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自国で十年以上、日本人のお客様に通訳案内をさせていただいている中、日本人らしい心理といえる物に気がついて、その原因と解析方法を巡って質問いたします。

 何も口に出さないで済む、或は口に出すに値しないとして済む殆どの他の民族の人と違って日本人は、その瞬間その瞬間、「うまい!」「おいしい!」「すっぱい!」「寒い!」「ぱさぱさしている」「疲れた!」「お腹いっぱい!」など(独り言)を発話する場面が多く、通訳者の自分がそれらを一つ一つ丁寧に訳せば、異民族の会食相手の目で日本人が変に見えるし、文化の特徴を踏まえてそれらを省略すれば自分が何かを隠蔽している或いは単純に下手な通訳者に見える立場におかれてしまいます。

 次はネット上、特にツイッターなどにおいて、その瞬間、目の当たりにした現象、番組の一場面、受けた刺激から反射的に発生した感想(「眠い!」「国境を通過なう」「〇〇国の選手、足が綺麗!」「これ美味しそう!」「終電に間に合わなかった。どうしよう…。」)をそれぞれ隈なく即時に発言・投稿・記載するという傾向が頻繁に見られます。コミュニケーション文化で日本人らしい心理に起因した内発的で瞬間的な表現の義務感のような内在メカニズムか何か分かりませんが、その他の民族の人には、日本人ほど頻発ではなくて、「相槌」という現象の表現も比べ物にならないぐらい稀であり、「相槌」が見られるとしても日本人ほど顕著ではないのです。この日本人らしいコミュニケーション心理が気になります。

 なお、もしこういった日本人固有の現象を扱った研究者とおすすめの書籍・論文などをご存知でしたら、ご教示ください。

A 回答 (6件)

そのような「現象」そのものを扱った研究は知りませんが、日本の文化研究についてはいくつかご提示できると思います。



・井沢 元彦氏の日本文化を焦点にしたもの
『言霊』全2巻
『「言霊の国」解体新書』
『「言霊の国」の掟 日本社会のここがおかしい。』
『神道からみたこの国の心 日本人の「内なる原理」を明かす』

日本人には言霊信仰があります。これはまちがいありません。言霊というのは「言ったことが現実になる」という考えで、飛行機に乗る人に「落ちたら最悪だね」と声をかけるのは失礼とされています。逆を言えば、自分の気持ちやその時の気分を口に出すことで、日本人は「食事を楽しむ」「旅行を楽しんでいる」ということを『言挙げ』し、理想的な現実を作りだしているのかもしれません。いずれにしても無意識だと思いますが、文化的な要素としては、質問者様の問いにもっとも関連している内容があると思います。

・猪瀬直樹氏のミカドシリーズ
『天皇の影法師』
『ミカドの肖像』
『ミカドの国の記号論』
『日本国の研究』
『続・日本国の研究』

日本人の「相槌」「うなずき」は文化的に特殊だという話は聞いたことがあります。youtubeなどでも「日本で生活していたら相槌を打つようになり、祖国の父と電話で話したら『何でお前はウン・ウン言って、私の話を遮るんだ!』と怒られた」というようなエピソードも散見されます。

この文化は「相手に共鳴する。相手の心証や価値観に同意を表す」というところから来ているのだと私は考えます。外国では必ずしも「相手の価値観に同意する」必要はなく、同意しなくても「付き合い上の摩擦」にはならないのですが(だからはっきりNOを言いなさい、と言われます)日本人は「相手の価値観に同意しないと、摩擦が起きてよくない」と考えているところがあります。だから外国では「日本人は主張すべき時に主張しない」とも言われます。

主張しない、相手に同意するという日本人の文化特性がどのように形成されたのかについて、ヒントがあると思う本が上記になります。

・司馬遼太郎
『手掘り日本史』
『この国のかたち』全6巻
『日本人と日本文化 』ドナルド・キーン氏との対談
『国家・宗教・日本人』

司馬史観と言われるように、司馬氏の日本文化への視点・切り口は偏っている、と考える人もいます。しかし、全体を通じて司馬氏には「日本史を通じて日本人を理解したい」という欲求が垣間見えます。
取り上げた著書はエッセイや対談集などで、歴史小説などは除いていますが、できればいくつか実際の歴史に即した小説もいくつかお読みいただけると、エッセイで書いてあることの理解が進むと思います。

個人的には大村益次郎を書いた『花神』・高田屋嘉兵衛を書いた『菜の花の沖』をお勧めします。
大村益次郎は維新期の人物ですが、およそ日本人的な「共感性」が皆無な人物、高田屋嘉兵衛も独特な人物ですが、だからこそロシアでも生き延びたといえるでしょう。「外国人的な(日本人離れした)価値観の持ち主と日本社会との摩擦」が見える小説だと思います。

