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光子について質問します。どの解説を読んでも素人に分かるような書き方が見られません。質量はないと解説されていますが大きさや形があるのかないのかについては述べておりません。そもそも質量がないとはサイズがなく形もないと解釈してよいのでしょうか?粒子という言葉からは小さな粒で大きさや形があるものと思ってしまいます。サイズがないのなら1000兆個集めても大きさは0と解釈してしまいます。それでよいのでしょうか?光子は一個、2個と数えることが出来るものなのでしょうか?それとも物質ではなくて数を数えるという概念を持つことが間違いでしょうか?

A 回答 (7件)

光は粒子でしょうか、それとも波でしょうか。

それを考えるには、何故光は光速を超えて進まないのかがヒントになります。光が粒子であれば、更にエネルギーを加えると、幾らでも速く動きそうです。しかし、現実にはその様なことは起こりません。それは何故でしょうか。

 現在の物理学では、「超ひも理論」が最も有力視されています。そして、宇宙を次の様に想定します。
 宇宙開びゃくの瞬間、宇宙は非常にエネルギーの高い状態にあり、個々の「超ひも」は自由に空間を動き回っていました。しかし、宇宙のエネルギーが、100GeVになった時、「超ひも」は第三回目の相転移を起こしました。相転移とは、水蒸気が冷えて氷となる様な現象を言います。水蒸気として自由に動き回っていた水の分子は、冷えて相転移を起こし氷の分子として固定され、もはや自由には動き回ることが出来なくなります。

 ここからは、オリジナルです。
 ビッグバンの初期には、「超ひも」は光速を超えて自由に移動していました。しかし、宇宙のエネルギーの低下に伴い、宇宙は相転移を起こし、「超ひも」は固定され網状に繋がったと考えます。

 そして、その「超ひもの網」の上を、物質や光及び重力・電磁力・強い力・弱い力の4つの力は、振動として伝わると考えます。つまり、物質が移動して見える現象は、実は超ひもの物質としての振動が、次々と隣の超ひもに伝わる現象であると思います。そして、「超ひも」の振動自体が光速で伝わるので、何ものも光速以上で伝わることは出来ないのです。

 超ひも理論では、物質も光も一本の超ひもの振動として表現されます。超ひもの長さをプランク距離Lと言います。振動が超ひもの端から端まで伝わるのに要する時間をプランク時間Sと言います。超ひもの振動は光速Cで伝わります。従って、
 光速C=プランク距離L÷プランク時間S=L/S= 1.616199×10-35m÷5.39106×10-44秒=299,792.5m/秒となります。

 ここで注意したいのは、1本の超ひも上を光は光速で振動として伝わることです。そして、真空中も同じ光速で光は伝わります。これは単なる偶然でしょうか。
 真空中には、超ひもが繋がったものがあり、その上を光はそのまま光速で伝わっていると考える方が自然です。

 上記で述べた通り、幾ら光の質量が0でも、光が粒子なら、エネルギーを加えると更に幾らでも加速するはずです。なぜ、光の速度は299,792.5m/秒が限界なのか、そのヒントは1本の超ひも上を伝わる光の速度が光速であることにあると考えます。

 本来は、物質も光と同様に光速で「超ひもの網」上を伝わろうとします。しかし、「超ひもの網」である空間にはヒッグス場があり、物質がその中を移動すると、ヒッグス粒子が生じ物質にまとわり付き動き難さである質量を与えます。その為に、物質は光速未満でしか動くことが出来ないのです。

 私は、この理由により物質は光速未満でしか移動出来ないと考えます。相転移する前の宇宙は、超ひもが繋がっておらず、自由に飛び回っていたので、光は光速を超えて移動することが出来ました。インフレーション理論でも、宇宙開闢の一瞬あらゆるものは光速を越えた速度で飛び散ったと考えます。その後、宇宙は相転移し、超ひもが網状に繋がったので、光は光速で真空中を伝わる様になりました。

 この様に、光は「超ひもの網」上を伝わる波と考えます。詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://www.geocities.jp/labyrinth125064/hikarino …
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光子とは、量子のうちで振動数が可視光線の範囲のものの別名です。


量子とは、不確定性原理の実体化であり、その大きさはプランク定数
によって規定される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/プランク定数
それは「不確定性の実体化」ゆえに時間軸と空間軸に相補的に拡散する。
量子はエネルギーの最小単位であり、また時間と空間の最小単位でも
あり、時間や空間は不連続である。
また、相対性理論における4次元ミンコフスキー空間において、
時間軸は虚数であり、実数の空間軸との等距離点で相殺され、
0の面(界面原点)を生じる。
それが光子の描く軌跡=ライトコーンである。
つまり、時間軸=仮想的な自我仮説によって生じる時空的広がりに
対する、無の射影だと言える。

量子論において、存在的な有限性は認識される事で
派生している事が明らかとなっています。
つまり感じられているこの全宇宙は、自己の内にのみ
存するものなのです。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の
闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動
(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙
膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、
仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事
によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説
(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と環境仮説(予測
=空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。
「量子力学」の回答画像7
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この回答へのお礼

有難うございました。とても理解できません。勉強します。

お礼日時:2018/01/15 02:17

他に良いお答えがありますが、光子には形も大きさもありません。

便宜的に波動と考えるときには振幅を強度と解釈します。一つ二つと考えることも出来ます。例えば光化学では1molの反応に必要な光の強度を1molの光子と解釈します。実際そうやって光量を測る方法があります。
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私は大学の物理の教師でしたから、お答えできなければいけないのですが、全くの素人の方によく分かるように述べることが出来るかは自信がありません。

