プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

「薬物療法に関する検討委員会セミナー」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscap/58/1/ …
の内容を見ていて思ったことです。

たとえば、パキシル(パロキセチン)の危険性についての指摘。
2003年 6 月10日 イギリス 英国医薬品安全委員会(CSM)が「18歳未満の大うつ病性障害患者へのパキシル投与を原則禁忌」とする勧告。
同年 6 月19日 アメリカ 米国食品医薬品局(FDA)が 「18歳未満の大うつ病性障害に対するパキシル投与を推奨しない」 と発表。
同年 8 月25日 日本(厚生労働省)も「パキシルの大うつ病性障害への投与を禁忌」とした。

といった具合。
パキシル製造元が英国関連のグラクソ・スミスクライン株式会社であることはさておいても、日本は外国の後追いでしか薬害の有無を判断できないように見えます。
被害の実態や可能性を知らなかったわけではないのに、それを主導的に警告する姿勢が無いというのは、重大な問題としてクローズアップされるべきではないでしょうか。
つまり、今後も、外国からの指摘を受けるまで、重大な副作用のある薬が漫然と処方され続ける危険性が高い、ということになるでしょう。
副作用について本腰を入れて『自主的に』取り組む必要があると思うのですが、みなさんはどう思われますか?

質問者からの補足コメント

  •   補足日時:2018/09/27 23:51
  • #4お礼欄からの続き。

    >必要な人にとっては選択肢がないのが現状。

    なぜ必要なのか?
    という点が非常に重要だろうと思います。
    多様なケースがありますので一概には言えませんが、基本的には「周囲が迷惑するから」ということが一番多いのではないでしょうか。
    しかし、「迷惑」とは何か?
    ということについての考察が、今の日本社会には決定的に欠けていると言わざるを得ません。
    ここを掘り下げることをせず、薬でおとなしくさせようというのが精神治療の本質じゃないですかね。
    いいんですか?これで。

    >選択肢がないから、規制できない。

    選択肢はあると思います。
    断薬や減薬によって改善している方は多数いますよ。
    ほんとうに精神薬が必要だったとは言えない状況がたしかにあると言わざるを得ないでしょう。
    他に選択肢がなければ覚せい剤であっても飲みますか?
    それとほとんど変わらない理屈です。
    下段へ続く。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/28 00:43
  • 上段からの続き。

    認知行動療法や精神分析療法などをはじめとする、非薬物療法をもっと研究・普及するための予算を割く。
    断薬や減薬についてもっと研究し、広く普及させる。
    薬を処方しても実際に治癒や寛解にいたらなかったら診療報酬を減額する。
    などなど、やる気になれば何でもできるはずと思います。

    規制しないのは、よほど頭が悪いか・・・いや、そんなはずはありませんから、薬品会社や日本精神神経学会と厚労省が何らかの利権でつながっていると判断するしかないような気もしてきますね。

      補足日時:2018/09/28 00:44
  • #6お礼欄からの続きです。


    「無駄に怖がらせる必要はない」といった考えからかもしれませんが、「自殺したくなるかもしれない」という情報を正確に伝えなくてもよい、という発想自体が異常でしょう。

    3.
    >私なら、その上でこんな重大な副作用があるのに投与するメリットは何かと聞きます。

    それをされると困るので医師はほとんど情報開示をしないのでしょう。

    4.
    >セカンドオピニオン先を主治医に聞く?えー?!
    私は今の今まで、自力で探すものだと思っていました。

    失礼しました。
    ×セカンドオピニオン先を紹介してくれる医者
    〇セカンドオピニオン先に紹介状を書いてくれる医者
    です。
    紹介状がなければ他の医院での診察は受けられません。

    5.
    >イカサマと比べられても困ります。

    イカサマ=自殺の危険性があることがわかっているのに、それを知らされないまま薬を処方すること。
    という意味です。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/28 13:56
  • #7お礼欄からの続きです。

    >SSRI・SNRIに関しては、私個人の意見として、良くないと考えています。
    副作用の重さの度合いが、半世紀前より複雑化しているためです。
    それは、単に自殺したくなるからというわけではなく、
    私のように長期に渡って飲み続けている場合、
    予期せぬ副作用(添付文書に乗らない)が多く発生したためです。

    当事者の方からのご投稿は、本当に参考になります。
    ありがとうございます。
    【予期せぬ副作用(添付文書に乗らない)】というフレーズが心に刺さります。
    要するに今の精神医学は、何もわかっていないのに、手探りで、あれこれ実験を楽しんでいるということになりませんかね。
    下段へ続きます。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/28 22:32
  • 万が一副作用が出ても仕方がないのだ、と他人事としてしか受け止めていないでしょう。
    気分が落ち込んでいる人に対して、「これを飲めば明るくなれますよ。しかし、後で副作用が出ても、それはわたしの責任じゃないからね」といって覚せい剤を売りつける麻薬の売人と大差ないのでは?
    と思いたくなるほどです。
    たしかに「明るく」はなるでしょう。
    しかし、それをして「改善した」「治癒(寛解)した」「よくなった」と言えませんよね?
    この国は狂ってませんか?