・山本七平
『「空気」の研究』
『日本人とは何か。神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』
『日本人とアメリカ人』
「イザヤ・ベンダサン名の著作物」

日本人文化論としては、戦後もっとも優秀な方であると私は考えています。他にもたくさん著書がありますが、手に取られるならPHP研究所(文庫)のものをお勧めします。

イザヤ・ベンダサン名の著作物、は山本七平氏と数人の西洋人(一人はユダヤ人)が共著というか、西洋人的な日本人批評を山本氏が整理し書籍にしたものです。西洋的な価値観から日本人を見た著作ですので、質問者様には有意であるかもしれません。

・個人的な独自視点

私は質問者様と逆に、日本人として外国での生活経験があります。確かに日本人は独特なところがあります。(他国民もそれぞれ独特ではありますけどね)

日本人の気風・考え方・行動原理は、まずなによりも「ほとんど外国とのかかわりを持たずに歴史や文化を構築した」というところに発すると考えています。

また日本のヒエラルキーは日本国が建国されて以来ほとんど変わっていない、ともいえます。日本人が「お上」を信じるのは「日本政府は変革はあったものの、基本的に崩れたことが無い」からで、諸外国政府のように「日本政府が倒壊し、別の国家になる」という意識が日本人にないのです。

この日本人の意識の連続性は、日本社会に大きな影響を与えていると考えます。特に重要なのは「社会構造を壊さないように、自分が置かれている立場を意識し、求められている行動を行うこと」と教育され刷り込まれていくことです。

 東日本大震災などで諸外国から「日本人はパニックにならない」と称賛されましたが、これは「日本人は社会に求められる行動をすることが重要」と教えられているからでもあります。
 同様に太平洋戦争の「神風」も「日本人として、兵士として求められている行動は何か」と考えた結果であり、それが死の恐怖を克服できるほど強い「日本人的衝動であり、文化的価値観である」という証左でもあると思います。もっとも、確実な死、を前にして個人として悩む姿は彼らの手記から浮き彫りになってもいて、日本人であることと個人であることの狭間で苦しんでいた姿を感じます。

この日本人的な行動原理(価値観)は、ご質問の回答への本質につながっていると私は考えます。諸外国では「自分が発した価値観を他人が必ず理解するとは考えない」ところが社会生活の原点でもありますが、日本では「誰かが発した価値観は共感すべきで、特に一緒に行動しているなら共感し分かち合うことが社会性の第一歩」というのが「日本人に求められる行動様式」であるといえるでしょう。

これを証明するのに面白い実験がありました。
ある女子大で参加者はすべて女子大生、それぞれの趣味を紹介する実験で、最初は「この○○は、私はカワイイとおもっているのでスキなんです。」とほとんどの人が説明し、それを聞いた人たちも「うん、確かにカワイイ」と同意していたのですが、次に同じものを説明するときに「カワイイ」を禁止したら、だれもなにも説明できなくなった、というものでした。

質問者様は書いておられませんが、日本人女性、特に若ければ若いほど、瞬間瞬間に口から出る言葉は「カワイイ」のはずです。若者(特に女性)が集まるお店で観察してみれば、若い女性たちの会話の8割までは「カワイイ」で占められていることが理解できると思います。

彼女たちが発する言葉は、「自分が何を思っているのか」「自分の存在はここに有っていいのか」「日本人として周囲の人に受け入れられているのか」を確認するためのものであり、ご質問されている内容の本質(なぜ瞬間瞬間に言葉を発するのか)だと私は考えます。

年齢を加えていくにしたがって語彙は増えるので、その時にふさわしい言葉を選べるようになりますが(もしならないとバカにされますね)、若い人は経験も語彙も少ないので、特に女性は「かわいい」を連発することで、共感性・連帯性・自分の社会的存在価値を肯定しているといえるでしょう。
では、若い男性はどうかというと「すげーー」「これすげーー」あたりが「カワイイ」に匹敵する言葉だといえるでしょうか。
年齢を重ねて、語彙が増えても「共感性を求め、それを確認する作業」はやめられないのが日本人なのだといえるでしょう。

