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タゴールは、「音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される」
と言いました。

1.そう思いますか?

2.ならば、音楽や芸術の何が、

3.人間の内面の何を洗練すると言っているのだと思いますか?

「教育としての音楽・芸術」の質問画像

A 回答 (24件中1~10件)

'1`肯定です。



2'人間の感性、心の豊かさだと思います。例えば音楽や美術を完全に切り捨てて、合理性だけで考えると 
アイヒマンのように冷酷になってしまう。心を豊かにすればそうはならない。
また、美術や音楽が堪能できるのは豊かな証拠でもあります 
軍国主義や狩猟社会ではこれらは発展しないし、貧困状態でもこれらを鑑賞したりする余裕はありません。

日本においては、武士がそうでした
彼らは武力階級にあったのでむやみに武力を振るわないため、心を落ち着けるため、俳句や和歌などを嗜んだと言われています
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この回答へのお礼

音楽・芸術の中にある、作者の感性・心の豊かさが、それを鑑賞する者に
伝わってゆくということですね?

お礼日時:2018/02/16 22:13

1.そう思いますか?


 ↑
思いません。
もしそうであるなら、音楽家、芸術家の心は
桁違いに洗練されているはずです。
しかし、実際は癖のある人が多いように
思われます。




2.ならば、音楽や芸術の何が、
人間の内面の何を洗練すると言っているのだと思いますか?
   ↑
情動神経に作用して、一時的に
心が癒やされるだけだと思います。

江戸時代の武士が、芸術などをたしなんだのは
平和のあまりに、官僚化、文人化しただけです。

戦闘のプロ、という自覚を失っただけです。
だから幕末、無様な敗北を喫したのです。
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この回答へのお礼

芸術と言ってもピンキリで、明らかに怪しいものもあります。
音楽だって小説だって絵画・彫刻だって、器用な人だったら誰でも作品は
作れますから。

一流のもの、ということだと思います。
「なんでも鑑定団」を見て分かるように、見抜くのは簡単ではないですが…

お礼日時:2018/02/16 22:21

つんくに対する嫌がらせなのだろう。

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アリストテレスの『詩学』にカタルシス論がありますが、それ以来様々に論ぜられています。

新しい全集の18巻か、文庫にもなっていますのでまずそこから入って行って美学・芸術論に進むともしかしたらわかるかもしれません。『詩学』は人類最初の、人間が悲劇を鑑賞したときに受け取る感情をカタルシスと呼び、そこから受け取る人間のこころを分析している書です。芸術を語るには、まず、この書物を読まないと始まりません。また、この書物を知らない人は芸術の何たるかを分かっていないと言わざるを得ない、と言われても仕方ありません。大学くらいに進むとまともな大学なら研究しています。
 余談ですが文庫版にはホラーティウスのこれも名著、『詩論』も収められています。写真はタゴールですか、初めて見ました。有難うございます。これも余談になりますが雑学で、隣に写っているアインシュタインは「人間の脳は三分の一しか使われていない」と言ったそうですが、現代の研究で、人間の脳はなんでも百パーセント使われているそうです。さらに言うとアリストテレスを読むとプラトンも読まざるを得なくなります。するとまたまた、ホメーロスが出てきます。芸術は奥が深いのです。プラトンの「詩人追放論」も教育論ですが誤解のないように読まれる事を願います。ここまで述べてきたことは教養学部段階で学べます。
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この回答へのお礼

ご紹介いただいた書物は、私はまだ読んでいません。

若いうちに様々な本を読むことは大変に有益なことかと思いますが、実生活の
中で「学び取る」ことも極めて重要であると思います。
これがなければ、物事の理解が、観念で終わってしまうかも知れないと思うか
らです。

ですから、両方があって、更に大人になって、もう一度学びなおすということが
理解を深めるポイントなのではないかと思っています。

お礼日時:2018/02/18 17:39

科学で探究心が養われる。


音楽や芸術に親しむことで感受性が養われる。
でも方向性を間違えると科学や化学は戦争の手段に使われる。
音楽や芸術は薬物に頼ることになる。
志があれば向上できるが、無ければ悪に染まる。
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この回答へのお礼

音楽や芸術の持つ何ものかが、人間の感受性を養う、と。

確かに、音楽・芸術とドラッグは距離が近いイメージはありますね。

お礼日時:2018/02/18 17:43

そうだと思いますねえ



音楽のリズムやハーモニーや面白さが芸術のように

人間の心の成長とか明るさ・悲しみ。旋律の規則性、秩序性とか構成が人の心が覚えるんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

音楽で言えば、「リズム」「メロディー」「ハーモニー」などが、
人間の心の中の何ものかと「共鳴」するということでしょうか?

