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努力ってなんですか?
よく、「努力に勝るセンスはない」とか「努力は裏切らない」とか綺麗事をよく聞きますが僕は絶対に「センスに勝る努力はない」と思ってます。
僕はスポーツや勉強に惜しみなく努力したことはありません。
でもゲームに関しては惜しみなく努力したと自信があります。
でもセンスがある奴には勝てません。
昨日今日始めた奴でもセンスがあると僕は負けます。
結局、努力は裏切らないとか綺麗事言ってる奴はたまたま「センスがあることに努力することができた」っていう偶然の産物だと思いませんか?
ひょっとしたら僕は勉強のセンスがあるかもしれない。
ひょっとしたら僕はスポーツのセンスがあるかもしれない。
でも、嫌いなんです、努力したくないんです、できないんです。
そうすると結局、プロや偉大な人ってのは好きなこととセンスがあることがたまたま一緒だった偶然の産物だと思いませんか?
だから、そんな人が偉そうに「努力は裏切らない」とか「努力を超えるセンスはない」とか言うのは変だと思いませんか?
人間、誰だって優れていたいと思うんです。
優れられないんです。
そんな一般市民を見て、上から目線で「努力は裏切らない」とか言うのってムカつきませんか??

A 回答 (18件中11~18件)

個人的には、漫画の「はじめの一歩」の鴨川会長の


「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
という言葉が好きです。
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「センス」ではなくて「才能」では無いですか?




運動能力に関しては、「才能に勝る努力はない」と言うことが言えるでしょうね。
特に、体格差で有利不利がでてしまう競技は。
そういうスポーツの場合、体格=才能ですからね。
ある程度体格の改造が出来るとしても、骨格までは変えられません。


ゲームなども、スポーツに近いモノがありますよね。「アクションゲーム」とか。
アクションゲームの場合は「動体視力」とか「瞬間的な判断力」とか「指を早く動かす筋肉」など、努力で埋まらない部分が多少なりともあります。



ですが、そのスポーツ以外での「才能」の場合は・・・
体格などがモノを言うスポーツよりは、「努力」というか「経験値」の差がモノを言う場合も多々あります。




どんなに天才でも、複数の能力が求められる「ゲーム制作者」の「天才」はあり得ない。


分かっていない人がそういう職業に対しても「天才」とか言う評価を行いますが、何もしないでいきなり「ドラゴンクエストを制作する」と言うレベルのことが出来た天才など、そういう職業ではあり得ません。

キャラクターを生み出す、ストーリーやドラマを語る、絵を描く、色が塗れる、プログラムが出来る。これだけの能力を一人ですべて兼ね備えているような人は、まあ、居るかも知れませんが、一般的には居ませんよね。
ストーリーやドラマを語るだけでも、これまた無数のスキルが求められます。実際の社会経験、人生の中で行ってきたコミュニケーションの量・質、もモノを言います。

こういう複数のスキルが必要な分野では、「才能」は経験、学習で大きく補うことが出来ます。

たまに天才クリエイターと言われる人が居ますが、せいぜいたくさんあるスキルの中で一つ二つ努力せずに手に入れられたスキルがあるだけで、他の「無数の才能」は「努力」で手に入れているわけです。




そこの違いを正確に把握していれば、上から目線で何を言われてもムカつかないですよ。
「分かってないなぁ」と思うだけです。


生来の変えられない能力は、どうしようもないし、

逆に、様々な職人的な職業などでは、一つ二つの才能があろうが無かろうが、他の無数のスキルは「学習・経験値」をより積み上げた方が勝つ、「才能がある」と言われるだけのことです。



ちなみに、努力って言うのは、「足りない部分の学習」「繰り返して身体に感覚を覚えさせること」と言うようなことが言えるでしょうかね?

自分がどういう職業に就きたいのかが明確になれば、何を「努力」すれば良いのかハッキリ見えてきますよ。
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努力ってなんですか?


