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「観自在菩薩が深般若波羅蜜多を行ずる時、五蘊は皆空であると照見して、一切の苦厄を度したまう。」とありますが、「五蘊がすべて空である」とわかると、どうして、一切の苦厄から解放されるのでしょうか?

私などは、「五蘊がすべて空である」とわかっても、「だから何なの?」と思うだけで、「五蘊がすべて空である」と思うことが、一切の苦厄から解放されることに繋がりません。

敢えて、私なりに理屈をつけるとすると、「五蘊はすべて空である」⇒「だから、物事に執着すべきではない」⇒「物事に執着しない」⇒「苦しみから解放される」という論理構造かなと思うのですが、はたしてこれで正しのか、よくわかりません。

「五蘊がすべて空であるとわかると一切の苦厄から解放される」という、その論理というか、機序というか、理屈はどうなっているのでしょうか?

どなたか、お詳しい方、ご教示かた、よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (2件)

五蘊とは色、受、想、行、識であって、人間の精神作用の


ことです。仏教では諸法無我といって、すべてに実態がないと
説いています。
空も同じような意味で、人間の精神に実体がないとうこと。
精神はイメージであって、自分が作り出した幻に過ぎない。

ですから、心が感じている苦しみも自分が作り出して
自分が勝手に感じているに過ぎない。自分で自分の首を
締めているようなもので、手をゆるめればすむことです。
この真実を悟れば、苦しみから解放されるということです
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この回答へのお礼

なるほど。
参考になりました。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2017/11/17 11:27

仏教は究極の認識論なので、心の持ち様次第では、五蘊皆空だといっています。


心の持ち様をコントロールできる様にするのが修行です。
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この回答へのお礼

せっかくですが、私の質問への回答には、なっていないと思います。
失礼いたしました。

お礼日時:2017/11/20 11:07

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