お礼日時:2018/02/18 17:48

1.そう思いますか?


⇒そう思います。

2.ならば、音楽や芸術の何が、
⇒音楽や芸術の感動がです。

3.人間の内面の何を洗練すると言っているのだと思いますか?
⇒音楽や芸術の感動を論理的には説明できないでしょうね。

穏やかさが副交感神経を通して、免疫力を高める構造と同じだと思います。
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この回答へのお礼

音楽・芸術の持つ何ものかが、人間に「感動」を呼び起こし、
それが、人間の内面に作用してゆく、と。

確かに、こういったことを論理立てて説明するには、もっと明確な言葉が
いくつも作り出されなければ無理なのだろうとは思います。

お礼日時:2018/02/18 17:56

まず命題の解釈から始めます。


・「洗練」とは野蛮人が文明化することを言うことが多いようです。
・タゴールの頃、野蛮なインド人は、野蛮なインド文化で洗練されることは不可能で、英語圏の文化で洗練されなければならないという考え方があったようです。タゴールはこれに反対しました。
・タゴールは、インドの文化を英語圏に紹介することで、インドの文化も英語圏に劣っていないことを示しました。
・彼は、音楽や芸術なら、どんなものでも、洗練の作用があると言いたかったのではないでしょうか。

これに対して私がどう思うかを答えます。
・洗練されると思います。
・理由は、音楽や芸術に親しむことで、人間について深く理解するきっかけがもたらされるからです。
・つまり、人間の感情の機微や、日頃の問題などを、よりよく考える機会がもたらされます。
・これによって自分の限界を理解し、同時に、他人に対する気遣いができるのではないか。
・また自分の生き方を確固としたものと見定め、取捨選択ができるようになるのではないか。
・このような「自立した」人間を、私は洗練された人だと考えています。

もっとも全ては「洗練」の定義にかかっています。映画『マイ・フェアレディ』のように、英皇室のような発音で話すことが洗練であると定義するのなら、インド文化は役に立たないでしょう。

しかしここまで排他的ではありませんが、私自身は、正直なところ、サブカルチャーは苦手です。洗練されたもの同士がいたとして、お互いに尊重し合うことはあっても、深く理解し合えないこともあるとは、感じています。ラッパー、DJ、ゲーム音楽、アニメ音楽などの洗練は、正直、どこまでいっても、わからないと思っています。そういうカルチャーに親しんでいる人から、何かの気遣いをしてもらっても、私には理解できない気遣いとも感じます(気遣ってもらっていることは気がつくが、居心地が逆に悪くなる感じがします)。相手も同様のようです。私の気遣いについて「どう対応していいかわからない」という顔をしています。

洗練とは普遍的に共感を得られるものかどうか。同じ方向を向いているものかどうか。
こういう問題が新たに導かれるように思います。
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この回答へのお礼

なるほど。

>このような「自立した」人間を、私は洗練された人だと考えています

この定義はかなり賛成です。
一つ私なりの言葉を付け加えさせていただければ、「どんな立場に人に
も平等に価値をもたらそうとすること」と。

>人間について深く理解するきっかけがもたらされる

文学などではかなり直接的に表現は可能でしょうが、音楽や絵画などでは
間接的にではあっても、所詮は思想・哲学の表現である、ということでし
ょうか?

いわゆるサブカルチャーについては、私も実はほとんどのものが超低俗で
取るに足らないものであると考えています。
しかし、日本のアニメが世界的に評価されているのは、手塚治虫という人
物の影響であると思います。
アニメにもゲームにも高い思想性・哲学性を感じることが私にはあります。

むしろ、メインカルチャーと言われる分野において、権威性とか金銭的価
値に流される部分などは、私にとって苦手なものとなります。

お礼日時:2018/02/18 18:31

「洗練」と称すると、何か研ぎ澄まされるとか、純化されるようなイメージになります。


ダコールの発言の真意はわかりませんが、残念ながら私は、そこまで到達は出来ていません。
ただし、音楽や芸術には、人間の感性を豊かにする作用はあると思います。
ダコールほどになると、その豊かになったものを「洗練」出来るんでしょうね。
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この回答へのお礼

