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世界史 中世ヨーロッパ世界
西ローマ帝国は476年に滅亡したのに、その後800年にカール大帝が西ローマ帝国の帝位についたと書いてありますが、どういうことですか?
教えてください。

「世界史 中世ヨーロッパ世界 西ローマ帝国」の質問画像

A 回答 (2件)

基本的に必要な知識として「統治には正当制が必要である」ということです。



誰かが「俺が今日からこの国の支配者だ!」と言ってもみんなが認めてくれなければ統治はできません。ローマが崩壊した後は各地域の実力者が「俺がこの地域の統治者だ」と言って周辺をまとめました。分かりやすく言えば武力で一時期広い土地を支配したISISのような一団がたくさんいた、ということです。

でも彼らは自分たちの武力で「俺がここを支配する」といっているだけで、みんながみとめてくれるわけではありません。
みんなが「あんたが支配者だと認める」にはなにかの理由が必要で、それを「統治の正当性」といいます。

北朝鮮の金正恩がアメリカ大統領と会談したがったのは「『北朝鮮の支配者』という資格でアメリカ大統領と会えば、アメリカも北朝鮮を国として認めたことになるし、国内も韓国もその他の国も北朝鮮を国と認めるはず」というお墨付き(正当制)を得たかったからです。

西ローマがあった時代は、西ローマの皇帝から「お前が実力でこの地域を治めて平和を維持し、皇帝に税金を払うならお前をその地域の王と認めよう」というやり方をしていたのです。日本でも漢委奴国王印のように「中国皇帝から認められた日本の王」というやり方があったのと同じです。

しかし、西ローマは476年に崩壊してしまったので、各地の王は正当性を維持することができなくなり、まだ残っていた東ローマ皇帝から許可をもらって正当性を維持することでやってきたのです。

しかし、のちにカール大帝として知られるようになるカールは、現在のドイツ付近の領土では満足せず、各地に出兵して広大な領地を得ることに成功しました。しかし東ローマ皇帝はカールを認め皇帝に認められた王としての正当性をあたえなかったのです。(たぶん、乗っ取られた各領地の王や皇帝の側近が反対したのでしょう)

そのため、カールは「じゃあ滅んだとはいえ、ローマには西方キリスト教皇がいるから彼から戴冠の儀式をしてもらおう」と考え、当時の西方ローマ教皇レオ3世も法王庁内の権力闘争に負けて一時期カールに保護されたことから、ふたりがタッグを組んでキリスト教&ローマ&ゲルマン人の融合国家を作ろうとしたのが神聖ローマ帝国の復活になります。

で、ちょうどこの時カールの娘と結婚していた東ローマ皇帝コンスタンティノス6世が摂政だった母親エイレーネーに追放されて797年に死去したため(エイレーネーはその後、東ローマ皇帝を名のり初の女帝になった)、カールはエイレーネーを認めず、レオ3世と組んで「西方ローマ皇帝の復活」を宣言したのです。

元々皇帝(エンペラー)というのは「軍事指揮権・政治運営権・宗教祭祀権」を一人で持っている人のことを言ったのですが、ローマではキリスト教の教皇が出来た後は宗教祭祀権は教皇がもち、教皇が戴冠して認めた人物をローマ皇帝としていた事実があるので、西方ローマ教皇であるレオ3世がカールの戴冠式を実行することで「西方ローマ皇帝の復活」ということになったわけです。

蛇足ですが、日本の天皇がエンペラー(皇帝)と呼ばれるのは、現在の世界で唯一「軍事指揮権・政治運営権・宗教祭祀権」をもっている国家元首だからです。もちろん軍事指揮権と政治運営権は憲法によって民主政府に委託していますが、これも幕府時代と同じで天皇が総理大臣を任命して委託する方法で、祭祀は天皇が大嘗祭などを取り行っています。だから日本の天皇は世界で唯一のエンペラーなのです。
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