      補足日時:2018/09/28 22:33
  • #8お礼欄からの続きです。

    >薬は、本来身体にとっては異物ですから飲まないに越したことはない。
    でもそれを欲さなければ生きていけない社会でもあるのです。

    最終手段としてはわかります。
    しかし、それは添付文書にも明記されているように命を賭けたバクチと大差ないでしょう。
    なぜ、薬ではない治療を志向しないのか、という点に最大の問題があると思うわけです。
    また、「薬を飲めば治る」という保証はないのに、いかにもあるように騙す形で治療と称されるものが堂々と行われている。
    言ってみれば数うちゃ当たる方式じゃありませんか。
    そして、副作用で重大な影響が出れば、医師も厚労省もほおかぶりをする。
    まともな社会と言えますか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/29 21:46
  • #10お礼欄からの続きです。

    セロトニンなりドーパミンなど各種ある化学物質が精神や気分に影響しているのは、ほぼ間違いなさそうです。
    ただ、「どのように」作用しているのか、ということまで「正確には」わかっていない。
    であるのに、試行錯誤でやるものだから、当然副作用が出る。
    たまたま、うまくいく場合もある。
    といったあたりが実態じゃないですかね。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/30 01:17

A 回答 (10件)

精神病疾患者に言っては?



飲む必要が無い一般人には関係ありません。

貴方はそれを飲まなくなって精神は安定しているの?

文面をみてもかなり強迫観念や依存が強いように見えますよ?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>精神病疾患者に言っては?

なるほど。
一理ありますね。
しかし、彼の方たちは藁をもつかむ気持ちで精神薬を頼ると思うのですよ。
何しろ国が認可しているわけですから、基本的に信用してしまうのが人情でしょう。
過去にも色々な薬害被害が発生していることはご存知と思います。
たしかに危険性を発する声も一部ではあったのでしょう。
そうした声に耳を傾けなかった被害者の責任なのだ、とあなたはおっしゃりたいのですかね?
製薬企業や、精神科、メンタル系の医師、そして根本的には認可する政府が、

『精神薬の危険性に対する認識が甘すぎるというか、無責任』

であるために、今後も引き続き、そうした薬害が発生する危険性が高いのではないでしょうか?
という趣旨の質問です。

>飲む必要が無い一般人には関係ありません。

ある面では真実ですね。
ただですね、何事もそうなのですが、一般人の総意が増えていくことによって事態は変化していくものだと思います。
特に政府は敏感です。
『関係ありません』と言って済ませたばかりに見逃されてきた、悪事、悪行は数知れずあるでしょう?
それが我が身にいずれ返ってくるように世の中できています。

>貴方はそれを飲まなくなって精神は安定しているの?

精神薬を飲むべきか、という状況に直面したことがないので、どういった基準で『安定』という言葉をお使いなのかよくわかりません。
人間であれば誰しも安定したり不安定になったりすることは当然あるかと思いますが。

>文面をみてもかなり強迫観念や依存が強いように見えますよ?

あ、そういう意味ですか、なるほど。
なかなか面白いですね。
「強迫観念」というのは、おそらくしつこい、という意味でお使いなのでしょうね。
まあ、その意味でしたら否定はしませんね。
ただ、他人にケチをつけたくなったときには、同義語や対義語について少し考えてみるとよろしいようで。
物事を一面だけで捉える愚を避けるためにもね。
「しつこい」の同義語としては「粘り強い」、対義語としては「辛抱が足りない」、良く言えば「さっぱりしている」とでもなりましょうか。
あなたはどちらです?
「しつこい or 辛抱が足りない ?」
「粘り強い or さっぱりしている ?」
因みに、何に対して『依存』が強いと思われるのですか?

お礼日時:2018/09/27 23:39

「患者が」自主的に取り組むということですか?


患者が医者でない限り、難しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

日本(という国)は、精神薬の危険性に対する認識が甘すぎるというか、無責任すぎませんか?