そうですね、「芸術による人間内面の洗練」などと言うと、とても
高尚で、凡人には理解できないようなイメージが生まれるのかも知
れませんが、私には次のような言葉を言える人格になること、では
ないかと思っています。

ご存じでしょうが…

「人間は空間と時間との領域の中に住むほかに、もう一つの住居を
持つ。自分の内面の王国の中に」

「人間の歴史は忍耐強く待っている。侮辱された人間が勝利するのを」

「愛が負けるなどということは事実としても、真理と認めるわけには
いかない」

お礼日時:2018/02/18 18:47

1. 表現の問題として 芸術について考えます。



2. ひとの思いや振る舞い そのおこないのすべては 自己表現です。

2. まだその中身が何であるかが分からない場合にも 己れの内から
あはっ!とか おおっ!とかの声を表出したり または踊りだすなど体
の動きをも起こします。

3. この何らかの自己表出の起こるのを受けてひとは その意味を確
かめ 他人にも分かるようにおのれというものを表わすのが 自己表現
です。

4. 自己表現は 一般にこの世界にあって感覚としてや思いや考えと
して 経験的なものごとに対応するかたちで――さらには その内容を
なお合理的に整理して――相手と共有することが出来るようにおこなう。




5. それは 基本としてことばを用いて行なうことになる。経験合理
性――有るか無いか あるいは 原因と結果の関係などをめぐる人びと
に共通の物指し――にもとづき 思考と判断をととのえ 文(命題)と
して発表します。

6. この取り決めを重んじるかたちの自己表現に飽きたりそれを嫌が
ったりするときには 合理性の物指しも何ものぞと言って 想像力をた
くましくしいわゆる虚構の世界をもつくりあげます。




7. 合理性をやぶる想像の世界は それでも(つまり ウソであって
も)全体として現実性を表わし得ていると見られるなら 迎え入れられ
ます。

8. 言わば筋道をととのえる自己表現の世界に なおも初源の混沌と
した自己表出のウゴキが舞い戻って来たような恰好になります。

9. このウゴキを 言葉で虚構をつむぐ文学の行き方をも破って す
でに表現の手段をことばには限らずあらゆる感性にもうったえるものを
えらんで おこなうのが 芸術です。

10. あるいはつまり 基本として自己表現一般に属するとうったえ
るかたちで すでに表現の道具はいっさいの制約や禁忌からも自由にお
こなうのが 芸術です。



11. 芸術の創作やその鑑賞をとおしては まづ 人間の表現意欲が
合理性や常識〔としての取り決めによる規則や制約〕から解放されると
いう特性を――それが 嫌がられる場合をふくめて――ひとは味わうも
のと思われます。

12. あとは――というよりむろんこれが基本なのですが―― 美と
いう問題だと思われます。

13. 触れずに来ましたし ここはすでに端折りますが もし物指し
に合ったことばによる論理や倫理の自己表現が いわゆる真理や善を問
い求めそれらを目指しているとするならば 物指しから自由な芸術なる
自己表現は ことばから自由に特に感性において真理や善とおそらく一
体なるものを問い求めている。

14. それが 美であると考えられます。




15. ▲ 音楽や芸術を通して人間の内面が洗練される
☆ 音楽や芸術に接したあとの結果というのは――№9のりゅぱんさん
も触れておられますが―― いろんな場合があるのでは?

16. 哲学に触れて 論理性が洗練されるか? 文学に触れて創造性
が刺激され想像力がゆたかになるか? 芸術をとおして人間の内面が洗
練されるか?

17. なる場合もあり ならない場合もある。つまり特に変化はなか
った場合もある。(そうだとしても 内面のゆたかさは ふつう一般で
あり得ますが)。あるいは 余計にあらぬ方向へ想像力で脱線していく
場合もあれば 確かにきめ細かく綾なすような心のあり方が分かるよう
になる場合もある。

18. 芸術は 絵も音楽も好きですが さすがにずぶの素人ですから
以上の(15)からの議論は 感想を超えるほどの自信はありません。
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この回答へのお礼

>なる場合もあり ならない場合もある。つまり特に変化はなかった場合もある

芸術にも様々あり、鑑賞する側も色々、相性もあるでしょうからその通りでしょう。

お礼日時:2018/02/18 22:58

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