。
まず、殺人がいけないのは罪もない人を殺すことに対してです。
逆に、悪に対しては殺してもいい答えが導かれます。
戦隊ヒーローものも、ヒーローが悪を殺して怒る人などいないわけです。

殺したら殺し返されるからと言う理由は、自分中心の考えになります。
道徳とは関係ありません。

道徳でいけない理由は、恐らく命を奪うとはその人の人生を奪うことであり、
他人の人生を脅かしたり狂わせたり奪う権利を持っていない、
それがいけない事だからとなります。

つまり、殺人がいけないのは人の人生を奪う最低な行為だからと言う道徳からくる、
答えではないかと言うことです。

他に納得できる理由があればどうぞ。

殺人がいけないのは当たり前です。道徳から導かれる当然の答えです。
法律があるからは法律がなかったらいいと言いますが道徳心が心配です。

殺人をひとくくりでいけないと言うのは間違いです。
条件により答えは変わるからです。

戦争はしてもいい殺人と言いますが、単に罰せられないと言うだけです。
殺人をして褒めるのは国だけであり罪のない一般市民を殺すことが
正当化されるわけではありませんし、自分は褒めません。
実際兵士は、殺した分傷つきトラウマになり自殺したりします。

殺人を一...続きを読む

Aベストアンサー

KGN‏
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フォローする
その他
自炊に初期投資って一体…?という方にはこちらがお勧め。
「底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン」

https://twitter.com/KGN_works/status/853944484765155329


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KGN‏
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「やっかみで赤の他人に酔っ払いのような絡みをするのがどれだけ恥ずかしい事か、それすら判らんのかね。まずはそこから恥ずかしいと思ったらどうだ」

これに尽きますな。

https://twitter.com/KGN_works/status/853964980932050945


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
KGN
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MMDとUTAUとボカロ(KAITO、MEIKO、ミク、VY1、VY2そしてボイスベース専門と化したキヨテルがいます)で遊んでる底辺うp主です

Q人生の競争に勝とうとしても

人生の競争に勝とうとしても、そのプロセスで自分が疲弊したらつまらないでしょう?
そういう疲弊した人を何人も見てきて、つくづく思います。

Aベストアンサー

勝つためなら疲弊さえいとわない人
疲弊するぐらいなら勝ち負けをいとわない人

前者の場合、『勝ち』に重心があるので周りが
思うほど疲れをしんどさと感じない気がします。
中には疲弊して病む人もいるかもしれませんが

精神論になるのでその人が周りに迷惑をかけて
いない限りは腑に落ちずとも温かく見守るのが
無難かもしれませんね。(そういう私は後者ですが)

Q3種類の人間

人間には3種類います

1.宇宙は有限であると考える人   → 一神教ドグマに漬かった人達
2.宇宙は無であって欲しいと願う人 → 般若心経的に漬かった人達
3.宇宙は無限であると認識する人  → 真理を探求する人

そして哲学のステージは確実にこの順番で高まってゆくものではないでしょーか。

Aベストアンサー

人間には三段階があるという。

顔の額から下の、動物性。
額の部分の人間性、或いは理性。
額から上、頭頂部の霊性。

額の部分の好ましい成長は「人の道」によく叶う生き方をすると思います。
信仰は霊性の開拓だと思います。

Q無謬性

人間は本然的に無謬性を求める、と言えると思います。
無謬性という概念は「信仰」につながると思います。

人々はかつては宗教にそれを見ました。「聖書の無謬性」などという言葉もあります。

現在は科学にそれを見ているのではないでしょうか?
わからないことがあるにせよ、科学的に証明されたものは「絶対に正しい」、と。

あるいは、人間は間違えるが、AIは絶対に間違えない、と。
そこから、AIに対する「神格化」の感情が急速に高まっていると思います。

しかし、AIは設定された条件内においては間違いはないと思いますが、その「条件」
の中に誤謬があるいは不完全性がありうると思います。

また、科学が証明したものは、宇宙の中のどの位置にあるのか?つまり、科学そのものの
無謬性は証明できるのか?