という意味です。

>患者が医者でない限り、難しいと思います。

そんなこともないと思いますがねえ。
医者でなくとも日本語を論理的に解釈できれば、「日本という国」の不合理さに気づき、指摘することは可能だと思いませんか。

お礼日時:2018/09/27 23:42

海外発の薬に関しては確かに主導的に警告する姿勢は見られないですね。


隠蔽体質や事なかれ主義があるとは思いませんが、イエス・ノーの決断が非常に遅いとは思います。
誰かがノーと言うのを待って、それからノーと言えば、ノーの理由も聞かれなければ、責任も問われない。
厚労省はそういう立ち位置を好んでいるのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>隠蔽体質や事なかれ主義があるとは思いませんが、

甘すぎませんか?^^;
まさに、そのとおりの体質であり、そのとおりの主義でしょう。
冷静に判断すれば、それ以外にあり得ないですよね。

>誰かがノーと言うのを待って、それからノーと言えば、ノーの理由も聞かれなければ、責任も問われない。
厚労省はそういう立ち位置を好んでいるのかもしれませんね。

鋭い!^^
そういうことです。
闇雲に批判するわけじゃないのですが、たとえば補足に挙げた動画などをご覧いただければ、そうとしか言いようのないことが、よくわかります。
元凶は製薬会社でしょうが、医者はその使い走りに堕しているのが明らかで、厚労省は監理能力が無いときている。

お礼日時:2018/09/27 23:50

精神薬が危険であっても、あるいはそれに対する警告をいくら出しても、


必要な人にとっては選択肢がないのが現状。
選択肢がないから、規制できない。
規制すれば、少なくとも精神薬によって生きる希望を持つことが出来ている患者さんにとって、
社会復帰すら不可能となりえます。

抗がん剤なんてどう思われますか。
あれこそ毒薬指定のものがゴロゴロしています。
それでも、それを飲んで再発を防げる人だっているわけです。
でも中には副作用や死に至るケースもかなりあります。
そういった抗がん剤を無くせと言うのは簡単ですが、
唯一保険の効く薬だから、患者からしたら第一選択にならざるを得ないのです。

それと同じ事だと私は思いますが・・・。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

かなり本質に近いところに触れていただいたと思います。
つまり、じゃあ、どうしろというのか、ということですよね。
たしかに、そちらのほうが重要な案件とは思います。

ただ、
>それに対する警告をいくら出しても

とおっしゃいますが、本当にそうなっているだろうか?
ということです。
一例を挙げれば、抗うつ薬のパキシル。
薬には、製薬会社による医薬品添付文書が必ずついていますが、これをよく読むと、パキシルとは、

【 うつ病が治るかどうかはわからないが、自殺したくなるかもしれない薬 】

であることが素人の私にもよくわかります。
しかし、文書は非常に小さい字で書かれている上に、余計なフレーズを多用したり、非常に重要なデータを隠蔽したりして、極めてわかりづらい文面に作られている。
また、薬を売る立場の医者も、製薬会社の飼い犬みたいなもので、重大な副作用について十分な説明をしているとは到底思われません。
それは、ここのカテでの質問を見ても明らかなことでしょう。

医者が、病院を訪れた人に対してパキシルを処方する前に、
【これは、うつ病を治すお薬です。ただし、本当にうつ病が治るかどうかは保証できません。また、自殺したくなる可能性もある薬です。このような薬ですが、わたしには、これを処方することしかできません。他の方法を知らないので。それでよろしければ、飲んでみてください。】
といった説明をし、それを聞いた患者の立場の人が、
【わかりました。自殺したくなっても構わないし、本当に治らなくても構いません。先生が飲めと言うなら、信用して飲みます】
と言って飲むのなら、わたしは何も言いません。
飲む飲まないは個人の自由ですしね。

しかし、【この薬を飲めば簡単に治るし、副作用もほとんどありません】などという嘘が平気で罷り通っているのが現状でしょう。
医者も言いますし、厚労省も国民の税金を使って、そんな嘘を宣伝しまくっている。
そして、このサイトを含め副作用に悩む大勢の人が現実としているわけです。
飛び降りするなどして、声を発することすらできない人も多数いた。
こんなことが許されるのでしょうか?
ということを言いたいわけですが、私の言ってることおかしいですか?
大事なことですので、補足欄でもう少し。

お礼日時:2018/09/28 00:22

>医者でなくとも日本語を論理的に解釈できれば、「日本という国」の不合理さに気づき、指摘することは可能だと思いませんか。


指摘すること自体は可能だと思います。
しかし、その瞬間から以降の治療については自己責任になります。
専門知識のない自身の判断で結果が吉と出ても凶と出ても構わない、それでもいいならどうぞ、ということでしょうね。
私なら、そんなバクチはしないかな。せいぜいセカンドオピニオンくらいでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>日本語を論理的に解釈できれば

と申し上げたのは、たとえば補足にお示ししたような動画の内容を見れば、ということです。
【この薬を飲めば簡単に治るし、副作用もほとんどありません】などという嘘が平気で罷り通っているのが現状でしょう。
厚労省すら、そういった宣伝に勝手に税金を使っている。