実験屋で、理論家ではなかったから、と言ってもいいわけにはならないでしょう。
そもそも、量子力学は素人には理解困難なところがある(旧来の考え方をする学者にも)のが、革命的である所以なのです。ほんの少し、述べてみましょう。これだけで分かっていただけるかどうかは非常に怪しいのですが。
「粒子という言葉から、小さな粒で、大きさや形があるもの」と思うのがいけません。そういう私たち日常世界の概念は通用しないと思ってください。陽子などの「大きい」とされている「粒子」は、質量が大きいから、「大きい」と言われているのです。そのサイズは、はっきりした境界を持っているのではなくて、それから発する力がどのくらい遠くまで及ぶか、ということで決まります。この場合の力は「核力」と呼ばれています。
一方、光子は質量はありませんが、波動としての塊として表現することは出来、この時にはそれがどのくらいの範囲に固まっているかで、そのサイズと表現してもいい「大きさ」を考えることが可能です。サイズを考える、つまり粒子としての性格も併せ持っているからこそ、「光子」と呼ばれているのです。もちろん、その数を数えることは出来ます。しかし、数を数えるということになると、ここで、「観測問題」という、極めて難解な話が出てきて、これはアインシュタインとボーアの間の論争の主要な種となったくらいですから、ここではとても解説できません。
我々の普通の世界での、粒になっているかとか、サイズ、つまり大きさはどのくらいかとか、そういう考えかたを捨ててください。
良い啓蒙書は沢山あります。ここで特定の書を挙げてはいけないのだろうと思いますが、有名な例では朝永先生の著書などは非常に良い手引きになります。
興味があったら、勉強してみてください。古典力学の既成概念に拘らないこと。それがとても重要です。
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この回答へのお礼

有難うございました。理解不能です。質問できるレベルでなくて恥ずかしい思いです。勉強します。

お礼日時:2018/01/15 02:16

量子力学に関しては「こうである」というより「こうであると考えると合理的に説明ができる」というもので成り立っているものが特に多いです。



これは量子力学に限ったことでなく、天動説から地動説へ科学の合意が移ったときもそうでした。
いわば科学の手法のひとつです。
自然科学は学問の中ではもっとも観測事実に根差した分野ですが、それでもそういうものを離れないと前進できないこともあります。
量子力学は観測技術の限界もあって特にその色合いが濃く、より神秘色を増しています。

>そもそも質量がないとはサイズがなく形もないと解釈してよいのでしょうか?
そういうことです。
物体が実際にあるというより「何らかの性質を持った点を考える、つまり仮想の点を考えると説明がうまくいく」、そういう点を仮想粒子と称します。

>1000兆個集めても大きさは0と解釈してしまいます。それでよいのでしょうか?
そういうことです。

>光子は一個、2個と数えることが出来るものなのでしょうか?
ビー玉のように数えることはできませんが、波長やエネルギー、発生源の状態などを考慮して、間接的に数値化することはできます。
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>光子について質問します。

どの解説を読んでも素人に分かるような書き方が見られません。

あたりまえです。量子力学は、高度な専門性を要する物理学の分野。今なお発展途上です。なんでも、自分の知っている世界で理解しようとする素人にわかるはずがありません。ブルーバックス等、なんちゃって科学で満足できないなら、きちんと手順を踏んで勉強するしかないのです。

>質量はないと解説されていますが大きさや形があるのかないのかについては述べておりません。そもそも質量がないとはサイズがなく形もないと解釈してよいのでしょうか?粒子という言葉からは小さな粒で大きさや形があるものと思ってしまいます。サイズがないのなら1000兆個集めても大きさは0と解釈してしまいます。それでよいのでしょうか?

素粒子の最先端モデル、標準モデルでは素粒子に大きさはありません。光子や、グルーオン、ウイークボソンのような、力を伝える素粒子だけでなく、電子など物質を作るフェルミオンにも大きさはないのです。しかし、実際には、大きさがないのではなく、大きさがないように扱っているってこですね。もう一歩高度な場の量子論で、相互作用の厳密な計算するとき、局所的な無限大が出て困るため、ノーベル賞学者朝永振一郎先生のくりこみを使います。これも、あるスケール以下の現象を実験値で置き換え、そのスケールにおける計算をしてしまおうという、一種の棚上げ理論ですが、それをもちいて、多くの素粒子現象は、厳密に計算可能になっています。

>光子は一個、2個と数えることが出来るものなのでしょうか?それとも物質ではなくて数を数えるという概念を持つことが間違いでしょうか?

光は、波と考えれば電磁波、粒と考えれば素粒子です。2面性があるのです。粒と考えれば、もちろん一個二個と数えられます。しかし、マクロな感覚で、米粒のようなものが存在するわけではないのです。光と同様電子にも波と粒の2面性がある。つまりこの世は、なぜかわからないけど場があり、その場がエネルギーで励起して波ののように伝搬する。相互作用がなければ、電子も粒のように見えるし、原子の中に入るとそれはもう粒なのか波なのかもわからない。存在と非存在のあいだを行き来する不思議なものなのです。

それを解明するのが量子論や場の量子論です。なお、標準モデルが棚上げした、素粒子の大きさを始めとする課題は、超弦理論などより高度な物理学の課題として引き継がれています。
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この回答へのお礼

有難うございました。とても理解できません。質問したことが恥ずかしくなりました。勉強します。

お礼日時:2018/01/15 02:14

量子力学は、まだまだ発展途上にあります。


だから、質問者さんの納得できる回答は、現時点ではないと思いますよ。
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