街中で見かけて「グッときた人」の思い出

白川郷の合掌造りについてなのですが、あの地域だけ独特の形をしているのは豪雪地域ゆえの雪降ろし作業軽減の為の屋根の急勾配、雪の重さを縦に逃がすためのピン工法、風や地震の揺れを柔軟に逃がすための縄で縛っただけの屋根等 なぜあの工法なのか、その地域で暮らす為の先人たちの知恵が詰まっている事は調べてわかったのですか、どのようにして昔の人達はあの形にたどり着いたのでしょうか?

いきなり「屋根の勾配を60度にすれば雪下ろし楽じゃね?」「屋根の梁を尖らせれば雪の重さにも耐えられるじゃん!!」等といきなりあの形になったわけではなく、何か前進となるもの、ヒントを得たものがあると思うのですが調べても出てきません

どなたか白川郷についてまとめたサイトや書籍をご存知でしたら教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします

質問者からの補足コメント

  • すみません

    説明不足でした(汗)

    屋内産業で室内を広く取るために角度が深くなった事、大人数で生活する為にあの様な建物になったのは理解したつもりなのですが、何からヒントを得てあのような急勾配の屋根になったのでしょうか?

    いきなり『この地域は農業に適さないから蚕を育てよう!そうだ!室内を広く取るために屋根を急勾配にしよう!』とはならなかったと思います。

    白川郷、五箇山の地域だけ他の日本建築と少し違った進化をしてますし、縄だけで屋根を組む工法、合掌尻など先人達は何をヒントにあの様な造りに辿り着いたのでしょうか?

    ということが知りたくて…

    調べ方が悪いのか知りたいことがしれません

    知ってたら教えてください

    サイトや書籍でもかまいませんので(>人<)

      補足日時:2017/12/11 20:55

A 回答 (2件)

「合掌造り 木造」なんて検索すれば


結構でますけど・・・。
トラスに気が付いた時点がいつかは
判りませんが、恐らく雪下ろしよりも
NO1さんが言われる養蚕が主体の進化だと
思います。
    • good
    • 0

雪下ろしの容易さ以外に、何層もある屋根裏を使って養蚕をしていました。

養蚕の方が合掌造りの角度が深くなった理由としては大きいのでは。
また、大家族制で居住人数が多かったというのもあると思います。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!