【 うつ病が治るかどうかはわからないが、自殺したくなるかもしれない薬 】であることを、はっきり示すことが、第一前提であると思うわけです。
その上で飲みたい人は飲めばよい。
【 うつ病が治るかどうかはわからないが、自殺したくなるかもしれない薬 】というのは、わたしが言っているわけじゃない。
パキシル(以外にも多数ありますが)を製造した会社による「医薬品添付文書」というものを『論理的に解釈できれば』とまで言わずとも、ちょっと注意して読めばすぐわかることです。
[ 重要な基本的注意 ](4)
http://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/Res …
それを実にわかりづらい表現で書いているし、医者もきちんと説明しない。
読まないほうが悪いと言えばそれまでかもしれませんが、それが問題ではないか、ということです。

>私なら、そんなバクチはしないかな。せいぜいセカンドオピニオンくらいでしょう。

なるほど。
わかりますよ、それは。
たしかに自己責任は負担が大きいですからね。
しかし、『セカンドオピニオン』と言ってもなかなか難しいようですよ。
両方の医者の言うことを「聞き比べた上で選択する」ということが難しいからです。
喜んでセカンドオピニオン先を紹介してくれる医者は、まずいませんし、いたとしても、基本的に転院が前提となる場合がほとんどのようです。
つまり、俺を信用しないなら、もう来るな、というわけ。
同じバクチでも、いかさまバクチよりはマシという気はしませんかね。

お礼日時:2018/09/28 01:03

>【この薬を飲めば簡単に治るし、副作用もほとんどありません】などという嘘が平気で罷り通っているのが現状でしょう。


>厚労省すら、そういった宣伝に勝手に税金を使っている。
一般人の多くは、よくも悪くもその事実を知りません。
そうおっしゃるなら、同時に何らかの根拠の提示が必要でしょう。


>パキシル(以外にも多数ありますが)を製造した会社による「医薬品添付文書」というものを『論理的に解釈できれば』とまで言わずとも、ちょっと注意して読めばすぐわかることです。
ちょっとも何も、普通に大々的に書いてある印象ですが。
薬と共にこの文書が来るならきちんと読みましょうよと思います。
通常は簡単な副作用のコメントしかありませんから、こんな仰々しい文書がくるなら何かあるなと思わないのでしょうか。
私なら、その上でこんな重大な副作用があるのに投与するメリットは何かと聞きます。

>しかし、『セカンドオピニオン』と言ってもなかなか難しいようですよ。
>両方の医者の言うことを「聞き比べた上で選択する」ということが難しいからです。
喜んでセカンドオピニオン先を紹介してくれる医者は、まずいませんし、いたとしても、基本的に転院が前提となる場合がほとんどのようです。
>つまり、俺を信用しないなら、もう来るな、というわけ。
セカンドオピニオン先を主治医に聞く?えー?!
私は今の今まで、自力で探すものだと思っていました。

>同じバクチでも、いかさまバクチよりはマシという気はしませんかね。
イカサマと比べられても困ります。そもそも論外、比較対象外です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>そうおっしゃるなら、同時に何らかの根拠の提示が必要でしょう。

極めて正論ですね。
ほんの一例ですが、
(厚労省)
【早期の治療と再発防止が大切】
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/support/medical_3. …
(製薬会社によるキャンペーンについて)
「SSRIの導入後、製薬会社のキャンペーンにより医師を受診する人が急増し、SSRIの売り上げも急激に伸びる。これは先進国共通の現象だ」。SSRIの副作用について警告してきたイギリス・バンガー大学教授の精神科医デイビッド・ヒーリーはそう指摘する。かつての抗うつ薬の市場規模は小さく、製薬会社にとって魅力的な分野ではなかったが、SSRIと広報キャンペーンの組み合わせは、その状況を一変させた。
https://globe.asahi.com/article/11530021
(個人医院のブログ)
パキシルの副作用は、吐き気と不眠とアカシジアだと書いている。
重大な副作用、自殺企図・自殺念慮については完全無視。
https://www.abeclinic.com/iphone/faq_depression. …
副作用で検索していただけば、いくらでも出てくると思います。
最大の問題は、製薬会社自身が作った添付文書にある「重大な副作用」を前面に出しているケースが極めて少ない、という点でしょうね。

2.
>ちょっとも何も、普通に大々的に書いてある印象ですが。
薬と共にこの文書が来るならきちんと読みましょうよと思います。
通常は簡単な副作用のコメントしかありませんから、こんな仰々しい文書がくるなら何かあるなと思わないのでしょうか。

