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人は、それぞれ(仕事や近親者への情愛など)何かしらの具体的な存在理由を実感して生きているものだと思います。しかもそれは一つではなく数えれば限り無くあるでょう。言葉にはし尽くせない程に。

ところが、自分一つのシワの少ない頭を過信して、それだけであーだこーだ考え、しょぼい人生の言い訳作りをする事が哲学だと思っている様な人は、レゾンデートルをあまり実感出来ずに狭い思考空間の中に自己を幽閉してしまっている様です。

その様な人には何が起これば、自己の存在理由を味わう事ができるのでしょうか。
たとえばそれは喪失感でしょうか、失って初めて気付く様な大切なことなど。

質問者からの補足コメント

  • Fragments様へ お礼の続きです。

    ・・・ところで、私の兄は哲学者であり、大学で教鞭をとっているのですが、その兄と、大阪の地下鉄に揺られながら、実存主義ってなんやねんという話をした時の事。兄は無知識の私に分かりやすいように次のように説明しました。

    「要するに実存主義とは、『磯野カツオ』や。」

    ヘーゲルの唱えたアウフヘーベンによってより高尚な存在へと進んでゆく人間像に対し、実存主義の説くところは、別に高尚な人間になる必要などどこにもないし、それが人生の目的でもないと言う。それは、大したの事のない人間、磯野カツオのままで全然かまわへんって事や。と。

    レゾンデートル、存在理由が何か大仰なものと感じてしまうのは何故でしょう。それは、人間存在や自分の人生が、日常や現実存在を離れて、何か崇高でかけがえのない特別なものと思いなす我執がそこに存在するからではないでしょうか。

      補足日時:2018/12/19 13:12

A 回答 (36件中21~30件)

お礼をありがとうございます。



お礼が、”今アメリカがもし悪い夢を見ているならば、ブッシュ氏の死を悼む事で幾分か目も覚めれば良いと思いました。”と、締めくくられており、私も、そんな憧憬を持ちますが、過ぎて行ってしまった、移ろってしまったものは、もう二度と戻ってこないのは、バブルのあとの日本でも、実感がおありかと思います。昭和人間の考える、”まっとうな価値観”は、失われてしまって、永遠に戻ってくることはありません。

現在の、トランプ氏とFBIとメディアと議会とウォール・ストリートと元大統領たちと弁護士たちのドタバタ喜劇のような成り行きは、面白いといえば、面白いです。ただ、あまりにも美しさや高潔さとはかけ離れていて、ぐったりします。そこに、ロシアと中国、メキシコとカナダが絡んで、アメリカは、究極の”利潤の追求”至上主義なのを、毎日再確認します。

虚しいばかりです。その虚しさをSNSを発信することで埋める人もいますが、そこに真実はあるでしょうか。私には疑問です。

このブラックホールのように何でも飲み込んでしまう状況を、覆すものがあるとしたら、古い人間には理解できない、新しい価値観の誕生ではないでしょうか。ベトナム戦争時には、”ラブアンドピース”なる標語が生まれました。現在の反中国・反共の動きから、何かが生まれてくるか。敵がはっきりすると、果敢に戦うお国柄です。

日本も、どうやら、元号が変わるようで、新しい秩序が生まれてくる機縁になると良いですね。

移民問題が各国で起きている現在ですから、人種や性別を超えてゆくような、個人を開放してゆける秩序であるよう、願っています。それが、人間の存在価値そのものを変革してゆくでしょう。
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この回答へのお礼

