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江戸時代 江戸幕府はキリスト教を迫害、弾圧したのは一体何故でしょうか。

A 回答 (9件)

ルターの宗教改革で信者を減らした


カトリックは、信者を増やすために
国家と手を結んで、外国布教へ
乗り出しました。

国家は国家で、外国侵略の尖兵として
カトリック教会と手を組んだのです。

まず、宗教で先住民を宣撫し、それから
国家が軍隊で侵略し、支配する、という
戦法です。


日本は当初、この企みを知りませんでした。

だから信長などは、西洋の技術、武器などの
導入もあって、積極的に受け入れたのです。

しかし、秀吉の時代になって、そうした
情報が入ってくるようになりました。

そんなおり、カトリックの神父が、日本人を
奴隷として外国に売りさばく、という事件が
発生し、これをきっかけにして秀吉が
禁止するようになりました。

この禁止が徹底されるのは、徳川時代になって
からで、三代将軍家光の時です。

原城の乱(天草四郎の乱)が発生した
からです。

これで宗教の恐ろしさを知った幕府は、キリスト教
カトリックを全面的に禁止迫害するに
至ったのです。


以下、余談。

柳生流の柳生宗矩は御存知でしょうか?

彼は宗教の強さを知って、たかが土民の
反乱と舐めていた幕府を諫めましたが、
幕府は聞く耳を持ちませんでした。

それが、いざ戦ってみると、大苦戦した訳で
改めて、柳生の先見の明を知ることになり、
以降、柳生家は引き立てられるようになりました。
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まず、キリスト教を弾圧したのではなく、カトリックを弾圧しました。


プロテスタントの国とは貿易を結んでいます。


理由を簡単に言うと、当時のカトリック教徒が、日本人を奴隷として売ったり(当時のカトリックの法においては、異教徒を奴隷として売る事は合法です)、カトリックに改宗した日本人が仏像などを破壊する(当時のカトリックの法では、異教徒を攻撃し殲滅する事は合法です。)と言った、他の宗教を攻撃すると言う行動が目立ったからです。

これは秀吉も同じ理由で弾圧しました。


当時のカトリックは、現在と違って、異教徒を認めないような凶暴な宗教で危険でした。(当時のカトリックの法においては合法です)と注意書きをしましたが、彼らにとっては異教徒を奴隷として売り飛ばす事や、仏像を破壊する事などは「悪い事をしている」などの自覚はありません。

と言うよりも、合法的な由緒正しい行いです。「凶暴な宗教」と言いましたが、彼らはそんな事思ってはいません。むしろ野蛮人は異教徒だと考えます。

仏像を破壊するのも、誤った宗教に毒されているかわいそうな人たちを救うためです。カトリックこそが正しい事です。カトリックにおいては異教徒は地獄に落ちます。それを阻止するにはカトリックの改宗が必要です。仏像を破壊して無理やりカトリックに改宗させる行為はむしろ「親切」なのです。

しかし、これはカトリックの世界だけで、日本の世界にはなじみません。だから弾圧しました。

因みにプロテスタントを日本が許可したのは、プロテスタントはそもそも布教しないからです。理由は「異教徒は勝手に地獄に落ちればよい」と思っているからです。カトリックは「異教徒が地獄に落ちる運命から救う」ために布教しますが、プロテスタントは「勝手に地獄に落ちろ」という立場なので布教しません。結果的には、日本においてはプロテスタントは危険な宗教とはならず、貿易を続けました。



(現在のカトリックは、近代化されていて、信仰の自由を理解できているので、他の宗教を攻撃するような事はありません。)
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簡単に言うと、キリスト教を布教する人たちが


幕府に逆らうことが多かったからと
世界征服の先兵と考えられたから。



信長の時代はかなり自由な交易と共に布教も自由でした。
秀吉の時代になって、1587年にはバテレン追放令が出されます。
この理由には諸説あり、
 ・外交権を掌握してキリスト教の権限をそぐ。
 ・九州での奴隷売買
 ・キリスト教による神社仏閣への迫害
等が考えられています。
この時は布教の制限が目的で、信者への弾圧が目的ではありません。

この後、遭難したスペイン船が日本側の取り調べに
キリスト教を使って世界を征服している旨の発言をしたとされ、
(サン=フェリペ号事件、諸説あります)
秀吉が激怒して1596年に禁教令が出されます。
ただし、この時も改宗を強制するなどの処置は取られていません。

江戸時代に入り、それまでと同様の政策でした。
しかし、日本の政治体制に組み込まれることを拒み、
独自の活動を行うことで周囲と軋轢を生じ、
対抗する神社仏閣やイギリス・オランダの讒言で
どんどん印象を悪くしていました。

1609年にはポルトガルのノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号
(マードレ・デ・デウス号)事件が起こり、
(注 この事件自体はキリスト教とは関係ありません)
それに連座したキリシタン大名有馬晴信の処刑と共に
本格的な禁教令に移行します。

それでも布教しようと、スペイン商人に偽装して
日本に入国した宣教師が捕らえられ(平山常陳事件)、
幕府側は激怒し、元和の大殉教と言われる(55名を死刑にしました)
強硬策に出て以後は本格的な禁教となり、迫害・弾圧していきます。
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入力ミス。



当時は中国大陸から日本国内の各藩大名に布教活動から植民地支配が行われることが知れ渡っていました。
幕府は危機感を抱いて、当然の事ながら弾圧します。そして、下の方が答えた大名の言うことを聞かなくなる、支配体制が崩壊する事が一番の危惧していたことだと言われてます。
また、多神教、一神教これは全く関係有りません。
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キリスト教の宣教師は、その国を植民地支配するための尖兵という役割も持っていました。


宣教師や植民地がどういうものかを知った武将たちがキリスト教を迫害、弾圧したのは当然でしょうね。
また、宗教を信じている信仰者は、領主とか王様の命令をききません。
それも、弾圧する原因になったと思います。

現在、中国はウイグルを、ナチスドイツのユダヤ人弾圧と同様に、強制収用所に数百万人を収容して弾圧しているといいます。
たぶん、反抗的な人は、生きたまま心臓などの臓器を取り出されて殺されていると推測しています。
まあ、信仰者は、支配者の言うことを聞かなくなるので、弾圧されるのです。
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キリスト教は一神教ですから、唯一絶対の神だけに忠誠を誓います。


さらにイエスを「地上の王」と呼びます。
将軍や殿様を絶対者としている国では、国家反逆罪です。

それと、江戸幕府は仏教のお寺の檀家制度を利用して、領民支配を徹底していたので、キリスト教徒はそこからはみ出してしまいます。
幕府支配の土台を揺るがす恐れがあります。

もう一つは、政権の長期安定のため、“進歩゙を嫌ったので、新しい考え方、外国との接触を避けた。

そういう理由です。
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イエスキリストの十字架の時と同じ



本当の事を知るには 内的事情を知らないと理解出来ない・・

此処のサイトに 内的事情を知る人は少ない
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影で人身売買をしてたからです。

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幕府よりキリスト教会の支配力が大きくなるのを恐れてでしよう。

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