もう少し深く突っ込んでいくと、この言葉をうまく発せられない、または自分の価値観が人とずれている、と感じていると「引きこもり」になっていきます。社会に出て共感性を得られないのですから、公共の場所に出るのが怖くなるわけです。
でも、彼らにも共通点があります。オタク的な趣味の場なら「共感性」を大いに得られ「自己肯定感」を満足させられるからです。 
 日本に引きこもりが多いのは、一歩外にでると共感性を強要され、それがずれていると子供社会なら「イジメ」、大人社会なら無視につながっていくからだと私は考えています。
(アメリカの映画を見ると「子供の頃から友達が一人もいないマッドサイエンティスト、が良く出てきますが、日本ではそういう人はあり得ないんですね。引きこもってしまいますから。
 逆に、ダメダメで見下している友達でも共感性を得られれば仲間と一緒に窮地を切り抜けることができます。ドラえもんの映画ではのび太はヒーローで、あれだけ普段イジメている側のジャイアンやスネ夫が一緒になって戦うのは、のび太の価値観に共感しているからでしょう。実に日本的なストーリー構成だと思います)

というような、ことを研究するのに、利用したのが上記の著作です。更に深く追及するなら、ルース・ベネディクト「菊と刀」とか新渡戸稲造「武士道」などもお勧めですが、とりあえず上記の本が軽くて分かりやすいと思います。
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> もしこういった日本人固有の現象を扱った研究者とおすすめの書籍・論文などをご存知でしたら、ご教示ください。



webで、「相づち 実態調査」で検索するといくつかの論文が出てきますし、その論文中に先行研究や研究者の名前も出てきます。
多くの研究者は、日本人の会話では相づちが、他の言語圏で育った人同士の会話よりも好発すると言っています。 また他の言語圏で育った人でも日本語の学習が進むと相づちが増加する傾向があると言っています。

ですが、私は、それは現状の日本文化の特徴になっているのに過ぎないのではないかと思います。 相づちの多いヒトは品がない、たしなみがないと思われていた時代や社会はあったし、そうした文化のときには、人の話は黙って聞くのが礼儀だろう、いちいち頷いたり表情を変えるな、相づちを打つ人は軽く見え重みや思考力がない軽輩にしかみえない、相づちを多く返されると「こいつは人の話を理解しようとはしてないのじゃないか」と疑問を感じてしまうということも多いです。 昔の漫才では、相方がのべつ幕なしに相づちをうちというのがありましたが、それも、相づちを打つことが「阿呆」の特徴という認識が社会全体にあったからの芸の構成工夫だったと思います。

なお、日本語は通常述語が文章表現の終末にきます。話し手としては、話し始めてから、途中で、展開をいくらでも変更可能であるというのが、他の言語よりも強いです。接続詞や接続句を駆使するまでもなく、短文でも好きに自在に意味内容を変えられるということです。 そうした言語を使い慣れてくると、発話の前に発言内容を決定することなく、発話をしながら、状況・相手の反応状態をみて、適当な話にしてしまうという技量も身についてしまいます。 そのような習慣というか技量を付けた日本語話者が、解説や情報伝達、指示、報告という明確で内容の確定させたことを話すのではなく、《状況に応じ、相手の反応に応じ、適宜内容や話し方を変えたい》という欲望を持っていたり、会話コミュニケーションそのもののやりとりで親和や臣従上下仲間であることの確認をしたいと思っている場合、《常時双方向》の信号伝達は必須のものになります。 そのような願望を持っている発話者にとっては、聞き手はオーディエンス・受信者・聴取者・内心で理解判定する者では困るのです。 そのような願望を持っている発話者にとっては、「相手は常時即応反応する機能を動かしている」ことが大事です。
日本は高度成長期とは様相が変わって達成目標が失われたような状態です。 相対的に、内々や今会っている人物とうまくやること、不安や恐怖の対象ではないことを確認すること、敵意や害意もなく対抗的な志向を持つ者ではないことの重要性が高まっています。
そうした社会情勢では、志向や伝達すべき内容が明確なメッセージを発することが減って、内容的にはどうでもいいような会話やコミュニケーションを通じて相手と通じ合う関係があることを確認し合えればそれが一番良いというのがますます強くなっていきます。

目の当たりにした現象、番組の一場面、受けた刺激から反射的に発生した感想(「眠い!」「国境を通過なう」「〇〇国の選手、足が綺麗!」「これ美味しそう!」「すてき!」「終電に間に合わなかった。どうしよう…」「北朝鮮、ミサイル怖い」「台風来るか」「精神障害者の事件が」「LGBTの、、」「若者の貧困、、」「9月場所の休場が、、」)をそれぞれ隈なく即時に発言・投稿・記載するという傾向が頻繁に見られるのは、とにかく【なんとかつながっている・同じような感情を通じ合わせることができる】ということを確認し合うことが主たるねらいになってしまっているからです。
感情的同調でとりあえずつながりたいという気分は現在の世界では急速に高まっています。 米国でも、北朝鮮でも、フランスでも、英国でも、ミャンマーやフィリピンでも、ポピュリストや保守強硬が強い動きを見せているところはそうですし、ユーチューバーやツイーターが流行るのも、みな同じです。

