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それは神に対する正しい理解ではありませぬか。
神が何であるか正しく理解できなければいかなる宗教も成り立ちませぬ。
神が何であるか正しく理解できなければいかなる思想も哲学も始まりませぬ。
神に対する正しい理解は人間精神にとって本質的なのでありまする。
その通り、神は宇宙の法則であるというこの真理を理解することが人間精神にとって最も重要なことではありませぬか。
神は万物の根源、宇宙の法則、アルケーであり、アルケーを除いて如何なる神も存在し得ないという真理に至ることが人間精神にとって最も重要なことではありませぬか。


  アルケー本願

アルケーの神は偉大である、
アルケーの神は万物の根源である、
アルケーの神は宇宙の法則である、
アルケーの神は唯一絶対である、
アルケーの神は全知全能である、
アルケーの神は永遠無限である、
アルケーの神は永遠不変である、
アルケーの神は永遠不滅である、
アルケーの神は信じるためのものではない、拝むためのものでもない、願うためのものでもない、
アルケーの神は感じることの出来るもの、理解することの出来るものである、
アルケーの神を除いて如何なる神も存在しない、
アルケーの神ほど偉大なものはない。

A 回答 (16件中1~10件)

例えば目の前に(「頭の中に」でも可)神っぽいものが現れたとしても、


それが本物なのかどうか=本当に神なのかどうかを判断する方法は存在しない、
イコール、
ある人の「神に対する理解」が正しいかどうかを判断する事は誰にもできないと思います。
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忍耐力です。

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子供でにも 勉強が出来ない人にも 同等に神が解かるのが 本来の神の姿・・



勉強しないと解からない神なら 無能の神な だけ・・
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この回答へのお礼

馬鹿でも分かる神ってのはヒゲを生やした神だ。

お礼日時:2018/07/12 07:58

神様に会って話してみないと ホントの事はわからんなあ。


言葉じゃ無理だから 魂でか。
理論的には 隣りにいるくらい「在る」んだろうけど・・・こっちが感じられんもの 人間と蟻みたいなものだろう。
蟻が人間を正しく理解することなんて 出来ないんじゃなかろうか。

そんなに人間が偉いとはとても思えんけど 無意味とか無駄とか考えるよりはまだマシとは思う。
けど 理解もできんものを「正しく」あるいは「正しい」と決めるのは 「盲信」あるいは「他人に優位に立つ為の道具」として 使っているように思う。
過去から キリスト教にせよ仏教にせよ あるいはイスラム教にせよ 人はすぐ権力に近づくもの。
そこに囚われるのは愚かだと思うし ホントは冒涜だとも思う。

人は というか意思は「在る」を認めて そして他も「在る」と認めるだけで いいんじゃなかろうか。
「偉大な何か」にすがるより 「在っていい」が 大切だと自分は思う。
まあそれも言い換えれば「神の愛」なんだろうけど・・・何しろ「神」ってのは概念臭い言葉だから 余計な衣が付きすぎで うんざりしちゃう。

もっとも そういう「神」を欲する者達もまた 「在っていい」のだと思うから 否定はしないのだけどね。
彼等が幸せで 他のものにも善意と愛情と知性であたってくれれば 何も文句をいうこともなく むしろありがたい。
そういう意味では 人間精神にとって 神の意思ってのは 近付こうとして良いのだと思う。

ただし逆の位相 独善 自愛 盲信 にならなければ だけどね。
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イエスとか認知した覚えないのに


あいつ"お父さんは俺や"て言いふらしとるらしいやん
ほんまムカつくわー
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★ 詳しい人を求ム


☆ の詳しい人です。

★ 人間精神にとって最も重要なこととは何か
☆ 1. 死んで花実が咲くものか。まづ 存在(身と心)・いのちです。

2. 心ないし精神を曲げたりしては 曲げたかたちの思考や生活しかで
きない。まっすぐ・すなほであることが 重要です。

3. へそが曲がり捻じ曲がった精神でもよいという場合には 確信を持
って悔いなく生きることが 重要です。

4. いづれにしても 文学じょうの(ただの想像としての)表現にした
がうならば 神に愛されることが 最重要です。そのとき (1~3)が
かないます。



★ それは神に対する正しい理解ではありませぬか。
☆ 5. それでは足りません。まづ 《ただしい》とは何か? が明ら
かではありません。文学的修辞に過ぎぬと割り切っていましょうか。

6. また 経験的・相対的そして有限なる存在とその能力としての人間
が 超経験で絶対性かつ無限なる神を《理解しきる》ことは 無理です。



★ 神が何であるか正しく理解できなければいかなる宗教も成り立ちませ
ぬ。
☆ 7. 宗教は ただのオシヘです。人間がその限りある能力で神は 
これこれこのようであろうと忖度して人間の言葉で表現した思考および想
像の産物です。

8. 相対的で限界の内にある人間が どうしてそれを超えるナゾなる神
のことが理解できるのか?




