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お経の中には何が書いてあるか、ご存知の方は、簡単に教えてください。

聖書は、新約・旧約共に我々でも読んで、一応の理解はできますが、お経は漢字ばかりで現代人には読めないし、お坊さんのお経を聞いても理解できません。
般若心経・法華経などの代表的なお経だけでも構いませんから、教えてください。
信仰を持っているわけではありませんが、ノアの方舟やアダムとイブの話位は常識なのに、お経関連の内容を知らないのは、ちょっと情け無いような気がしたもので。
簡単で結構ですから、教えてください。

A 回答 (12件中1~10件)

正直なところ、仏教を凄いなぁと思うのであれば


知らないほうがいいと思いますよ。
まぁ、どうせ字面だけ知ってても本当に知らないと意味が無い
とか言われのがオチですがね…。きちんとした回答が来ると思うので
私の回答は、いい加減だなぁ。で済ましてください。すみません。

般若心経→お釈迦さんは弟子のシャーリプッタ(人名)に観音という修行僧が空という思想を知って最後に呪文を唱えたことを伝えた。

法華経→いっぱい仏が出てきてあれこれ。観音菩薩とか有名どころが出てくる。火宅。

阿弥陀経→極楽は凄い

無量寿経→すごく昔々にダルマーカラという修行僧がいろいろ願って
無事、仏になった。それが阿弥陀仏。

観無量寿経→王子が父を幽閉。その母は現実が嫌になってお釈迦さんに
どっかいいところに生まれ変わりたいからいろいろい見せてくれと頼む。

華厳経→ビルシャナ仏。

法句経→お釈迦さん言行録。

その他いろいろ…。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
旧約聖書のような「スペクタクル」もあれば、論語のような「言行録」などいろいろな内容のものがあるのですね。勉強になりました。
私は、仏教を真剣に勉強する気にはなっていませんので、とても参考になりました。
「分かった気分」になりたかったので、気分がすっきりしました。

お礼日時:2008/02/28 16:20

般若心経や法華経の意味は私も良く分かりませんが、


もっとも古いお経で、本来の仏教を伝えているといわれる
法句経などは、読めば意味が分かりますし、
私としては、お勧めしたいものです。
岩波文庫の「ブッダの真理のことば・感興のことば」、
「ブッダのことば―スッタニパータ」があります。
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お経が漢字ばかりなのは、中国を経由して日本に伝わったからです。

日本も明治以降になるまでは、ほとんどの知識人は漢字の多い文章を書いていました。
現代では、サンスクリットをそのまま日本語に訳したお経も書店で売られているのでそういうのを読んでください。
内容的には、難しい教えというより、お釈迦様の伝記です。お釈迦様の一生の物語と思えば良いでしょう。
それを後世、色々な宗派の僧侶が自分の宗派の都合の良いように創作したのが大乗経典と呼ばれるものです。
興味があるのでしたら、仏教の入門書を読むと良いでしょう。
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家に仏壇があり、子供の頃よく親に無理矢理仏壇前に座らされ


しょっちゅうお経をあげさせられてたので法華経なら少し……といっても
専門家でも何でもないので大したお役には立たないと思いますが;

難しい漢字の言葉の羅列が延々と続いていますが、
自分が見た印象では諺(ことわざ)も載っていたので
(自分が確認できたのは「色即是空」です。もしかしたら
これ以外にもあったかもしれませんが、自分のちっぽけな頭では
理解できたのはこれだけです…_| ̄|○)
ひょっとしたら難しい諺で構成されてるのかな?と…。
全くお役に立てずにすみません_| ̄|...○))
それっぽいサイトさんを見つけましたので、リンク張っておきますね。

参考URL:http://enlighten.fc2web.com/jigage.html
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文庫本で蓮華経の翻訳物があったので、ずいぶん昔ですが読んでみたことがあります。


たぶん今でもそういうのはあるはずですよ。

宇宙空間から無数の仏が飛来し、この世の(地球の?)生きとし生けるもの全てを云々、
といったスペースオペラのような荒唐無稽な創作話です。

大げさな数字が大好きなかの地の人々の気風と、
大衆に広めるぞ、といった気合がよく出ています。
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まずは大元の仏教だといわれる、パーリ語の三蔵を守っているテーラワーダ(上座)仏教を学んでみてはいかがでしょう。



サンガ出版「仏法」がかなり詳しく・わかりやすく、仏教が学べます。

瞑想なら「現代人のための瞑想法」がオススメです。

もっと基礎の基礎がよければちくまプリマー新書の「ブッダ―大人になる道」「ブッダの幸福論」がおすすめです。
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簡単な質問ですが、結構難しいですよ。


仏教を一言で言え、見たいな感じですよ。
仏教は、人の心(純粋な人間性)を求めて
これを大事にしてきましたので
右から見たり、左から見たりと言う感じで
色んなお経がありますが
すべて、これについて書かれてます。
というより、書いてます。ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
答えにくい質問であることは理解していたのですが、「悟りへの指南書」という理解だけでも、一応、間違いではないかどうかという疑問もありました。「右から」「左から」という理解の仕方なのでしょうね。