無謬性ということについて、あるいは無謬性と信仰について、無謬性と科学について、そ
の他、なんでも結構です、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

伝統的宗教が歴史の中で
人間にとっての社会を維持するために
直観的に正しいと思われる価値観の正当性の拠り所として
神もしくはそれに類する存在を土台にした無謬性を構築する必要があった。
というのは科学が未熟な時代を経ながら進歩せざるを得なかった
人類にとって避けて通ることができなかった必然の過程だと思います。
現代という時代は
そうやって積み重ねられた歴史の成果としての科学という客観的な拠り所によって
無謬性を検討できる時代にはなっていると理解していいのではないでしょうか。

物質科学の隆盛期にこじれた宗教と科学の関係も
物質科学の先に展開することが可能になった精神科学に照らして
整合性を検討することで新たな展開も期待できると思います。

科学の世界における無謬性においても人間の認識能力の構造的限界というものがあって
その閾値以下の部分においては信仰という拠り所の必要性はなくならない。
そしてその領域の拠り所を求められる局面もなくならない。
今のところそんなふうに考えています。

Q神と言えば 普遍神にきまってるぢゃん。

ほかにはない。

いかに?

Aベストアンサー

一つの神から無数の神々が分身として現れてると言う考えに問題は特に感じませんね。キリスト教なんかの一神教の神も、天使という一種の分身を持つ事を想定してるし。
このそれぞれの分身にどれだけの普遍性を見出すかと言う事に程度の違いはあるかもしれないけど、無数の神々の働きを一つにまとめてる神を一柱想定する事もあると思う。
天使の位階みたいに、それぞれの役割に応じて神々に位が定められていて、カテゴリ付けされてる場合を考えても、一番大きなカテゴリが一つあって、そこから分化していると言う神の構造のようなものを考えることはできると思う。

Q宇宙の公理

いま目の前に厳然として存在する宇宙について考察するとき、次の5つ公理に行き着いた。

  1.宇宙は存在する
  2.宇宙は無限である
  3.宇宙は連続体である
  4.宇宙は不変である
  5.宇宙は不滅である

宇宙は存在する。
宇宙は存在するし、もともと存在した。
宇宙は創られたのではなく、もともと存在していた。
宇宙に始まりはなく、ビッグバンなどもともと無かった。

宇宙は無限である。
宇宙の空間軸は無限である。
無限なる宇宙に果てはなく、果てのない宇宙に形はない。
この無限なる宇宙にとって、137億光年の空間などビー玉にも満たない。
また宇宙の時間軸は無限である。
この無限なる宇宙に始まりはなく、終わりはない。
時間軸の如何なる時点においても宇宙は常に存在していた。
宇宙の歴史は無限であり、137億年どころか137億の137億乗年よりはるか以前から宇宙は今と変わらず普通に存在しておった。

宇宙は連続体である。
宇宙はその中のどの一部をとってもそれ自身やはり無限である。
つまり宇宙とはマクロにもミクロにもこの上なく無限なる実体である。

宇宙は不変である。
宇宙の至る所で惑星や恒星、銀河が誕生したり消滅したりして宇宙の地図は移り変わるが宇宙の基本構造は不変である。

宇宙は不滅である。
人類が滅びようと、地球や太陽が消滅しようと宇宙にとっては砂粒が一つ消える様なもの、宇宙が無くなることはない。
宇宙は未来永劫、完全に不滅である。

これらは公理であり、証明を求めるべきものではないがあまりに自明である。
そしていま目の前に厳然として存在する宇宙と深遠なる宇宙の公理について考えるとき、神や仏、天国や地獄の事などもうどうでもよいことに気付くのである。

いま目の前に厳然として存在する宇宙について考察するとき、次の5つ公理に行き着いた。

  1.宇宙は存在する
  2.宇宙は無限である
  3.宇宙は連続体である
  4.宇宙は不変である
  5.宇宙は不滅である

宇宙は存在する。
宇宙は存在するし、もともと存在した。
宇宙は創られたのではなく、もともと存在していた。
宇宙に始まりはなく、ビッグバンなどもともと無かった。

宇宙は無限である。
宇宙の空間軸は無限である。
無限なる宇宙に果てはなく、果てのない宇宙に形は...続きを読む

Aベストアンサー

その宇宙の公理はエントロピーに似ている。しかしそれを説明出来ても人は如何に生きるべきかは説明出来ない。人の人生とは「どうでも良いこと」ではないからだ。釈迦はインド哲学から宇宙の中に仏教感を創造した。どうでも良いはずの宇宙はやがて曼荼羅にという重要な教の基盤となったのである。宇宙は神が作ったものではなく、宇宙そのものが神であることに気づく段階を悟りとすれば、あなたはその入り口で扉を開けようとしているのです。

Q不完全性定理って 現実から離れた数学としての真理なのか? それとも 現実に即しているのか?