外から見ている感想を申し上げますと、アメリカは理想を追う新産業の台頭を実現したけれど、開かれた地域のアメリカ人と、そうでない地域のアメリカ人との間に格差や大きな認識の食い違いが生じたのを黙って見過ごした結果、今のトランプ出現に代表されるアメリカの反理想主義的状況が生まれたのではないかと思っています。報われない他人の気持ちを無視した結果ではないか。

ciaopolpoさんのご意見とは真っ向から反してしまうのですが、今から述べることについてお気を悪くなさらないでください。ベトナム戦争に行かなかった若者がラブアンドピースを合唱している時に、ベトナムの人は密林で血を流しながら、不屈の精神でアメリカと戦っていた。そんなベトナム人を称えても、音楽とドラッグとセックスと新興宗教に溺れて、ラブアンドピースの綺麗事を声高に歌っていたヒッピーを称える気には私はなれません。すみません。ラブアンドピースは、安全圏に身を置いている浮ついた若者の流行りの様な思いつき以上のものに思えないのです。ベトナムを大国の代理戦争の犠牲にする事の正当性の無さを論じて、和解とベトナムの意志の尊重をもって、戦争を終わらすべきだと、アメリカの戦争に行かなかった若者たちが考えて、反戦運動を起こしていたならそれは妥当だとは思いますが。

私は理想主義的な事を、善とも良とも捉えないし、今の利潤追求至上主義なのを悪とも捉えません。

私も大した立場のない人間ですから、内陸のトランプ支持層の気持ちが分かる気がします。気持ちが分かるからといって賛同する訳ではありません。しかし、ウォール街で富豪とダンスをするなどと言ったクリントンでは、アメリカ国民の声には応えられなかっただろうと思います。

いつの日も、大衆の気持ちは時代の表面で揺れていて、その深層には到達しないのでしょうか。

新しい秩序はネットを通じて人々が自ら創出すると思われます。さらなる多様性の顕現となると思います。しかし多様性と言うからには、新しい価値観と同時に伝統的な価値観も当然認められます。古い血と新しい血の混ざる、知るべきことと選択の多い時代になるでしょう。