お礼日時:2008/02/28 16:44

お経の内容は、その各経典によっていろいろですが、その方向性というか志向するところは、すべて法華経なのです。


元々、仏教の祖師である釈尊はある重要な事をつかんだのですが、それは法華経の中に説かれているのですが、当時の人々にそれをいきなり説いてもなかなか理解を得ることができなかったので、法華経を理解させるために、まずはその下地作りとしてなるべく分かり易く、受け入れ易いように様々な架空の話やたとえ話をもって様々な角度から縦横無尽に説いていったのです。それで八万法蔵とも言われるような膨大な経典数になったのです。
仏法といわれるように、釈尊はある法の存在を覚知し、それを妙法として法華経で説いているのですが、それで妙法蓮華経を略して法華経となっているのですが、この妙法の持つ力(法力)のすばらしさやすごさを人々に少しでも浸透させるために、その法力を仏や菩薩として擬人化して説いていったのです。それで大日如来、阿弥陀如来、観世音菩薩、薬王菩薩、普賢菩薩、・・・等々、様々なものを創り出したのですが、結局は「生老病死」という四苦を克服できる妙法の力をより身近なもの、または権威付けて納得させるためのいわゆる方便だったのです。ですから、最終段階で釈尊がその真意である法華経を説くときには、今まで説いたものは、法華経に導くために仮に説いた一時的なものだから、法華経が説かれたら不要であるから捨てよ、と自身言っているのです。
建物でも、それを建てるまでは足場は必要ですが、建物が完成すれば足場が不要になるのと同じようなものなのです。
以上が仏教の大綱となりますが、よく知られている経典であっても法華経以外はすべて法華経の部分観的存在なので、たとえその内容を知っても「木を見て森を見ず」ですから、ここでは法華経について要約しますが、前述のようにこの世には妙法という一つの法則が厳然と存在し、これに則れば誰もが四苦を克服し、宿業を打破し、悠々と常楽にその人生を送り、未来永劫それが続いていくので、必ず万民は妙法を拠り所として生きていきなさい。というところです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
俗に「お経」と呼ばれるものは、釈迦の死後に弟子たちが現したものと理解していました。その集大成である法華経が、釈迦の生前からあったのでしょうか。釈迦が誰かに乗り移って現したのでしょうか、などという屁理屈が頭に浮かんでしまいます。この手の矛盾は宗教にはありがちなことなのでしょうね。
少なくとも、法華経が経典内でNo1という位置づけの理由が理解できました。
お手数かけました。

お礼日時:2008/02/28 16:39

簡単にはいえない。

同じ経典でも宗派、団体によってまたは僧侶によっても見解は多少異なるみたいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5% …
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/zy …
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/3196062/s

お経は釈迦が弟子に言った事が中心で、弟子がまたアレンジしている物もある。釈迦の教えであり、中身は悟りと救済と言う感じでしょうか
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間を見つけてのぞいてみることにします。

お礼日時:2008/02/28 16:30

その根本となるところは、一つです。

人間が苦しむのは、自分自身の中に、その大元がある。その大元は「仏性」というものが、人を生存させるための、もので有ると言う事です。その仏性のすることが、人には分からなくて。人は二元論に陥ってしまうと言う事です。その二元論のために、人生苦が始まって。その仏性と出会う事によって、今まで二元論として、対立、矛盾していたものが、解消される。矛盾の解消の事を「般若の智慧」と言います。矛盾を悩み、苦しみとして、感じているのが、人間です。人間の悩み、苦しみを救うと言う事が、仏教の本質です。いわば、「砂糖の味」それは「絶対の安心、絶対の自由」と言う事です。

その事を、時を超え、処を超えて、伝えようとしています。その時々の人達、その土地、その土地の習慣とか色々なものを、交えながら。ですから、聖書みたいに、膨大な資料になってしまいます。お釈迦様の「悟り」の世界を知るには「禅宗」がよいかと思います。それは、仏心宗と言って、直にその悟り「砂糖の味」を味あわせてくれるからです。

人間は、中々「道」に達する事は、難しいようです。それは、知識から入ることが、特に、難しい事のように、思われます。その「知識」がその「道」にはいることの、障害になっているからです。ですから、お経より、体(五感)から入ってゆく「禅宗」の方が「道」に、入るのは、易しい様な、感じがします。それでも、よほど、難しいですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
知識で理解するより、感覚(体)で体験するものというご指摘と思います。十牛図に示されていることに近いという理解をしました。
私は、仏教の本質(?)より、話の種としての経典の内容に興味があったのですが、ご指摘の内容から、もう少し真剣に考えて、否、感じる工夫をしてみようと思います。

お礼日時:2008/02/28 16:28

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