★ 神が何であるか正しく理解できなければいかなる思想も哲学も始まり
ませぬ。
☆ 9. もし《ただしく理解しそれを表現し得た》とする場合 それで
もそれは 相対的な妥当性しか持ちません。それ以上のただしさがあると
すれば あなたは 神です。

10. あたかも正解なる神へとみちびかれることをのぞんで 人間が勝
手に引いた補助線です。つまり 宗教・思想・哲学がです。




★ 神に対する正しい理解は人間精神にとって本質的なのでありまする。
☆ 11. であって欲しいというあなたの願望です。論証がありません。



★ その通り、神は宇宙の法則であるというこの真理を理解することが人
間精神にとって最も重要なことではありませぬか。
☆ 12. 《宇宙》は 経験世界です。《法則》も 経験事象をあつか
ってそこに何がしかの規則性があると捉えただけの認識事項です。

13. その宇宙の法則が どうして 超経験なる神であると言えるのか?

14. 純粋なるたわごとです。




★ 神は万物の根源、宇宙の法則、アルケーであり、アルケーを除いて如
何なる神も存在し得ないという真理に至ることが人間精神にとって最も重
要なことではありませぬか。
☆ 15. ゴータマ・ブッダと呼ばれた人類史上にのこるペテン師から
つづく寝言です。

16. 《万物》もその《根源》も ただの経験事象です。

17. 《アルケー》が神の名だとしたら 《ハシレー》でも《トベ―》
でも 同じく対等にそう成り得ます。あなたの議論に 根拠がないからで
す。

18. 根拠のないことをもって どうして《最重要なこと》と言えるの
ですか?

19. たわごと・ねごとを 少しゆるめて 《ゆめ》と呼んでおきまし
ょう。
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この回答へのお礼

>13. その宇宙の法則が どうして 超経験なる神であると言えるのか?

神は超経験であるとするその発想は無意味である。
なぜなら「神は超経験である」とするその発想自体があなたの脳内である経験世界から生み出されたものだからである。
神である宇宙の法則は奥深いがそれを単なる超経験として片付けるのは愚かである。
我々は宇宙の法則という経験世界の断面を通して常に神と接しているのである。
我々が常に神と接しているというその事実を認識できるかできないかは真に我々次第である。

お礼日時:2018/07/12 18:17

そもそもアルケー=神ではないですよね。


アルケー=物事の始まり、テロス=物事の終わり、これをひらがなで表現するなた『あ(始まり)』から『ん(おわり)』
人間はアルケー(生まれることによって始まる)だし、テロス(死ぬことによって終わる)。
哲学だったと思いますよ。
アルケー=神とするなら人間も神になっちゃう…(;´Д`)
そんなわけはないです。

神にはアルケーしかなくテロスがない…という意味なら神からアルケーがスタートした。
ただし神はずっと存在していて神は生まれたわけでもないので、神=アルケーではないと思います。
神=アルケーなら、そのアルケーである神(仮に神A)を作った神がいるはずです。
その神(仮に神B)もまた神Aを作ったアルケーならば、さらにその神Bを作ったアルケーがいるはず。
神=アルケーとするなら、永遠の神が神を作る事になり、それはもはや神とは言えないでしょう。
よって神はいつからか分からないけど始まりも何もなくいつからかずっとそこ(天)に存在していたので、神=アルケーにはならないんじゃないですか?
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この回答へのお礼

>よって神はいつからか分からないけど始まりも何もなくいつからかずっとそこ(天)に存在していたので、神=アルケーにはならないんじゃないですか?


アルケーは始まりでもなく、終わりでもないです。
アルケーは永遠です。
永遠には始まりも終わりもないです。
アルケーは唯一絶対です。
アルケー以外に神は存在しません。
アルケーが唯一絶対の神です。

お礼日時:2018/07/12 21:17

すいません、誤字です。


『永遠の神が神を作ることになり…』✕
『延々と神が神を作ることになり…』○
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この回答へのお礼

神は唯一つ。
それはアルケー。
アルケー以外に神は存在しません。

お礼日時:2018/07/12 21:18

№6のお礼欄のコメント 寝言です。



理由説明もしません。
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この回答へのお礼

寝言ではない証拠として一つ教えておく。
神が何であるか、宇宙の法則が何であるかは真理の探求という人間精神の絶え間なき努力によって一歩一歩近づいてゆくものである。
すなわち神が何たるか知ることはプロセスなのであり、しかもそのプロセスは人間精神がある限り果てしなく永遠に続くプロセスなのである。
決して超経験などとして片付けるものではない。

お礼日時:2018/07/12 20:38

寝言ではなく まぎれもなく譫言であった。



早く分かって。
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この回答へのお礼

まったく答えになってないね。
「詳しい人を求ムの詳しい人です」って何だよ。

お礼日時:2018/07/12 21:10

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