お礼日時:2018/12/17 17:05

https://www.asahi.com/articles/ASLD35QMJLD3PLPB0 …謎のsかも塗料まで巣よ。塗料
色が入り音か坂本龍馬の写真は手が無いですね。手を隠してるのでしょうね。
観g内ですね。橋本かんなの写真みたいですね。
~~~~~~~~~~

そっくりさんのあおりなのでしょうか。
偽者とかモノマネとか借りただの借りるとかレンタル裸子知恵スネ。

嫌がらせのいらすををえ上がれると
めがねも何の嫌みなのでしょうか。

入り炉の世界貝ですね。大型自動車に青ら得てる軽自動車で
なぜか逆に盗人にされてると云うことでひどいですね。

下請けいじめ妥当子
妥当なのか。
使い方ガイドというのはよほど
難易施与偽者妥当ことですね。
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№14です。



存在にしても思想として存在理由を考えそれを実践するにしても いづれ
についても その自己や思想内容や実践の成果を 基本として相対的なこ
とと見ることができなければ 哲学は始まらない。

――このような内容による物言いでした。


★ どうせみな死ぬんだ
☆ から 相対的なものごとを恃むことは 芳しくないでしょう。
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この回答へのお礼

ふむ、そうでしたか。了解です。

お礼日時:2018/12/15 23:37

★(№12お礼欄) 全ては移ろい行かざるを得ない儚いものだ、ならば存在


理由を実感している多くの人々のそれが、どうして蛸壺の生活ないし哲学とな
るのか分かりません。
☆ 《存在理由を実感している》という事態が 変化しないという保証がない
からです。

その時その場の――それが数十年というようなかなり長い期間であっても――
《実感 また それの――主観としての――確かさ》で もうよいという考え
方があり得ます。それも 自由な思想です。

ただし その限界のある実感とその確実性で もうよいというのは おそらく
タコツボ人生でしょう。独り善がりでしょう。

ところが 限界のある存在理由の味わいでは いけない そこにはなお研鑽の
余地がある――という場合であっても それでもそれも 向上する意欲がなく
実際その限りで向上することのない思想の場合と けっきょくのところでは 
五十歩百歩であると見るのが 哲学の流儀だと思います。

有限で経験的・相対的な思想とその人生については 狭い主観に閉じこもって
いると認識するのが ふつうの哲学だと考えます。


さもなければ:
★ 蛸壺状態になることと・・・関係する
☆ ものと思われます。

★ 単に移ろい行く事を認められない、受け止められないだけのことではない
のでしょうか。
☆ それに加えて 存在理由を自覚し得ずにいる場合の思想を嗤うのなら 目
糞鼻糞の問題に落ち入ります。それは タコツボ状態でしょう。




★ また、存在理由は何も自分にとって心地よい、都合の良いものだけではな
いと私は思います。仕事だって人間関係だってそうです。
存在理由を感じれない人は、自分に都合の良いものだけを探しているのではな
いでしょうか。
☆ 《自分に都合の良いものだけを探している》のではないという確信は ど
こから来るのでしょう?

仕事をしているなら その存在理由は 《自分に都合の良いものだけ》ではな
いと言えましょうか?

精確を期すなら 《言える》場合もあり得ます。ただし 病いなどの事情で仕
事を出来ない場合について それは もはや存在理由を確実なものとして味わ
っていないではないかと比較考量して批判するのなら やはり目糞鼻糞の問題
になると思われます。




★ どうせ人は死ぬんだとか、みんな消えて無くなるんだとか、仮にそうだと
して、なぜそのことによって実感される存在理由がかき消されてしまうのか。
☆ そのようには言っていません。人間の主観における《実感》が あやしい
と見るのがふつうだと言っています。


★ それは、狭い思考空間で考えただけの事に執着して事実を顧みないからで
はないでしょうか。
☆ ですから 思考空間をめぐって 狭い・広いというふうに比較考量する思
想は 何度も言うように メクソハナクソになるおそれがあります。

広いタコツボと狭いタコツボとがある――とは言っているようですが。

★ 果たして、懸命に生きている人が、どうせみんな死ぬんだとか、いつか世
界は消えるんだとか言って投げやりになるでしょうか?
☆ なんで《懸命なすがた》が よくて そうでないとよくない――というよ
うに くらべたりさばいたりするのでしょう?
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この回答へのお礼

まだ分かりません。
豊かにも移ろい行く全ての中で、存在理由を実感して生きている。良いものも辛いものもあるだろう。これが、開かれた状態であり、狭い自己の思考空間に閉じこもってそれを実感出来なくなる状態を幽閉状態と言っています。

開かれた状態が幽閉状態に転じる可能性があるからと言って、開かれた状態は幽閉状態とは言えないでしょう。両者は異なります。


