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添付の写真は大正時代の町の風景ですが、気になることがあります。
道路の右と左に電柱があり、電線のようなものが写っていますが、右側はものすごくたくさんの線が架かっており、左側には少ないですよね。
想像するに、右側の大量の線は「電話線」で右側は「電線」ではないかと想像しています。
大正時代の電話は交換機が発達していないので、各家庭への電話線は各戸に1本ずつ配線する必要があり、そのため大量の電話線があるのではないかという私の仮説です。
電力線は分岐できるので少なくてすんでいるので無いかと想像しています。
私の想像は当たっているでしょうか?
その答えと解説をしていただける方がいましたらぜひ回答をお願いします。

「これ(右側)は電話線ですか?」の質問画像

A 回答 (5件)

No.2です。


鉄道関係の記事から抜粋です。
********************
2本で1回線分の通信電線は、
必要な回線量に応じて腕木の数とともに増えていった。
張られている通信電線の本数が多いほど、その線路は幹線路線である証であった。
********************
この内容から、明治大正時代の電話網は、電信柱からでる腕木?と呼ばれるものがたくさん生え出て?れば発展していた地区、となり、
各家庭へと電話線を引き延ばすために腕木は増えた。

またまた参考になれば良いのですが…
鉄道関係の記事です…



http://s.webry.info/sp/41-31.at.webry.info/20120 …
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追記・・俺の所は ド田舎なので 昭和30年からなのです・・



そして・・それよりも あなたの疑問が解決しようと 解決すまいと 俺には 全く 関係の無い事 な だけ・・
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でも残念ながら的外れな回答でしたね。


慎重にご回答ください。」←でも残念ながら的外れな 偽お礼でしたね。
慎重に 本当のお礼をするか 無視してください。
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写真左は電力で右側の柱は電話なんだと思う。



以下が参考になれば↓

http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=5311
「これ(右側)は電話線ですか?」の回答画像2
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
非常に参考になりました。
もう少し、当時の電話網の構造についての解説がほしかったのですが、
私の想像を後押しする回答ではありました。

お礼日時:2018/05/03 13:50

大正時代の電話は交換機が発達していないので、各家庭への電話線は各戸に1本ずつ配線する必要があり、そのため大量の電話線があるのではないかという私の仮説です」←残念ながら的外れ・・



電話が各家に繋がったのは昭和30年頃・・

それまでは 有線や 庄屋などが持ってた機械を 必要な時に借りに 行ってたくらい
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
でも残念ながら的外れな回答でしたね。
慎重にご回答ください。

お礼日時:2018/05/03 13:51

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