まったくおっしゃるとおりです。
ただ、メンタル系医院にお世話になったことがありませんので確信は持てませんが、『薬と共にこの文書が来る』ことは、おそらく無いと思います。
医師が軽~く触れ、大したことはありませんよ~などと言う程度じゃないでしょうか。
ネットで検索すれば、ほとんどがそういう考えであることがすぐおわかりになるはずです。
彼らにしてみれば薬を売ることで生計を立てていますので、もっともと言えばもっともですが。
自社製品の欠点を声を大にして宣伝する社長はあまりいませんからね。
以下補足欄へ。

お礼日時:2018/09/28 13:49

No.4です。



精神疾患に精神薬不要論と言いたいように感じられますが、
これは非常に難しい問題です。
そもそも、
この社会全体の変化を根底から変えるものがなければ、
特定の精神疾患はなくなることはないと思います。

また例えば、
鬱病という事だけでも、
現在の環境要因が原因とは限りません。
極論、幼少期の育てられた環境を変えられるかといえば、不可能に近いでしょう。
それをカウンセリングや精神分析で治せる(矯正できる)かというと、答えはNoだと思います。
実際私自身がそうですから。
実体験として、投薬が一番効果があり、かつコントロールもしやすいという結論です。

また、カウンセリング等を保険対応にできたとして、
多くの患者が利用するようになると、それを悪用する者が出てきます。
いわゆる貧困ビジネスのようなものが必ず登場します。
それは、ある意味薬よりタチが悪いと思います。
現在のカウンセリングや心理療法でも、
新興宗教の入り口であったり、洗脳であったりする場合が見受けられますので、
国からお金が出るとなれば・・・、後は想像できると思います。

なお、特定の精神薬に関しての批判は、理解できます。
精神薬の原理というのは、ここ半世紀何も変わっていません。
要は、セロトニン・ノルアドレナリン・ドーパミンを任意に増減させて様子を見ながら、
自分に合う薬を探していくというものです。
SSRI・SNRIに関しては、私個人の意見として、良くないと考えています。
副作用の重さの度合いが、半世紀前より複雑化しているためです。
それは、単に自殺したくなるからというわけではなく、
私のように長期に渡って飲み続けている場合、
予期せぬ副作用(添付文書に乗らない)が多く発生したためです。
故に現在は、三環系で安定させています。

ただ、何十年と服用しない場合ですと、SSRI・SNRIが有効であるのは事実です。
おそらく副作用の観点だけで、SSRI・SNRIをやめ、三環系にした場合、
日常生活において、社会復帰という目標を掲げている患者さんにとってはかなりハードルが高くなります。
三環系は、現在のSSRI・SNRIより効き目は上です。
ですが、日常的に出る副作用は、SSRI・SNRIの比ではありません。
一歩間違えれば、廃人見たく動くことすらままならなくなります。
私自身、十数年でようやく、この三環系のコントロールができるようになったくらいです。

参考まで。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>この社会全体の変化を根底から変えるものがなければ、
特定の精神疾患はなくなることはないと思います。

まさに、おっしゃるとおり。
わたしの最終的に目指すところはそこです。

>極論、幼少期の育てられた環境を変えられるかといえば、不可能に近いでしょう。
それをカウンセリングや精神分析で治せる(矯正できる)かというと、答えはNoだと思います。

端的に申し上げると、「視点の転換」「価値観の見直し」といったことになると思います。
~のはず。
~であるべき。
という視点・価値観に私たちが縛られすぎているという実態がある。
つまり、「実はそうではないのだ」ということに気づくことなのですが、「そうだ」と思い込みつつ生きてきたわけですので、その視点・価値観を(今さら)変化させる(変革する)ことが非常に難しいのは確かでしょうね。
しかし、ここに根本的、且つ本質的なカギがあると私は思っています。

>現在のカウンセリングや心理療法でも、
新興宗教の入り口であったり、洗脳であったりする場合が見受けられますので、

同意できます。
ただ、現代の精神医学自体が、そもそも新興宗教だったり洗脳だったりする可能性についても、ある程度考えを巡らせる必要はありそうです。

>要は、セロトニン・ノルアドレナリン・ドーパミンを任意に増減させて様子を見ながら、自分に合う薬を探していくというものです。

同感です。
そういった神経伝達物質が精神に大きな影響をおよぼしていることは、ほぼ間違いないでしょうね。
ただ、「どのように影響しているのか」という点についての考察・研究が道半ばであるにもかかわらず、人体実験的に処方されているのが「向精神薬」と呼ばれるものの実態ではありませんか?
ですから、処方する側は、そのこと(人体実験であること)を明言すればよいのです。
そして、処方される側は、それでも構わないと納得した上でメンタル系・精神科の門をくぐればよいでしょう。
それであれば、私は何も言いません。
しかるに、人体実験、つまり、危険な可能性を隠蔽したまま薬を処方している現状は、まさに公認の犯罪ではないでしょうか?