懸命な姿が良いとか良くないということは言って居ません。ただ、口では人生を何某に命をかけて送ると決めたと言って居ながら、同じ口でどうせみんな死ぬんだ、みたいた投げやりな事を言うのはどうなのかという事です。

お礼日時:2018/12/12 21:30

こじつけの人生の落とし穴に入り込んでしまっている人のことでしょうか。



気を楽にすることなんでしょうね。
人類を滅亡させる要素になっていなければ
生まれてきた意味はある。
つまり人間性否定を良しとしていなければ。
人として限界のある身なりに。
ということだと思います。

遺伝子を残すことにもこだわる必要はないと思います。
変異してコピーを残す意味は薄れていきます。

生きた証についても
母集団が膨れ上がっていけば
現時点でどれだけ目立っていても
その膨れ上がった母集団の中の閾値以下の無に紛れ込んでいきます。

人類を存続させるための一つの要素として自分なりの人事を尽くす
くらいに軽く構えられるようになるといいのだろう
と思います。
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この回答へのお礼

こじつけもあるでしょうね。自分の考えの範疇の外の事を、自分の考えにこじつけて理解したつもりになるから、自分は分かっていて他者は分かっていない、みたいな見下しが生じてしまう。

どんどんおかしくなってる自分自身に気がつかないようで、周りがおかしく見えるようです。

お礼日時:2018/12/12 21:10

異議をとなえます。



★ 自分一つのシワの少ない頭を過信して、それだけであーだこーだ考え、
しょぼい人生の言い訳作りをする事が哲学だと思っている様な人
☆ の場合でも そのような生活態度(≒思想)が 取りあえず当人のお
のれの哲学であり 存在理由と成っている。

つまり それだけであっても:
★ 自己の存在理由を味わう事ができ
☆ ていると捉えざるを得ません。

つまりやはり けっきょくすべての:
★ 人は、それぞれ(仕事や近親者への情愛など)何かしらの具体的な存
在理由を実感して生きているものだ
☆ という認識は 普遍的なものだと考えられましょう。

つまり さもなければ:
★ 存在理由=レゾンデートルの味
☆ は ただ目糞鼻糞を笑うの大味なものになるに過ぎません。





別様に言うならば:
★ レゾンデートルを〔――じゅうぶん実感できていたとしても あるい
は――〕 あまり実感出来ずに〔――いたとしても いづれにしても――〕
狭い思考空間の中に自己を幽閉してしまっている
☆ タコツボ〔の生活ないし哲学〕をまぬかれているとは言えない。とな
ります。

すべては 移ろいゆかざるを得ない人生であるに過ぎないからです。



哲学入門以前のもんだいだと思います。

人間の考えた――考え抜いたものだとしてもその人間の知性としての――
レゾンデートルが 果敢無いものだという認識から 哲学は始まります。




★ 喪失感
☆ は 初めにすでにあります。なきゃおかしい。
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この回答へのお礼

全ては移ろい行かざるを得ない儚いものだ、ならば存在理由を実感している多くの人々のそれが、どうして蛸壺の生活ないし哲学となるのか分かりません。

移ろい行く事は喪失感とは結びつきますが、蛸壺状態になることとどの様に関係するのでしょうか。

単に移ろい行く事を認められない、受け止められないだけのことではないのでしょうか。

また、存在理由は何も自分にとって心地よい、都合の良いものだけではないと私は思います。仕事だって人間関係だってそうです。
存在理由を感じれない人は、自分に都合の良いものだけを探しているのではないでしょうか。

どうせ人は死ぬんだとか、みんな消えて無くなるんだとか、仮にそうだとして、なぜそのことによって実感される存在理由がかき消されてしまうのか。それは、狭い思考空間で考えただけの事に執着して事実を顧みないからではないでしょうか。

果たして、懸命に生きている人が、どうせみんな死ぬんだとか、いつか世界は消えるんだとか言って投げやりになるでしょうか?

哲学以前の問題でしょう。

お礼日時:2018/12/12 19:17

人間は犬と同じようにパックアニマル、すなわち集団生活をするように、数百万数千万年の進化を遂げてきました。

だから、犬と同じように、自分の存在を二の次三の次にして、この人と決めた人に全身全霊を尽くす。その人は、伴侶かもしれない。先輩かもしれない。師かもしれない。自分を慕ってきた弟子や後輩かもしれない。だから木造さんが言われるように、「半径五十メートル以内にいる人をちょっとだけ幸せにして見る事だ」は金言です。相手がそのあなたの行為に気付き感謝してくれた時に、自分の存在の最大級の喜びを感じることができるのが人間です。また、それを拒絶された時に最悪の不幸を感じるのが人間です。これ以外で存在の喜びを感じる程度は、上のことと比べて桁違いに小さな喜びです。

でも、間違っちゃいけない。この人と決めた人が自分の子供であってはいけません。子供以外に全霊を尽くせる人を探さなくてはならない。子供は、必ずあなたから離れて行き、あなた以外の誰かの中に幸せを見つけてくるからです。