 ↑
センスもない、親の七光りも無い、運も期待
できない。
そういう平凡な人間が、人並み以上になるためには
努力しかありません。



でもゲームに関しては惜しみなく努力したと自信があります。
  ↑
それは努力したのではなく、ただ遊んだ時間が
長い、というだけです。
運動でも勉強でもそうですが、ただ長くやっているだけ
という人がいますが、これは伸びませんね。
考えながら、工夫しながらやる、というのが努力です。



「センスがあることに努力することができた」
っていう偶然の産物だと思いませんか?
  ↑
偶然はありますよ。
野球の王貞治氏は、荒川コーチに出会わなかったら
大成しなかったでしょう。



そんな人が偉そうに「努力は裏切らない」とか
「努力を超えるセンスはない」とか言うのは変だと思いませんか?
  ↑
思いません。
そういう人は、極限まで努力して
います。
凡人には真似が出来ない努力をしています。



上から目線で「努力は裏切らない」とか言うのってムカつきませんか??
  ↑
ムカつきません。
羨ましいとは思いますけど。
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センスは、学習力だと思います。

新たな事を学習して、その学習が、未来を作るのです。ロケットだってロボットだって失敗して出来ました。新たな事に努力してみては、どうですか。
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私も「センスがなけりゃ努力しても限界はある」と思ってる。



でも「センスがなくても、努力してたらある程度成長はする」とも思ってる。


センスがない事に対して、自分の能力以上の事をできる様になりたいと、
必要以上に望んで求めるから苦しむ。
能力やセンスには限界があるから、どこかで割り切る必要がある。


でも、努力には限界はなくて。
やった事はある程度身に付く。
身に付かないっていうのは、結局、その程度しか努力できていない証拠で。
自分で勝手に限界を決めつけてるだけ。


センスがある人・自分より努力してる人と同じだけの事をしても追いつかないのは、
その人よりセンスがないか、
実質、その人より努力できていない(自分で努力してると思ってるだけ)のどちらかか、
その両方かと…。


チャンスがあるかもしれないのに、
自分で「努力したくない・嫌い・できない」というなら、
そりゃ、努力しようとしてる・嫌いだけどやってみようと思う…という前向きで実践的な人より、
当然、センスを活かせる場を見つけたり出くわせる確率は減るだろうね。

偶然にすら出くわせない。


私は、習い事してて、最初は全然好きじゃなくて、
サボったりもしてて、
でも、やってるうちに上達して、それが楽しくなって、特技になって、自信になって、
目標ができて、努力する様になって……
人とも関わる様になって、つながって行って、結果が付いてきた。
ラッキーだったと思う。

嫌でも続けてきたからこそ、センスと努力が一致して「道」ができたのは事実。

それを、嫌だからといって、練習する事(努力する事)を放棄してたら、
センスにも気づけなかったし、道もできなかったと思う。


「努力は裏切らない」というか、
「裏切られない様に努力する」んじゃない?と思う。
努力に裏切られるって、結局、努力できてなかった…てことだと思う。


何かしら、努力した分に関しては、
「成功は保証されないけど、成長は保証される」の方がしっくりするな…。わたしは。
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飛べる豚を目指すことかも、、、。

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そうですね。

そう思いますよ。
中田に「自分は凡人でユース時代、誰も僕が特別だって思ってなかった、だから誰よりも努力した」って言われてもね
あっそー。。でもユースに選ばれる時点で才能あったやん??って感じですよね。
そう感じるのが普通だと思います。

ですがその長友選手やイチロー選手の言葉に共感し、頑張ろうって思う凡人もたっくさんいるんです。
そういう人がいるので、野暮な発言も寛容な心で受け入れてくださいませんか?
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トーマス・エジソンの言葉で有名な「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というものがあります。

これは2つの解釈の仕方があり、「1%のひらめきがあっても努力をしないと天才にはなれない」と「どんなに努力しても1%のひらめきが無ければ天才とは言えない」というものです。
あなたの考えは後者ですね。ひらめきとは言い換えればセンスだと思います。トーマス・エジソンも後者の解釈で言ったのではないかと言われています。
上記の解釈の違いのように、人には十人十色の考え方があります。
つまり、あなたの考え方は正しいと思います。どうかその考えを大切にしてください。
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