補足欄へ続きます。

お礼日時:2018/09/28 22:21

No.7です。



極論で言ってしまえば、実験台であることは否定しません。
そもそも、精神医療あるいは精神そのもの解明というものはまだ未知なる世界ですから。
しかし、それは精神薬に限ったことではなく、他の病(の薬)であっても同じことが言えるのではないでしょうか。

精神薬=麻薬は古くからそういう意味合いで使われてきました。
毒を持って毒を制す。
だから効果がある。しかし危険でもある。
精神薬よりひどいと思われるのは、抗生物質でしょう。
現状では、人はウイルスには永遠に勝てないのが解っていて使用しているわけですから。

>たしかに「明るく」はなるでしょう。
しかし、それをして「改善した」「治癒(寛解)した」「よくなった」と言えませんよね?

では、その薬によって社会復帰も果たし、日々人並みの幸せを感じられるまでになった私は、
貴方からすればどう映るのでしょう。
おそらく精神疾患を体験しないとわからない事だと思いますが、
日々を当たり前に過ごせるありがたさというのは、
たとえ麻薬のような薬で、その代償があったとしてもそれを上回れば良いのではないかと思います。
少なくとも、ここにこうして書き込める事自体、幸せなことですから。
病んでいた(現在も病むことはあるが)時は、それすらも叶わない人生なんです。

精神科医が薬を処方する意味というのは、
決して麻薬を公然と売るということでも、何かあった時に責任は取らないという意味ではないと思います。
おそらくは、必要だから出している。
ただ単にばらまいているわけではないと思います。
精神薬の一致は、風邪薬のように同じではありませんから、
年単位で順に探していくしかないものです。
だから診察毎に、副作用の有無や症状の変化を問診するわけです。
ただ、中には投薬方針を変えたがらない医師やむやみやたらと薬を出す医師がいることも事実ですが、
おそらくそれらの医師は精神科医の中では少数です。
また、患者自身の問題もあります。
問診時に症状や副作用上手く伝えられない人も多くいます。
良くなった、あるいは悪化したと言って勝手に断薬してしまう人も多くいます。
これらの人は、年単位で病に向き合うという事をしないので、当然再発したり悪化したりで永遠に苦しみだけが残るのです。
なので薬が悪ではないと考えています。

確かにすべての精神疾患の患者さんが、私と同じとは言いませんが、
病んだ精神で悟るべき事がある。と私は考えています。
少なくとも精神疾患のために見えなかった世界が、見えるようになったということは、
大きな人生における転機になっています。

人の人生観、価値観すら変えてしまうのは、危険と言えるか。
それなら、新興宗教やスピリチュアルも危険と言えるものがあります。
これらも、人生観、価値観を変えていまいますから。

ただ、この社会全体が変わらないなら、
自分が生きやすいように変わるしかないのが現実ではないでしょうか。
その手段の一つが薬だと思います。
カウンセリングや精神分析で治る人はそれでいい。
薬は、本来身体にとっては異物ですから飲まないに越したことはない。
でもそれを欲さなければ生きていけない社会でもあるのです。
また薬によって見える世界もあり、それが人が前向きに生きていく上で必要であるという事も事実だと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それは精神薬に限ったことではなく、他の病(の薬)であっても同じことが言えるのではないでしょうか。

影響の程度と言いますか、質が桁外れじゃないかという気がしますけどね。

>精神薬よりひどいと思われるのは、抗生物質でしょう。

そうなんですか。
勉強になります。

>その薬によって社会復帰も果たし、日々人並みの幸せを感じられるまでになった私は、
貴方からすればどう映るのでしょう。

そうした現状がおありなのであれば、それは素直に、そして心よりお喜び申し上げます。
ただ、害に苦しむ方のほうが多いようにも見えます。

>たとえ麻薬のような薬で、その代償があったとしてもそれを上回れば良いのではないかと思います。

それは、わかります。
しかし、「麻薬のような薬」「うつ病が治るかどうかはわからないが、自殺したくなるかもしれない薬 」と明言した上で、医師は処方していますかね?
事実を正確に伝えられないまま処方を受けている方が多いのではないでしょうか。
それでも飲む、という方を止める権利は私にはありません。

>精神科医が薬を処方する意味というのは、
決して麻薬を公然と売るということでも、何かあった時に責任は取らないという意味ではないと思います。
おそらくは、必要だから出している。

ここが大いに疑問だと個人的には感じています。
なにしろ、他の質問でも書きましたが、疾患に関する真の因果関係がわかってないのですから、診断がいい加減になり、病気の定義が曖昧になるのは当然だからです。

>良くなった、あるいは悪化したと言って勝手に断薬してしまう人も多くいます。
これらの人は、年単位で病に向き合うという事をしないので、当然再発したり悪化したりで永遠に苦しみだけが残るのです。
なので薬が悪ではないと考えています。

