いちばん失敗した人決定戦

なんでスポーツの対戦相手って強そうに見えるのでしょうか?
受験会場でも、知らない受験生はやたらと勉強できそうに見えますよね。

A 回答 (3件)

人間でも、他の動物でも、誕生したときは無力で経験もなく現実対応力がないです。


そのままではすぐに死んでしまう可能性が高いです。
とりあえず動いて、いろいろと試して、口を使い飲食を試したり、手足を動かし、目が見えるようになればいろいろ見たり、印食物を見つけたり、移動可能な場所移動すると危ない場所を見分けたりします。そのように盛んに活動するうち、いろいろの能力を発達させ現実対応力を身につけます。
新しいもの、見慣れないもの、聞き慣れないもの、見たことのない表情や行動に関心をもって積極的に自分から動き働きかけないと、そうした能力はつきません。
しかし、そうした行動は常に失敗や転落、転倒、餌として食われるなどの損害になる可能性を持ちます。
そうであるから、意欲と恐怖を同時に発生させて、そのバランス調整をして、自分をコントロールする能力を身につける必要があったのだと思います。
昆虫などの生物だとそこまで能力をもっていなくて、光やにおいなど物理化学的な条件に反応するだけでも生きて成虫になり子孫を残すことも可能なんでしょう。
しかし、鳥類やほ乳類などになるともっと高度な能力を身につけないと生きて子孫を残せないのだと思います。
特に、人間のように身体的には特別のものを生誕時にはもっておらず、出生後に脳を利用して各種の能力を発達獲得していくタイプの場合には、知的な認知処理能力と身体コントロール能力と[意欲・恐怖・記憶・想像]の応力をワンセットで持ってないと、生きて成体にまでなれないのだと思います。
餌や場所の安全危険だけでなく、同族の人間同士に関しても(人間には社会形成持続が必要で、それができたから、この地上で大きな強い生物になっているのですが、社会形成は人間同士の協力だけでなく競争や争いも同時に伴うので)親和・協力・敵対・攻撃・逃走をうまくこなすためには、積極関心と不安感知、操作的な対処(相手の様子や反応、スタンス、力量をうかがい知るためにいろいろと仕掛けてみること)は必要なのでしょう。
こうした能力を産まれてからそれなりに発達させてくれば、10歳過ぎには、対戦相手とわかっている場合でも、ただ集まった人たちに対してでも、試験を受ける競争相手を意識した場合でも、意欲とともに不安や自信を同時にもつのでしょう。
もしも、不安や恐怖ばかり感じたり、根拠なく自信だけを持ったり、周囲や相手の状況にまったく関心を持たなかったりすれば、大変なことになるでしょう。

スポーツの対戦相手が強そうに見えるばかりであったり、知らない受験生はやたらと勉強できそうに思えてしまうばかりだったら、萎縮してしまい持っている能力も発揮できないから大変なことになります。
対戦相手をチョロイとなめてかかるばかりだったり、周りの受験生はできないやつばかりだからと思い試験自体にも集中せず漫然と臨むようだったら、敗退や失敗の可能性は高まります。

いろいろの状況に応じて、バランスをとれる能力を持てる資質を遺伝的に持っているはずなのが、人間なのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

完璧な御回答ありがとうございますm(__)m

お礼日時:2018/07/12 12:42

人間のもっとも原初の感情は恐怖です。


恐怖を感じることで警戒心が生まれ、筋肉の収縮など身の安全を保つために必要な機能が活性化する。
スポーツや受験の相手も基本は戦闘相手ですので、恐怖を感じることで、こちらも戦闘準備を整えるため緊張を高めるように脳内作用(判断)が起きる、ということだと思います。
弱そうと思ってしまうのは怠惰な感覚と言える。油断が生まれ、逆に負けにつながるのはよくあるパターン。
強そうに見えるのは正常な感覚です。
    • good
    • 0

それは萎縮しているからです。



スポーツの試合でも、受験でも、不安の
塊の中で、やるわけです。

だから、萎縮し、相手を過大に見てしまう
のです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!