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1. あやまちを犯したひとを 存在としてとうとび あやまちについて 
赦すことも赦さないこともしないし 出来ないし してはならないという
境地になるとき こころがやはらがしめられる。かも知れない。

2. 赦す・赦さないについては 裁いてはならないということ。
 
3. 犯したあやまちの内実を説明してやるということ。説明してもらう
ということ。
 
4. 社会との根本的な和解が成るか? ということ。

5. 世界との・そしてとりわけおのれとの和解が成るか? ということ。

 
☆ この不案内のまま 問います。



* 《やは:柔》は 擬態語だそうです。

A 回答 (3件)

1. あやまちを犯したひとを 存在としてとうとび あやまちについて 


赦すことも赦さないこともしないし 出来ないし してはならないという
境地になるとき こころがやはらがしめられる。かも知れない。
   ↑
まあ、こころはやはらしがしめられるでしょうね。
しかし、社会がどうなるか。
人間は社会的動物です。
社会で育たなかった人間は、二足歩行すら
できません。
その社会が守れるでしょうか。



2. 赦す・赦さないについては 裁いてはならないということ。
3. 犯したあやまちの内実を説明してやるということ。説明してもらう
ということ。
4. 社会との根本的な和解が成るか? ということ。
    ↑
詐欺や過失犯、汚職などには厳罰が効果的である
ことが知られています。
逆に言えば、過ちを責めない社会では、そうした
犯罪が蔓延すかもしれない、ということです。



5. 世界との・そしてとりわけおのれとの和解が成るか? 
ということ。
 ↑
おのれさんとの和解は可能ですが、
世界と和解するのは不可能でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 1. あやまちを犯したひとを 存在としてとうとび・・・
   ↑
★ まあ、こころはやはらしがしめられるでしょうね。
しかし、社会がどうなるか。
☆ ふむ。これには 二通りのお応えがあると思います。

そのとおり。一個人の独り善がりに終わるという見解。

そして そうではなく 社会と言えども ひとりの人間から成るのだから
修身・斉家・治国・平天下とも言うように そのひとりの和解の成就より
始まって何がしかの成果が得られるかも知れないという見方。


★ 人間は社会的動物です。
社会で育たなかった人間は、二足歩行すら
できません。
その社会が守れるでしょうか。
☆ という一つ目の見解については たぶん次の境地を 反社会的でなく
とも 非社会的だと見た結果なのかも知れません。
☆☆ 1.・・・あやまちについて 赦すことも赦さないこともしないし 
出来ないし してはならないという境地



☆☆ 2. 赦す・赦さないについては 裁いてはならないということ。
4. 社会との根本的な和解が成るか? ということ。
    ↑
★ 詐欺や過失犯、汚職などには厳罰が効果的であることが知られていま
す。
☆ ここでも 二通りのお応えになるかと。

つまり おっしゃるとおりだという現実的な捉え方がひとつ。

そしてただし 哲学としてはあらゆる可能性の追究をむねとするからには
いまの《厳罰指向》とは別に・もしくはその見解を超えて 何か・やはり
心の別の境地が 問われるようになるかも知れないという。よい方向でで
す。


★ 逆に言えば、過ちを責めない社会では、そうした
犯罪が蔓延すかもしれない、ということです。
☆ この点にかんしては 微妙ですが:
☆☆ 3. 犯したあやまちの内実を説明してやるということ。説明して
もらうということ。
☆ という実践が こたえです。



★ 5. 世界との・そしてとりわけおのれとの和解が成るか?
 ↑
★ おのれさんとの和解は可能ですが、
世界と和解するのは不可能でしょう。
☆ いや。これは なお大問題でしょう。あらゆる答えが可能性としてあ
るのでは?

つまり わたし自身と和解できるなら世界とも完全に和解できるという見
方から 自己とも世界とも和解はそもそも無理だという意見まで。

お礼日時:2018/09/30 06:32

可能だと思いますが、その境地に至れるかどうかが先ず問題になります。

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この回答へのお礼

非現実ではない・・・のですね!?

ふうーむ。――ご回答をありがとうございます。

そして:
★ その境地に至れるかどうかが先ず問題になります。
☆ 《境地》の問題なのだということですね。

心の和解は 心の問題であると。


・・・考えてまいります。

お礼日時:2018/09/29 19:48

心が存在するものは何か犯します。


これが世の常であり、だって人間なんだもの。
ただ、それが赦されるどうか摩訶不思議です。
人が赦す、裁判所が赦す、国が赦す、被害者、加害者
が赦す。
99人赦しても1人でも赦さない人が存在すれば、法に
よって裁かれます。
そして、和解は不成立です。
なので、犯した人は、存在意義を見失い、途方に暮れ、空気の
ようにどこかに心が飛び去ってしまうでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 心が存在するものは何か犯します。
これが世の常であり、だって人間なんだもの。
☆ そうでしょうね。

つまり 自由意志の持つ意志の自由は プラスのものもマイナスのことも
どちらをもおこなう自由度である。と思います。

★ ただ、それが赦されるどうか摩訶不思議です。
☆ そ・うですよね。

つまり もし《赦された》なら たしかに摩訶不思議です。


★ 人が赦す、裁判所が赦す、国が赦す、被害者、加害者が赦す。
99人赦しても1人でも赦さない人が存在すれば、法によって裁かれます。
☆ 《加害者も赦す》のですね? でも ひとりの人の心がゆるさなけれ
ば しこりはのこる。・・・のですね?


★ そして、和解は不成立です。
なので、犯した人は、存在意義を見失い、途方に暮れ、空気の
ようにどこかに心が飛び去ってしまうでしょう。
☆ ふうーむ。ハッピーエンドは期待できない・・・ですか。

ひとりでも心にわだかまりがあれば だめだと。

そうかも知れないですね。反日韓国人のことを想い起こしました。

二千年 かかりますか。

お礼日時:2018/09/29 19:45

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