指導の下で断薬すれば快方に向かう、ということですね。

>少なくとも精神疾患のために見えなかった世界が、見えるようになったということは、
大きな人生における転機になっています。

おっしゃるとおりですね。
ただ、わたしが申し上げているのは、さらに見えなくしてしまう薬が多いのではない、ということです。
振り返ってみても、自分の行為をまったく覚えていない、という方も多いですよね。

補足欄へ続きます。

お礼日時:2018/09/29 21:41

No.8です。



多分、不毛の議論になるように思えるのでこれで(おそらく)最後とします。


精神薬を悪(恐怖)を植え付けて服用させるメリットはどこにもないのでは。
少なくとも、精神薬の不確定要素のみを煽り立てるのは初診の患者さんにとって新たな混乱を招くだけです。
言ってみれば、新興宗教や洗脳も、それをおかしいとか、悪いとか言って煽ることは簡単です。
要は、当事者(患者さん)がどう思うか、それをどう捉えるかだけの話です。
例えば我々からみて、オウム真理教はおそらく大多数の人がおかしいと思っています。
しかし、そこで救われたと思う人も少なからずいるわけです。
それは、精神薬も同じこと。
医師から、詳しい説明がなくとも患者さんが体(精神)の異変に気づくことで次回の診察に繋がります。
それを最初から、恐怖で煽り立てたら、その患者さんにとって精神薬が必要か不要かの判断の機会を奪うことになりかねません。
私のように、それが必要である患者さんもいるのです。それも少数ではないでしょう。
薬を飲むことによって起こる変化というのは、それが悪しき変化でも良い変化でも必ず起こります。
そのときに医師がどのように対応していくのか。ということのほうが、服用する薬の詳細な説明よりもはるかに重要なのです。

それに今の時代、自分が服用している薬なんて、簡単に調べられます。
おそらく初診で出された薬は、大半の患者さんは自分で調べていると思います。
その断片的な証拠は、ここのサイトでもよく見受けられます。
例えば〇〇を処方されていますが良くなりません。のようなものです。
私は、そういう事を主治医とともに相談し判断すべきものと捉えています。
実際、主治医に面と向かってそういう話をすれば、いろいろな方向性をアドバイスしてくれます。
ですので不確定要素(患者さんにとって恐怖を持たせる)を煽るべきではなく、
主治医と共に前に進むことが患者さんのためになるのではないかと考えています。

精神薬が博打ではありません。
主治医がどれだけ患者さんに向き合えるか。
それ以上に患者さんがどれだけ主治医に(あるいは自身の症状に)向き合えるかが大切なのです。
博打というのは、フィフティ・フィフティ。
精神薬はそれよりも遥かに高い確率で効果があるから、医薬品なんです。
ただ、現在言われている脳内物質(セロトニン等)のバランスというのは、風邪と違い、
100人いれば100人とも違います。またそれらを数値化する手段がありません。
だからこそ、年単位の通院が必要となるのです。
精神薬の不確定要素は、年単位で解決するもの。
1度出された薬でいきなり自殺したくなるとすれば、
それを主治医に話すだけで自殺は回避できます。

おそらく、貴方と私の考え方の違いだと思いますが、

主治医が見立てを違っていたり(※初診や数ヶ月の通院程度は除く)、それに気づかなかかったり放置した場合を除き
大半の患者さんは、精神薬によって改善すると私は考えています。
最低条件として、自分の症状にどれだけ本気で向き合うかという問題を患者さん自身がクリアできればですが。

最後に
現在の精神医療のあり方に疑問や不満を持つのは悪いとは思いません。
私自身、思うところもあるからです。
ただ、救えるかもしれない命を、精神薬を使わずカウンセリング等でどうにかできるほど現実は甘くありません。
実際経験すれば解ることです。経験したことがない人(普通の人)には絶対にわからない事です。

極論の例えとして、
確かに100人いたら99人は死ぬかもしれない。
でも一人は助かるのです。
でも何もしなければ100人死ぬとしたら、例え1%でも意味はあると思います。
それはリスクではありません。
カウンセリングは急性(救急時・緊急時)には使えません。心理療法もそうです。
100人いれば100人死にます。

それが精神薬が必要で、不確定要素を悠長に説明している場合ではないことの理由の一つです。

以上。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>多分、不毛の議論になるように思えるのでこれで(おそらく)最後とします。

お気を使わせてしまいましたね。
ただ、私はあなたを説き伏せようとしているわけではないのです。
何度か申し上げたかとは思うのですが、どうしても飲みたいという人を止めるつもりはありませんし、権利もないことは確かでしょう。
しかし、危険性があることも間違いありませんよね。
自殺に関する危険に限らず、本当に多様な危険、副作用が薬品の説明書として添付されているわけですから。
ところが、それを、あたかも大したことは無いように宣伝し、流布し、少しでも早く薬を飲めとばかりに急き立てているのが、今の日本の精神医療じゃありませんか?
そこに歯止めをかける、つまり危険性を知らしめる必要性はどうしてもあると思うわけです。