次の解説をめぐって 二つ目に引用した事例に沿って問います。

▲ (哲学的な何か、あと科学とか:不完全性定理) ~~~~~~~~~
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html
不完全性定理は述べる。

「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。
それは、その理論体系に矛盾がないことを
その理論体系の中で決して証明できないということであり、
つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない」

▲ (同上) ~~~~~~~~~
たとえば、ボクが、「ボクは嘘つきだ」と言ったとする。

もしこの言葉が「真実」であれば、ボクは「嘘つきである」ことになるが、
そうすると「嘘つきなのに、真実を言った」ことになってしまい、
おかしなことになる。

一方、この言葉が「嘘」だとすれば、
ボクは「正直者である」という事になるが、
そうすると、「正直者なのに、嘘を言った」ことになってしまい、
おかしなことになる。

結局、ボクの言葉が、真実でも、嘘でも、
おかしなことが発生してしまうのだ。
~~~~~~~~~~~~~~

☆ おそらく取り上げた事例がふさわしくない――つまり ただの論理だけで
現実のものごとを扱っている――と思うのですが このタトへなら 

 《ウソをつかない人間はいない》

と返しておしまいではないのだろうか?

定理がどうの数学的真理がこうのと言うまでのことではないのではないか?




具体的に見ても その《ボク》が生きて来ている歴史においてその振る舞いを
実際に捉えてみれば すぐ分かることだ。つまり: 

 《ほんとうのことを言う場合もあれば ときにはウソをつくこともある》

と。あるいは:

 《社会に生きる人間であるなら ホンネは違っていても止むを得ずタテマヘ
 に従わざるを得ないと――おのが心で――判断し そのタテマヘに従うこと
 を 現実的なホンネとする》

ということ。――こうではないか?




もし そうだとしたら・この限りで このゲーデルの定理は 形式主義の数学
がそうであるように 現実から遊離した世界の中での或る種の真理をこそ・そ
してそれのみを扱っている・・・ということなのか?

それとも そうではなく まさしく人間の現実世界に対応している真理なのか?

どうなのでしょう?
なお ヰキぺの解説を見ても数式がよく分かりませんので 言葉で表現しても
らえればさいわいです。

次の解説をめぐって 二つ目に引用した事例に沿って問います。

▲ (哲学的な何か、あと科学とか:不完全性定理) ~~~~~~~~~
http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/fukanzen.html
不完全性定理は述べる。

「どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。
それは、その理論体系に矛盾がないことを
その理論体系の中で決して証明できないということであり、
つまり、おのれ自身で完結する理論体系は構造的にありえない」

▲ (同上) ~~~~~~~~~
たとえ...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは、概ね回答は出揃っているのですが、2、3・・・


 まず、第1不完全性定理とは、

「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。」のことです。


 以下は、言葉の定義です。

・無矛盾性:公理自身が矛盾していないかどうかのこと。なお、このω無矛盾は後のロッサーにより、単なる”無矛盾”まで、拡大されました。

・完全性:ある一組の公理から,そこに含まれるすべての命題を導くことができるというもの。

 逆に言いますと、

・不完全性:ある一組の公理から,そこに含まれるすべての命題を導くことができないものが必ず1つは残ること。を意味します


 この定理は、「真」として、証明されてしまっていますので、どうしようもありません。



 そこで、

(1)不完全性定理って 現実から離れた数学としての真理なのか? それとも 現実に即しているのか?

 そもそも、「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば」、という前提がありますが、”この世界”がそのような無矛盾でありえないと思います。事実様々な公理(らしきもの)がありますが、これらが一切矛盾せずに(当然、例外などはあってはなりません)であるのか?と問われれば、「偽」だと考えられるからです。


(2)つまり ゲーデルのこの定理を出して 哲学カテの哲学問題についての回答とする場合が あとを絶たないように見られます。

 そもそも、人間が作ったものには、限界がある、もしくは、人間理性には限界がある、ということを言いたかったのだと思います。少なくとも、当初の哲学者は、です。ですが、これが拡大解釈されるようになってしまったのだと思います。


(3)無矛盾で出来ている公理系で 真偽を決定することができる場合もある。一部で 決定できない場合がある。
 ということらしいですね。

 はい、そのようになります。”少なくとも1つは決定できない場合がある”ことを証明したものですから。




 以上、ご参考まで。

こんにちは、概ね回答は出揃っているのですが、2、3・・・


 まず、第1不完全性定理とは、

「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。」のことです。


 以下は、言葉の定義です。

・無矛盾性:公理自身が矛盾していないかどうかのこと。なお、このω無矛盾は後のロッサーにより、単なる”無矛盾”まで、拡大されました。

・完全性:ある一組の公理から,そこに含まれるすべての命題を導くことができるというもの。

 逆に言いますと、

・不完全性...続きを読む


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