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いつか死が訪れる日まで、淡々と月日は流れて行く。
昨日と同じ様に今日が訪れ そして去って行く。
10年前・20年前を振り返ってみると、悲しいほど劣化している今の自分を知る。
頑張れば報われるなどという迷信は今更通用しない。
夢中になって勉強している自分
夢中になって働いている自分
夢中になって遊んでいる自分
楽しい事も辛い事も悲しい事も、全て人生という夢の中の出来事なのだ。
夢は必ず終わる。
人生に意義も意味も初めから存在はしてない。
生命として生まれたその日から、生命維持装置が壊れる日まで生きている。
それを生涯と呼ぶだけなんだ。
地球が誕生して40億年
太陽が滅びるまであと40億年
80億年か、長すぎて長すぎて人間の想像力を超越している。
人生100年なんて、有って無い様なもんだね。
☆私の呟きです。
読まれて感想頂けたら嬉しいです。

A 回答 (12件中1~10件)

終わりが無いことに頑張る人間なんていないと思うよ。

それこそ結果のでない無駄な努力だもん。
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この回答へのお礼

ありがとう

結果が出なかった努力は、無駄だった事ということですね。

お礼日時:2017/04/30 13:47

JKです。


今年、高校入試に合格し、JKとなったわけですが、なぜ今を生きているのかわかんなくなってきました。
勉強は難しくて意味がわからないし、大学のことも考えてはいるけど、全く将来の自分が想像できません。
今まではある程度想像してたようになってきましたが、先が見えない状態です。
どうせ死ぬのになぜ勉強しなくてはいけないのでしょうか?
なぜ人は生きているのでしょうか?
私にはわかりません。
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この回答へのお礼

ありがとう

人それぞれで幼い頃から夢を持ち、その実現に向けて努力する人も稀にいます。
ですが大半の人は確かな目標も持たずに進学し、否が応でも社会へ出て行くのです。
就職先に夢や希望を持って入社しても、現実と理想のギャップは激しく息の詰まる様な日々に耐えていくのです。
『変身』という小説で著名なチェコの作家カフカの言葉に
☆人生は脇道に逸れてばかり、本当はどの道に進みたかったのかを振り返る事さえ許されない。
多くの人は確固たる目標も無く、ただ漠然と描く将来という吊り橋の先を自信無げに歩いているのです。
>なぜ人は生きているのでしょうか?
その答えのヒントになる本を紹介しますので、是非読んで下さい。
マーカスチャウン著『僕らは星のかけら』
貴方様には十分すぎる時間が与えられています。
その時間の使い方は貴方様次第です。
きっと人生という道を歩いていれば、いつか幸福感を味合う日が訪れる日が来ることを信じて、生きましょう。
勉強の真の目的は学歴を得るためでは無く、知識を得たり脳のトレーニングなのですから、意味の無いと思われる勉強も結果を気にせずに無心にやって下さい。
最後に一つ
貴方様が人生を語るには、まだ早過ぎます。
『今はまだ人生を語らず』
吉田拓郎さんの歌です。
youtubeで聴いてみて下さい。
ではお元気で…

お礼日時:2017/04/30 14:27

感想


意味がわからない
オナニーと一緒かな?
人に見られて恥ずかしくない?
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この回答へのお礼

ありがとう

貴方様の回答文ほど恥ずかしくは有りません。

お礼日時:2017/04/30 14:30

人でいられるうちは人でいればいいです。

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この回答へのお礼

ありがとう

真理ですね。

お礼日時:2017/04/30 14:31

「いつか死が訪れる日まで、淡々と月日は流れて行く」


⇒その通りです。

でも
「10年前・20年前を振り返ってみると、悲しいほど劣化している今の自分を知る」
⇒その通りなのですが、悲しいことではありません。
何故なら、それは生まれた時に分っていることなのです。
社会勉強してないために自分が分らなかっただけです。

「頑張れば報われるなどという迷信は今更通用しない」
⇒その通りです。最初から通用するはずはありません。

「楽しい事も辛い事も悲しい事も、全て人生という夢の中の出来事なのだ」
⇒夢ではありません。現実です。

「人生に意義も意味も初めから存在はしてない」
⇒そうではありません。
いろんなことがあっての人生なのです。
そして、それでいいのです。
人類はその繰り返しです。
そして、それでいいのです。

