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怒りで大声を出したり、物を壊したり、場合によっては暴力があったり。
そんな怒る人が「自分は普段こんなに怒らない。ここまで怒らせるお前が悪い」と怒りの起点は相手にあると主張した場合、皆さんはどう考えますか?
怒りの起点は本人にあるのか、相手にあるのか、それとも喧嘩両成敗なのか。
皆さんの意見をお聞かせください。

【注意】
このお題は教えて!gooウォッチ編集部から出題された記事と連動するアンケートとなります。
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なおベストアンサーの選出はない点をご理解いただき、回答をいただけますと幸いです。
皆様のご理解と回答に心から感謝いたします。

A 回答 (18件中1~10件)

自分の心の安定を崩されたとき、それを立て直そうとするのが


怒りという感情です。
腹を立てるのは抑えられないでしょうが、それによって暴言や暴力などの
過激な反応を抑えられなくては社会の一員とは言えないでしょう
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「ここまで怒らせるお前が悪い」って


DV加害者の常套句ですよ
DV加害者は、常に
「自分は悪くない」と自分を正当化しているのです


「怒り」という感情は自分の中にあり
それの「起点」なり「きっかけ」なりが、自分以外の誰かにあるとしても
その感情をどうするかは
もう自分にしかできないことですよね

その後、その感情をどうするかは
自分の責任なんじゃないかな…
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怒りの発端はお前の頭のおかしさにある。

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怒りは本人と相手ががいないと成り立たないというのは当たり前ですね。


ただ自己承認欲の強さ(わがままさ)と怒り方の度合いは比例しますよね。


休日のアルバイトでピザの配達員をやっていた時がありまして、大雪の影響でやむを得ず遅れてしまった時、

客「おぉぉい!客を何様だと思っているんだぁ?お前ん所の営業体制はおかしいんじゃねぇの?」

私「本当におかしいとおもいます。お客様が寒い中でお腹をすかせて温かいピザを楽しみに待っているのに、一時間も待たせるなんておかしい。」
客「本当にそうだよなあ!こっちは一時間も待ち続けたってのにさぁ!」
自分「うちの店の営業体制はおかしすぎます。もっと店員を増やすなりしないと、お客様に迷惑ですし・・・僕としても忙しすぎて勘弁してくれやって感じっすわ(笑)」
客「・・・・・お前、なかなか機転の利く奴だな(笑) それにしてもお前も大雪の中大変だな云々・・・・・」


「怒り」は「一方的な共感」でみるみる消えていくので面白かったです。
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・・・・・・・・・・・・・・02・・・・・・・・3・・・・・・・・・



NO1の回答はもう当たり前すぎて・・・・・・・

NO3の回答・・・・相変わらずふざけているんですね。。。。。。。。。。
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怒りは、不安や恐怖と同じように生物の進化で身を守るために発生してきた機構の一つですね。

自分自身や自分の仲間の安全が脅かされる状態が起こったと時、逃げてばかりいれば助かるというようにはこの世の中できていない。身を呈して立ち向かうことをしないと身を守れないこともしばしば起こります。子を育てている動物など、特に母親など、子供達の危機にたいして強弱大小お構い無しに相手に向かって行き子供を守ろうとします。そんな時になっても平和的に解決しようなんてしている母動物なんていやしない。自分の身を呈して暴力で向かっていきます。それが怒りですね。

安全保障が脅かされ始めたら、その不安を解消するために、相手にすりよるか、ひとまず逃げるかっていう行動を大抵の動物は採る。ここまでは、不安や恐怖が主な動機になっている。しかし、いつまでも衝突を避けていたら自分や自分仲間の身を滅ぼしてしまう時がある。そんな時は暴力的に相手に向かわなくてはならない。その状況で弱腰になって怯むようなことがないようにしてくれているのが、怒りですね。

だから、怒りの起点は、相手による安全保障の脅かしにあります。

危険な状態にはいろいろな程度がある。その程度によって、ひとまず逃げるか、あるいは、それに身を呈して立ち向かうかを判断するにはバランス感覚が必要だ。その辺をごちゃごちゃにして、暴力はいけない、何事も話し合いで解決しよう、なんて言っている連中は、生物の進化を全く無視した、だから、無知がなせる技なんでしょうね。
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文明が発達した社会では、怒りは、自分が直面した事象に対して考えてもどうにも解決することはできない苛立ちだと思います。


仏教の四苦八苦、「思い通りにならない」と似ています。

自分は他人より努力したけれども、満足な結果を得られなかった。
他人が言っていることが何か理解できない。
嫁に稼ぎが少ないと罵られる。
家柄や地方出身を馬鹿にされる。

人間は他の動物と違って知能が発達したことにより、自分が想像する未来がどれだけ優れているかで自己の満足度を高めることができるのではないかと思うのですが。
過去は変えることのできない怒りの源だけれども、未来は生きるための活力となるです。
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人は何かしらの価値観や思想を持っていて、それと反することを言われたりやられたりすると、自分の敵とみなして怒るのだと思います。

いわば防衛本能ですね。怒りの起点について言えば相手が怒らせる行動=自分の価値観とは反する行動をとったこと、でしょうね。しかし、怒ることの内在的な原因は怒っている人が他の人を認めてない、また自分の価値観以外は認められない人だからとも(状況によりますが)考えられます。双方悪いところはありますが、怒らないことはその人の考えかたで操作できることもあるでしょう。
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納得がいかなかったり、容認できない時に怒るんだと思います。


相手に対する反発です。
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人間の中には、社会の中で、平等でありたいという心と、自分だけ、特別に扱われたいという心が存在していて、一人でいるときにはいいんですが、他の人間と交わる時、または、様々な情報を受け入れたときに、葛藤が起こります。



特に、自分の社会的立場に、直接利害を及ぼす案件では、感情を揺さぶられることになります。優越感が満たされなかったり、劣等感が刺激されたとき、怒りの感情が湧いてくるのは、人間として、きわめて自然なことでしょう。しかし、その怒りを、そのまま相手にぶつけるのは、人間的に未熟な証拠であると言えます。

人間はすべからく平等である、という、欧州的な視点に立ってみれば、怒りの対象の人権を尊重できてこそ、成熟した一人前の人間、といえることになります。

怒りの起点は、あくまで、未熟な人間の心の内側の葛藤にあります。本来であれば、あほらしい人間世界の、あほらしい利害関係のすれ違いを、俯瞰して、人間喜劇として、笑い飛ばすことも可能なのです。

けれども、私たちは、いつまでたっても、俯瞰して眺めることができないまま、狭い料簡を持ち続け、メンツにこだわり続けて、怒りをお相手にぶつけます。

自分の権利が侵害された、と感情的になる時、それを、とにかく、言葉で表し、相手を説得できる能力を育て、暴力につながらないような、教育が必要なのでしょう。怒りの起点を対象に求めるのは、頭が悪いというものです。最低です。
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