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この回答へのお礼

私の場合は、感謝してくれたり恩を感じたりしてくれなくていいので、その人が少し幸せになってくれればそれで良いと思っています。なんなら気がつかれなくても別に構いません。しかしながら、思いもよらない形でそれをふとあらわされたなら感動すると思います。
人生に成果があったのかどうか分からないと言うのは不安なことだと思います。
生きて来て良かったと思える様な人生を送って欲しいし、自分もそうありたいものです。
でも、気にかけられたことは、自分では中々分からないものですね。私も道半ばといったところでしょう。

お礼日時:2018/12/12 18:56

「そのような人」がいたとしたら、その人が作っている自己完結の世界を


奪うことはできません。
気付かせようと思ってあれこれ言えば、自分を守ろうとして更に自分を追
い詰めてしまいます。最後は自滅です。

私は知り合いにそういう人が数人いました。哲学をやっていたわけではな
いですが、どこか哲学的ではありました。
人の言うことは絶対に聞きませんでしたね。皆、自滅しました。悲しかっ
たです。

もう少し言えば、今の時代、程度の差こそあれ自分の存在意義を感じられ
ない人あるいは、一歩間違えばそうなる人ばかりじゃないでしょうか?

だから、悲しいばかりなんです。

ちなみに私はこれを感じなかったことはありません。決して順風満帆な人生
ではなかったですが。
何故かと言えば、人間が尊いということと、可能性は生きている限りあると
いう信念を捨てていないからだと思っています。エへへ…
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この回答へのお礼

ともすれば私もそうなっていたであろう可能性として、その様な人を言葉にしてみました。

余計なプライドを捨てて、人間の尊厳を取り戻し、なんとか人生を全うして欲しいですね。私もそうしたいものです。

お礼日時:2018/12/12 18:45

喪失感。

というのは、あっていると思います。

ある朝、犬の散歩に出たら、道はポリスカーであふれかえり、道のあちこちにバリケードがはられていました。自動車・歩行者立ち入り禁止で、四月にも同じようなことがあったので、今回は、ピンときました。近所に住んでおられた、百歳まで生きると思われた、ジョージ・ブッシュ41が、なくなられてしまわれました。

第二次大戦中、彼は、十八歳になるのを待ちきれないように、志願兵となり、空母から爆撃機に乗って出陣しましたが、日本軍に撃ち落とされて、太平洋に浮かんでいるところを、四時間後、幸いにもアメリカ軍に助けられます。その後イェール大学を卒業。石油関係の会社を興し、32歳で下院に当選してから、上院議員、国連大使、中国大使、副大統領、大統領、と、一生をアメリカ社会のために捧げた、と、称賛されています。奥さんのバーバラさんといるときが一番楽しそうでした。たった一人の女性だったそうです。子供にも恵まれ、孫は、数えきれないほどです。

大統領引退後は、自叙伝を書かず、政敵クリントン・オバマを含めた友人たちの交流を楽しむ暮らしでした。ジョージ・ブッシュ43からは、国葬の席で、”最高の父親”の称号を与えられています。

アメリカ人からすると、こういう人は、たまらないです。彼の伝記映画を作って、ジョン・ウェインが生きていたら、主演してもらいたいぐらいです。そして、彼の後を継いだ大統領たちと比べてみると、もう、こんな人は出てこないだろう、というのが、共通の意見で、私達は、ある感慨を持ちます。明らかに、時代が変わってしまいました。

現在のアメリカは混とんとしています。安心して、映画館やスーパーマーケット一つ行けません。非寛容な時代であるからこそ、一人一人が自衛しながらも、大げさなことでなくても良いから、社会と関わってゆき、貢献・還元してゆかなくてはならないと、深く、胸に刻んだことでした。
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この回答へのお礼

最高の父親ですか。最高でも大統領でもないですが、私の父はまだ存命で、私のことをまだまだ気にかけてくれています。たとえばこの様な存在を失った時に人は、悪い夢を見ているならばそれから覚めると思います。

今アメリカがもし悪い夢を見ているならば、ブッシュ氏の死を悼む事で幾分か目も覚めれば良いと思いました。

お礼日時:2018/12/12 18:37

今日はチョコレートの皮下なにかなのでしょうか。


体調がよく名イアkら南アのであろうとか思いますけれど。
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この回答へのお礼

チョコレートですか。どっからチョコレートがでてきたのかよくわかりませんが、雪山さんは連想ゲームか何かをしてるのですか?

お礼日時:2018/12/12 18:41

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