「人生100年なんて、有って無い様なもんだね」
⇒まあ、振り返れば短いでしょうね。

そもそも子供の頃、若い頃にもつ夢は、最初から実現しないものです。
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この回答へのお礼

ありがとう

痛感しています。

お礼日時:2017/04/30 14:32

>10年前・20年前を振り返ってみると、悲しいほど劣化している今の自分を知る。



肉体的に劣化したスペックの代わりに、得たものはないんですか?
きちんと生きていれば、何か一つくらいはあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

良い人間・普通の人間・悪い人間の存在を知りました。
保育園児や幼稚園児の無垢な集団を見る度に、この子たちの中から将来大人物になる子もいるかも知れないけど、犯罪者になる子もいるんだろうなと思うと複雑な心境になります。

お礼日時:2017/04/30 14:41

感じ方は、人それぞれでしょうが、


私は、漠然と、全く逆の考えを持っています。

人は、「死ぬために生まれてきた。」のだから、
「死ぬことが完成形である。」と言った感覚です。

「10年前・20年前を振り返ってみると、悲しいほど劣化している」
 ↑
劣化しているのではなく、不要なことを捨て去り、昇華しているのでは?

「夢中になって勉強している自分」「夢中になって働いている自分」
「夢中になって遊んでいる自分」
 ↑
その結果が今の自分であれば、その経験、実績は、血となり、肉となって、
不要なものを捨て去り、完成形に向かう準備の一環となっているのでは?

地球の寿命や、太陽の寿命を考えたところで、
そんなもの自分の寿命と関係ありませんよね。

人間なんて、地球上に散らばるアメーバーのようなもののように
思います。

一生懸命生きて、やがて、代謝を繰り返す。
たったそれだけです。

それでも、不幸にして思考力を持っているので、何か次の世代に
残せればいい、そう思っています。

どうせ死ぬなら、「不満たらたら」で死ぬより、「そんなもんだ」と
納得して死にたい。
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この回答へのお礼

ありがとう

やり直しのきかない人生にやるせなさを感じています。
>死ぬ事が完成形
それは大前提として、人生を悔いなく全うされた方に当てはまる言葉かと思いますが…
人生は春夏秋冬の様です。
叶う事なら桜を見て死ねればと思います。
まだ現役なんですけど…

お礼日時:2017/04/30 16:23

「淡々と流れる」中にも、生まれて肉体に


目覚めた(自己中心的な)自我が、経験と
学習、探求と思索の中で、社会生命的自覚
による自我の拡張、さらに経験=自我仮説
(時間軸=記憶=過去)と空間仮説(空間軸=
予測=未来)の相補分化の把握による宇宙の
自覚化に至って、その、自己の肉体を超え
た意志(愛)によって、「人生100年」の有限
の枷から解放される。
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この回答へのお礼

ありがとう

枷からの解放は意識の消失、すなわち死でしょうね。

お礼日時:2017/04/30 16:27

自分の人生がどんなものであっても死ねば無に埋没するだけ。


それがどれほど影響を及ぼしたものであっても
無限の時間の中に埋没するだけ。
全くその通りです。

そう考えると刹那主義でいいのかもしれませんね。
ただしその刹那をいかに幸福に過ごすかということにはなると思います。
人間にすぎない生き物として
人間性否定を良しとしてしまうとひんしゅくを買って
刹那を幸福に過ごす妨げの要素になってしまいます。
それで争ってたとえ勝ったとしても
本来人間が発揮できる可能性を発揮できた人生とは言えない人生になってしまうのだろうと思います。

人として限界のある身なりに
最低限のラインを外さないようにはしながら
避けて通ることができない大きな流れの中で
個性を発揮できた人生になっていたらそれでいいんでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう

ご高説ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/01 17:36

19世紀的な雰囲気ですね。

ショーペンハウエル?
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この回答へのお礼

ありがとう

いえいえ皆様に看破されてる私ですから、ハウエル様のご登場には及びません。

お礼日時:2017/04/30 17:26

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