たまたま日本語は構造上、この動きに乗るのに都合のよい仕組みになっているだけです。
感嘆詞、間投詞、名詞をただ放り投げるのと、日本語文の話し始め部分が,ほぼおなじなのです。   
「話し始めたのに、相づちが返ってこないと、発話者が困惑してしまうだろう」という推定をするので、頻繁にうなづいたり、そう・ウンと相づちを打ったりしているだけです。
相づちを打つ側だけの問題ではなく、発話側の事情が相づちを増やしているのです。

> その他の民族の人には、日本人ほど頻発ではなくて、「相槌」という現象の表現も比べ物にならないぐらい稀であり、「相槌」が見られるとしても日本人ほど顕著ではないのです。

そうかなぁ。比べものにならないくらい違うという観察それ自体にも問題があると思います。 日本人でも、年代によって社会階層によって会話者の関係や状況によって相当に大きな違いがあります。 昔、「外国人は身振りが大げさで」という比較論もありました。外国人って誰よ、大げさなとい内容や頻度やタイミングは調べたの、相づちのスタイルの違いということはナイの、
日本語の文で述語は最後におかれるけれども、発話の途中、場合によっては発話開始の一語目でどのような文になる可能性が高いかの予測は可能です。 そうすると、発話者の話をそのままに聞くか、流れを変えるか、遅くするか、速くするか、発話内容に含まれる前提条件や仮定条件の追加や変更を求めるかを、発話開始の一語目の直後や発話の途中でも送り込むことが可能です。 逆に発話者側に立つと、聞き手側からそうした反応を早く出してもらえれば、発話内容や構成などに気を遣わずに、適当に発話して、流れを利用すればよいということなので、相づちや表情、仕草の反応を即時に出して欲しいという希望もでてきます。 特に伝えたい,伝え理解させたい、理解させなければマズイという事情でもなければ、発話の途中で反応してもらい、自分もそれに反応して、という反応の連続で終始してもいいということはあるのだと思います。

> 日本人など(独り言)を発話する場面が多く、通訳者の自分がそれらを一つ一つ丁寧に訳せば、異民族の会食相手の目で日本人が変に見えるし、文化の特徴を踏まえてそれらを省略すれば自分が何かを隠蔽している或いは単純に下手な通訳者に見える立場におかれてしまいます。

文章として意味のあることを相手に伝えようとして独り言や相づちを打っているのではないのだと思います。 グレート、ナイス、マイゴット、オー、アァ、デリシャス、クレージーだって、意味を翻訳しようとしたら大変なことになります。 何語に訳すのか知りませんが、相づちなのですから、その言語圏で意味なく相づちとして使われているもっとも軽いやつを適当に使えばいいのではいですか。 一対一の対応は無用と思います。
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「この日本人らしいコミュニケーション心理が気になります」


⇒私は、欧米、インドの知人がいますが、彼らは”デリシャス!”と連発しますよ。

なので、ラトビア人さんが少し違うと思いますが。
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テレビ番組の影響もありそうです。



例えば、NHKの「あさイチ」という情報番組の料理コーナー。

「あさイチ スコットランド特集  スコットランドの魚料理」

(見ていただきたいのは、11分20秒~の場面)

一口食べた出演者が、即座に、「玉子やわらかい」、「めっちゃくっちゃうまいですね」などと言っています。

番組の出演者が、何か出されたものに間髪を容れずに反応するのは料理に限りません。

子猫や小犬が紹介されると、「かわいい!」。
新しい商品の機能が紹介されると、「すごい!」。

テレビの番組作りに詳しい人によると、出演者は即座に反応することを求められているそうです(そうしないと番組が停滞?するとか)。


以上はご質問を拝見した素人が思いついたことです。書籍や論文については知りません。
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私見です。


1つは文化風習の違い。美味しいとか酸っぱいとか、その時のに言うのは、周りの人に意志を伝えたいサービス精神みたいなものではないでしょうか?SNSのつまらない投稿は自己顕示欲もあるのでしょう。ひっくるめて自分の意思表示、表現発信をしたいという特性ではないですか?いって来ます!とか、お帰り!なんて英語ないもんね。
2つ目。
日本は島国で、単一民族。「母さん、あれ!」と言えば、新聞を持って来てくれるなんて、他の国ではあり得ません。長いこと同じ環境にいる人ばかりでいるから成り立つ会話。短い言葉で伝わる文化風習があるのです。
これからは変わるんでしょうね!
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外国の方からみた日本語コミュニケーションの感想?!興味深いです。


日本人て会話の中で何か言うことでみんなで考えよう!っていう本能があるのかも。
返事になってなくてすいません。でも面白い質問でたのしいです
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