>主治医が見立てを違っていたり(※初診や数ヶ月の通院程度は除く)、それに気づかなかかったり放置した場合を除き
大半の患者さんは、精神薬によって改善すると私は考えています。

そうでしょうか?
お示しした動画の 1:20:15 頃 をご覧ください。
ダレル・A・レジエというアメリカ精神医学会の研究局長も、次のような発言をしています。
【現在、どの精神障害に関しても、真の因果関係はわかっていません】
彼は嘘を言っていますか?
真の因果関係がわかってないのなら、診断がいい加減になり、病気の定義が曖昧になるのは必然でしょう。
『精神薬によって改善する』根拠は存在し得ないと思うのですけどね。

>カウンセリングは急性(救急時・緊急時)には使えません。
それが精神薬が必要で、不確定要素を悠長に説明している場合ではないことの理由の一つです。

(救急時・緊急時)の場合、それは全く否定していませんよ。
しかし、お示しの表現になぞらえて言うならば、

でも服用すれば1人死ぬとしたら、例え1%でも危険性はあると思います。
それはリスクです。

ということになりますかね。

>実際経験すれば解ることです。経験したことがない人(普通の人)には絶対にわからない事です。

それを言われると辛いです。

お礼日時:2018/09/30 00:24

No.9です。

補足だけします。

>真の因果関係がわかってないのなら、診断がいい加減になり、病気の定義が曖昧になるのは必然でしょう。
『精神薬によって改善する』根拠は存在し得ないと思うのですけどね。

そもそも精神の病気の定義は存在しません。
存在しないから因果関係も不明なのです。
私自身、病名というのは、カテゴリーとして、あれば説明しやすいのでつけているだけのものと捉えています。
私が言いたかったのは、症状としての投薬ということです。
現状、一定の症状に対して、それに対応できるものと言うのは、現存している精神薬で効果が認められるからです。
私自身の病名は確かについてはいますが、私はその病名あるいは診断に対してはこだわりや囚われを持っていません。
いかにして今の症状を改善できるかのみを考えています。

これは、私がこのサイトのこのカテゴリーで回答をしていて常に警告してきたことです。
あまりにも多くの人が、病名や診断結果というものに惑わされ、
自身の症状を覆い隠してその病名や診断に洗脳されていることに気付かされるからです。
大切なのは、現在の症状であって、診断結果ではないということです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そもそも精神の病気の定義は存在しません。

同感ですね。
昔も色々な人がいましたが、ちょっと変わった人 ということで許容されていましたよね。
世の中がせちがらくなったと言って片づけるだけでは済まされない本質的な問題を含んでいるのではないか、と考える次第です。

>存在しないから因果関係も不明なのです。
私自身、病名というのは、カテゴリーとして、あれば説明しやすいのでつけているだけのものと捉えています。

まったく同意できます。

>私自身、病名というのは、カテゴリーとして、あれば説明しやすいのでつけているだけのものと捉えています。

病名を付ける理由はあるはずですよね、必ず。
要するに、均一化されてない者の隔離という思想が根源にあると考えても、それほど無理はないように思うのですけどね。
つまり、危険な存在という前提で治療が開始されるのではないか、ということです。
多少の副作用など何とも思っていない理由が、この辺りにあると解釈すれば、一応の筋は(医療者側としては)通るでしょう。

>私自身の病名は確かについてはいますが、私はその病名あるいは診断に対してはこだわりや囚われを持っていません。
いかにして今の症状を改善できるかのみを考えています。

正当な思考法です。
わたしが思うに、あなたは薬で治った(あるいは寛解した)わけではないような気がします。
論理的な自己分析ができる方は、それなりの脳内物質が分泌されるはずであり、そのおかげで快方に向かったと考えるのが自然ではないでしょうか。
風邪薬を飲んで風邪が治るのは風邪薬のおかげではありません。
たしかに症状は消してくれるが、治すわけじゃない。
実際、添付文書も「症状を緩和する」といった文言になっているだけのはずです。
風邪は、布団にくるまって思い切り汗を出せば、一晩で治ります。
人体には、それだけの免疫力が備わっている。
風邪薬は人体が治すまでの間、症状に気づかせなくしてくれるだけです。
むろん、それはそれで価値がありますが、症状だけ消して治ったと勘違いするのが精神医療でしょう。
治ったとしても、それは薬のせいじゃないと考えるのが正解という気がしています。
以下補足欄へ。

お礼日時:2018/09/30 01:16

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